頑張らないことを受け入れる。昔の自分と比べない。世の中は「Quiet Quitting」だけど。 | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる



暖かい飲み物を飲みながら仕事をする季節。勤め人ではないので、仕事をする場所は自由。仕方も自由、時間も自由。自由すぎて、基準がない。

会社勤めから、個人事業主やフリーランスに変わった方は、きっとどんな風に仕事すればよいのか? で悩むことがあると思います。私自身は、フリーランスになってすぐの頃、若かったこともありおそらく会社員時代よりも楽し苦しくも多くの時間を仕事に費やしとてもエンジョイしていました。

 

その記憶があるせいか、仕事をしない自分が許せないと思っていたよう。そんなことにも気づかない自分。先日、病院で「しばらくいただいている仕事を丁寧にやることに集中しようと思います」と伝えました。積極的に営業しないということです。思えば、社会人になってから、自分営業の連続でそれが当たり前になっていました。だから、営業しない自分はダメな自分と決めつけて。頑張らない、努力しない自分は存在する意味がないと思ってました。

 

だけど、ずっとそんな時期が続くわけもなく、時々は休まないとね。もちろん食べていくためにお金は必要だけど、それ以前の問題で存在するために必要なことがあった、ということです。

 

世の中は、大手テック企業の解雇で「Quiet Quitting」という言葉が言われているけれど、タイプ的に企業に所属することは苦手だし、企業に所属していたときは給与以上のことを無意識にしてしまうタイプだった。

 

「Quiet Quitting」とはタイプが違うけれど、言葉のなかにある「そこそこに働く」は、意識したい。今の私には必要かもな~と。それでも良いって、自分に言い聞かせて。

 

部屋の中にゆっくりできる場所を追加で作りました。本棚を処分してソファの代わりにマットレスをいれました。仕事の椅子にもなるし、横にもなれる。夜はそこで眠らないけれど、仕事の合間にちょっと休める。そんな場所。それでも良いかな~と。

 

頑張りたいことやときは頑張るけれど、気持ちが乗らないこともある。常にMAXでなんていられないし。SNSには多くの方のMAX状態が並んでいて、自分のひたすら責めるので本気で離れたいとも思ってます。Twitterもどうなるかだしね。Twitterが有料になったらどうなるんだろう?って考えてます。もちろんそこが大切な居場所の方もいるから、とても大変なことだけど。

 

世の中、急いで便利になりすぎた。この30年で急に変わった環境に実は、人間の心が追いついていないのかもしれない。そして、作られたサービスを使うほど、人が成熟していないのかもしれない。と思うようになりました。