何もできない自分を責めない。そして、どんな状況でも生きていける自分を作る | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる

 

チューリップの季節がもうじき来ますね。

その時、どんな気持ちだろう。

 

3月11日が過ぎて、少し落ち着きました。

東京に住んでいた私は、当事者ではないのですが、

当時の自分と今の自分の違いが大きくて、どうしてもテレビが見られませんでした。

 

10年前は、自分でもびっくりするくらいいろんなことをしました。

知人が背中を押してくれたこともあるのですが、人と人を繋いで、企業からNPOにモノを届けことも多数。

情報を発信したことも多数。

メディアから頼まれて、取材できる人を探したことも。名古屋の知り合いから東京の担当者に繋いでもらったり。

 

あのとき、あの動きができたのは、自分でも不思議です。

その後、ハガキのちから までやるんですから。

今、思うと、そんな自分に酔っていたのかもしれません。

でも、それをすることでしか、自分がキープできなかった。

 

そして、今思うのは、

そんな自分で在れたのは、震災の前の年の2010年に、ひどく心を病んだことがあると思います。

今でも思うし時々書いたり言ったりしますが、震災が起きたのが2010年だったら、私はすでに東京にいないと思います、ということです。

というくらい、2010年の3月は心が崩壊していました。私が時々書く、アルコール依存状態。携帯(当時はね)にも出られず、メールを見ることも怖くて、朝6時からビール飲んで、ずっとソファで横になって一日中海外ドラマをDVDで見ていました。

そして、泣きながら親に電話していた。

そんな時期です。

 

それが終わったのが、2010年の4月のある日。それは突然に。

そこからは、あまり記憶がないくらい仕事をしました。

 

だから今、あまり動けない自分も、あの頃の自分の状態かな、と思うことがあります。

いつか動けるようになると。

そして、そんな動けない自分が迎えた3月11日は、とても苦しくて、自分を責めました。

できるだけ文章は書かず、何もせず、録画したドラマだけを見て、ニュースは見ず、締め切りの歌詞を書いていました。

逃避です。

 

やったのは、Yahooの検索くらいです。

当事者でもないのに、本当に情けないことです。

そして、3月12日が来て少し落ち着きました。その日だけのことではないのに、どうしても動けない自分を動けたときと比べてる。

意味ないのにね。

 

自然にポジティブでいられるのであれば、良いのですが、義務感からのポジティブは自分の傷つけてしまう。

身を潜めて待つ。

 

今年は、ただただ「ごめんない」の気持ち。何に謝っているのかも分からないけれど、そうしたかったから。

そして、忘れないことを大切に。

 

 

3月25日には、私にとって大切だった人の誕生日が来ます。

もう会うことができない人。あれから、20年以上が経ちました。

その人がいなかったら、作詞家を続ける根性を持てなかったかもしれない。

 

私たちが生きているのは今。過去でも未来でもない。

だからこそ、今の自分の気持ちを包む勇気を。