先日、お友達と交わした会話の中で「物々交換」が話題になりました。

 

最近、お米が品薄(というよりほとんどない)になっていて、並び始めた新米もこれまでより割高になっています。

 

「日本はモノが買えなくなってくるかもね。だからもう物々交換でもいいんじゃないか。そういう社会にならないと生きていけなくなるんじゃないか。」

 

お友達はそう言っていました。

 

確かに何もかもが値上がりしていて、スーパーへ行くと数年前の感覚で買い物しているとお会計でその金額にびっくりして「え??」と思う時もあります。

 

 

物々交換て聞くとモノとモノの交換という捉え方になるけど、モノとモノの交換だけじゃないんじゃないかという話でも盛り上がりました。

 

例えば農業。

人手不足や跡継ぎがいないことで田んぼの管理を委託したりなんて話も良く耳にします。

 

そういった農作業をする代わりに、お米や野菜をいただくというのも有りかもしれません。

報酬としてお金をいただいたとしても、そのお金では何も買えないなんてこともこれから先起こるのかもしれません。

 

そんな話をしたことを昨日ふと思い出していろいろ考えていたら、昔あったある出来事を思い出しました。

 

20年近く前のことになると思います。

まだ私は地元で働いていて、あるスーパーへ買い物に寄った時のことです。

 

スーパーの入り口で腰の曲がったおばあちゃんが自動販売機の前で困っていました。

どうしても飲みたいもの(確かアクエリアスとかポカリとかそんなんだった気がします)があって買いたいんだけど、腰が曲がっていてボタンまで手が届かなかったのです。

 

そんな様子を見かけた私はおばあちゃんの所へ近寄り、

「おばあちゃん、どれ買いたいですか?」

と聞き、代わりにボタンを押してあげたのです。

 

取り出し口から飲み物を取って渡すと、

「ありがとうね。助かりました(^^)」

そう言いながら、背負っていたリュックを降ろしリュックの中をゴソゴソ。

 

「これ持ってって。うちのみょうが。みょうが食べる?」

そう言いながらビニール袋に入ったみょうがを渡そうとしたのです。

 

 

「いやいや、そんなんいいんですよ!私ボタン押しただけだから(^^;)」

 

「そんなこと言わないで持ってって。助けてくれたんだから(^^)」

 

「いいんですか?みょうが大好きなんです。じゃあ遠慮無くいただきますね。ありがとうございます(^^)」

 

こんなやりとりがあったんです。

 

これも一種の物々交換になるのかもしれない、モノと言いながら心の交換をしたのかもしれない。確かに私はみょうがというモノをいただいたけれど、おばあちゃんの心もいただいたんだなとそんなことを思った私です。

 

 

 

では、皆さんの明日に笑顔がありますように!

 

【Vol.2302】