『在り方』という言葉の意味
物事の正しい存在のしかた
という意味もありますが、私は在り方とは物事というよりも”人”に対しての意味合いが強いように思っています。
今夜、EMS(エッセンシャル・マネジメント・スクール)の特別イベントがあるとお友達のみっちゃんこと西さんから声をかけていただき、先週に引き続き参加してきました。
今日は、大久保寛司先生と本間正人先生の対談、そしてEMS代表の西條先生のお話を聞いてきました。
人の存在を認めることはもちろん、肯定されるから人は心を開き、自分を開示する。
私が常日頃お仕事でとても大切にしていることを目の前でお話してくれている。
それだけでも私にとっては大きな肯定です。
そんなお話の中に『在り方』という言葉が出てきました。
私は『在り方』という言葉が好きです。
それはなぜか。
『在り方』という言葉は、存在の”在”という字を使います。つまり、その人の存在そのものだと思っています。
だから人の”在り方”というものに対して、否定なんてあってはならないと思っています。
それはその人の存在自体を否定しているのと同じですからね。
誰かのことを否定したり、疑問を投げかけたり、意見や文句を言うために”在り方”という言葉を使うのはとても怖いことだと思います。
人は自分という存在を認めてほしい、肯定してほしいものです。
それを覆してしまう言葉にもなるのだと思っています。
私自身の”在り方”は、”やり方”でもなく”手段”でもなく、私自身がずっと持っている『軸』そのものだと思っています。
これは昨日、今日の話ではなく、考えてみたら、今まで勤めたお仕事先、もちろん前職でも今のお仕事でも何も変わっていないのです。
大久保寛治先生はこうおっしゃっていました。
『人の在り方は伝えようとしなくても伝わる』と。
とても心に染みた言葉でした。
どんなお仕事でも、どんな場面でも、やっぱり大切なのは人間の『本質』なのだと、先週に引き続き心がなんだか温かくなりました(^^)
そして、やっぱり私は『人』が好きなんだな~と妙に自分自身に納得しながら家路についた夜でした(^^)