こんなにに景色の良いところに一人でいて、ボケーとしていますと、瞑想したり、どうでもよいことを考えたり、はては残りの人生で、あと何回この山にこれるかなぁ⁈とも考えたりします。
ある時は、『ハレとケ』という普段は考えもしないことを考えたりもします。
人生を楽しくやっていくには、『ハレとケ』ということが大事だと思ったのです。
例えるなら、清流の水の澄んだ部分は『ハレ』で、澱んだ深い部分は『ケ』ということになるのですね。
一人ひとりが持っている良い面を伸ばすと放っておいても良くなるというような部分が『ハレ』であり、人生もっと楽しみましょう、という面ですね。
これに対して、今日も酒を飲み過ぎてしまった…明日からは飲むまいとか、風水の生徒さんに未だ分からないの?とイヤミを言ってしまった…申し訳ないとか、反省する懺悔などは『ケ』にあたるわけです。
何でいきなりこんな『ハレとケ』を思ったかというと、このお山の景色があまりにもBeautiful だからです。
ハレは汚いものをひたすら祓う「祓い」であって、最初から自分は光った魂だと考えるので、そのことに気がつけば光り出すといいます。つまり、そこには、もともと過ちというものはないのですね。
このお山にずーっといたら、自分も澄みきれるかなぁ、と思うのですね。
いゃあ、澄みきりたいなぁ、と思うのですね。
ある時、白いお爺さんに言われました
「綺麗な景色は遠くで見ているのが良いんだ。それなのに、人は綺麗な花だといって、持って帰ろうとするだろう」
自然の綺麗な景色を、遠くで「綺麗だなあ」と眺めている分には、心に感動はあります。
それが『ハレ』かなぁ、と。
ところが、その綺麗だなぁ、と思った花を持って帰って、自分の持ち物にしようと思うと、それは心の引っ掛かりになってしまい『ケ』になるのかなぁ……、と岩の上でいろいろと思うのも、この山に来たときだけの楽しみです。



