みなさん、こんにちはニコニコ


心のバランスカウンセラーみどりですキラキラてんびん座キラキラ

 

 

日常とスピリチュアルをつなぐ 

心のバランスカウンセリング

 

 

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前回のブログを序章に

                                        

 

 

 

 

  夫が亡くなってからの15年間を振り返って行こうと思います。 
 
 
こうすることで
蓋をしてきた感情
置き去りにしてきた感情
見て見ぬふりをしてきた感情
が湧き上がってくるような氣がしています。
 
 
未消化のまま放っておいた
「感情」を直視し、癒して
光に還していくことを
やっていきたいと思います。
 
 
これは、わたしの人生の課題であり
ステージアップするための
回収作業であると感じています。
 
 
こうして書いている今,
「見たくなかったものを見る」
「知りたくなかったことを知る」
「氣づきたくなかたことに氣づく」
という恐れの感情が湧き上がってきています。
少しだけ恐れを感じています。
 
 
また,愛する人,大切な人を亡くされて
辛い思いをされている方が
このブログを読むことで
一歩を踏み出せる勇気やきっかけになることを願いながら,
書き綴っていこうと思います。

 

 

 

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 突然の死 

 

夫は15年前の夏

「くも膜下出血」で突然亡くなりました。

 

 

 

その当時は、夫(46歳)わたし(44歳)

長女(12歳)次女(9歳)でした。

 

 

わたし達家族は、夫の優しく温かい、大きな愛に包まれてとても幸せでした。

 

 

夫は「思いやり」と「正直さ」が一番大事!と口癖のように言っていました。

本当にそのように、家族を惜しみなく愛してくれました。

 

 

どんなわたしも責めたり否定したりせず、いつも心に寄り添い、見守り、愛してくれました。

「こんなに幸せになっていいのかな?」と思うほど幸せでした。

 

 

 

夫の死はあまりにも突然過ぎました。

 

 

 

今思うことですが、例えるなら 4本の机の脚のうち、一番力強く支えてくれていた要の1本が突然一気に無くなった感覚でした。

 

 

あまりにも突然過ぎて、3本の脚はどこに移動してバランスを取っていいのか分からず、グラグラの状態で時だけが過ぎていったのだと思います。

 

 

それ以前にバランスが崩れたことすら氣づかずにいたかも知れません。

 

 

 

 

 心残りのお別れ

 

残されたわたし達3人は、夫との最期を覚えていなかったり後悔したり、悔やみきれない別れ方をしています。

 

 

心残りのお別れです。

 

 

今思い返しても胸が苦しくなりますが、「なぜ?」「なぜ、この日に限って!」というお別れをしています。

 

 

 

長女は、お父さん子で、毎日一緒に寝て、毎日玄関で見送り、出迎えを欠かしたことがありませんでした。

 

 

しかし…

 

 

夫が職場で倒れた日の朝に限って長女は見送りをしませんでした。

前夜も夫とは寝ないで、わたしと寝たのです。

 

 

朝起きて「あれ?お父さん、もう行っちゃったの?『行ってらっしゃい』しなかった。」と半泣きで残念がっていたのを、今でもはっきり憶えています。

 

 

 

 次女は前日の夜、夫に「肩を揉んで」と言われたけど、揉んであげなかったことを後悔する日々がしばらくの間続いていました。思い出しては、胸を痛めていた様子を何度も見てきました。

 

この悔やまれる経験をした次女は、今でも人との別れ際のやりとりを大切にしていると言っています。

 

 

 

わたしは、体調がすぐれなくて朝食を取らずに出勤する夫に「頭痛薬飲むなら、ご飯食べないと!」と、やや強めの口調で出勤する後ろ姿に向かって言いました。

 

 

夫は玄関ドアを開けながら「ごめんな。」と言って出て行きました。

 

 

 

 

それきり、わたし達は夫と永遠のお別れになってしまいました。

 

 

 

 

 

 夫が倒れた時のこと

 

 2009年8月11日 朝8時半頃

 

家の電話が鳴りました。

夫の職場の方からでした。

 

 

「奥さんですか?落ち着いて聞いてください。」と電話の向こうから聞いたその瞬間に、「何か大変なことが起きた!」と察知し、全身の力が抜けてその場に座り込んでいました。

一瞬にして胸が苦しくなり、頭の中が真っ白になりました。

 

 

(「意識はないが呼吸はしている」ってどういうこと?)と混乱しながらも、救急搬送された病院まで、車で1時間ほどかけて家族で向かいました。

 

 

学校が夏休みの娘たちは、学校のプールに行くために水着姿でした。

水着を着たまま病院に向かいました。

 

 

病院に着くと、すでに手術の準備が進められていました。

夫の衣服や所持品、靴など身に着けていた物が詰め込まれたビニール袋を手渡されました。

 

 

手術が終わって医者から説明を聞いている時、「意識はいつもどるの?助かるの?助からないの?まずそれを教えて!」という思いでいたので、話がよく入ってこなかった記憶があります。

 

 

夫は、手術後も意識はなく、心臓は動いている状態でした。

「もうすぐ意識がもどるかな?」と、身体がぴくっと動くたびに「あっ、戻った!」と何度も期待していました。

 

 

その日の夜は、わたしは簡易ベッドを借りて、夫の横で寝ました。

娘たちは、義父母の家に泊まりました。

 

 

翌日は、長女が県の水泳記録会でした。個人種目の出場だけなら欠場も考えたのでしょうが、リレー選手になっているということで、義母にお弁当を用意してもらって長女は、ほとんど寝てない状態で大会に出場しました。

 

夫は、仕事の関係で、長女の水泳の大会に居合わせられることをとても楽しみにしていたことも思い出しました。

 

わたしは、病院から県大会の会場まで向かって、娘を応援してきました。

 

 

 

2日目も夫は、心臓だけが動いている状態でした。

わたしができることは、目が覚めることを祈ること、夫の手足をさすることしかできませんでした。〈つづく)

 

 

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