食堂で昼食をとっているときに、昔、同じ職場で働いていた仲間が、たまたま目の前に座った。

「どう最近?」

「残業してるよ。」

「大変そうだね。」

世間話をした後、彼はソフトボールの話を始めた。


「年に2度、出入りの業者2社とソフトボールの対抗戦があって、まだ1回しか勝ってない。最高で2位なんだ。いつも同じ負けパターン。四球を出してランナー溜めたところで打たれるんだ。大体、うちのチームは打てるんだけどピッチャーがストライク入らないんだ。」

「へえ。ソフトボールかあ。…俺、速球は投げられないけど、ストライクは入るよ。」

「じゃあ、うちのチームのピッチャーやってよ。」

「いいよ。」

「一度でいいから優勝したいんだよね。」

「大丈夫。勝てるよ。」

俺はあまり根拠がないまま、そう言った。


小学生の頃から、ソフトボールのピッチャーをしていた。

理由は簡単。他のポジションは守れないからだ。

内野をやっていると、ボールを前にこぼすし、外野をやっているとフライの時の遠近感がよくわからない。

その点、ピッチャーは楽だ。ショートフライのときだけは問題だけど、勝手にマウンドを降りてしまえば、きっとサードやショートが取ってくれる。


朝、デュラン・デュランを聴きながら、試合会場に行く。

会場につくと、もう練習が始まっていた。

全員、ショートのポジションでノックを受ける。一応、こなすことができた。


第一試合は他チームの試合の審判だった。

僕は1塁の塁審をしていた。

そのとき、後攻のサウスポーのピッチャーが四球を出し、めった打ちにあっていた。1回を終わるまでに10失点。

小さい頃から、いつもサードに言われていた。

「ソフトボールは、四球が最悪。打たれてもいい。ストライクを入れろ。」

だんだん、怖くなってきた。塁審を代わってもらい、ピッチング練習をする。

大丈夫。ストライクは入る。


試合は3回で21得点入れたチームがコールド勝ちをした。

その勝利チームは3連覇がかかっているという。

そして、僕たちの最初の試合はそのチームとの対戦だった。


ピッチング練習でも大丈夫だったのに、いざ、試合になったら、ストライクが入らなくなった。

2球続けてボール。

「大丈夫。1球入れば大丈夫。何で緊張しているんだ。今までこんなこと何回でもあっただろう。」

そう自分に言い聞かせた。汗が、落ちる。みんなが何をしているんだという目で見ているような気がする。そのとき、ふと気付いた。ソフトのピッチャーは後ろ足に体重が残るということを。野球とは反対なのだ。

それを思い出して気分が楽になった。

マウンドからバッターを見下ろす。ソフトボールは最後まで見下ろしたまま、投げればいいのだ。

ようやくストライクが入り始め、3者凡退で切り抜けた。


試合はその後、もつれにもつれたけれど、結局、そのチームに勝った。

僕を誘ってくれた人は、ものすごく喜んでいた。

「勝てたよ。緊張でしびれたけど、すごくよかった。外野にもボールが来なかったし。」

彼は彼で、先頭打者ホームランを打ってくれて、気分をいっそう楽にしてくれた。


2試合目はマウンドを譲ってセンターを守った。

打線が爆発して16対5だったので、楽勝ペースかと思って油断していたらピッチャーが突然崩れだし、連続四球の後、めった打ちにあった。

ソフトボールはこれがあるから恐ろしい。


それでも16対14で勝った。

2試合目のピッチャーは、14点取られたところでフォームを変え、変化球主体から速球主体に切り替えた。

「最初からそうやって投げればよかったのに。」

試合後にいうと「本当は投げれないんですよ。でももう、みんなに何を言われるかと思って、最後は必死でした。1人相撲してすみません。」と言った。その気持ちはよく分かる。ピッチャーは孤独なのだ。


そうやって、優勝した。3連覇をくい止めて、偉いと総評を受けた。

優勝商品はビールで、僕は4缶もらって帰った。

試合の直後から、雨が本格的に降り出した。なんとか終わってほっとした。運転しながら勝った余韻に浸っていた。


途中、家の近所にある中尾山温泉に行く。

ここは女性の露天風呂から女性が紐をひくと、男性の露天風呂がのぞけるというお見合い風呂として有名だ。

そのせいか、露天風呂にはなかなか男性が来なかったので、僕は独り占めをしていた。

紐も引かれず、雨の中の露天風呂は気持ちよかった。


家に帰って、ビールを3缶ほど飲むと、疲れていたのか酔いが一気に回った。気付いたら9時を過ぎていた。5時間ほど寝ていたことになる。でも、なんだか幸せな気分だった。

NHKの大河ドラマなんて、小学生の頃以来まったく見ていないけれど、どういうわけか来年のNHKの大河ドラマ「功名が辻」のエキストラをすることになった。


朝、3時に頼んでおいたモーニングコールで起きる。

なにしろ朝4時に集合なのだ。


外に出ると、寒い。昔、山登りをしていたときには、よく嗅いでいた夜の終わりの匂いがした。


集合場所に着くと、既に多くの人が待機していた。

流れ作業で、カツラ、(汚れた顔にする)メーク、着物の着付け、鎧、地下足袋、わらじ、スネ当てを身につけ、最後に、刀を付け、傘を被る。

今回の僕の役は雑兵役である。


バスに乗せられ、千曲川の河川敷へ。

小雨が散る中を、歩くのは寒かった。なにしろ、下着はパンツだけ。あとは着物と、鎧しか身につけていないのだ。

シベリアへ行進させられるポーランド人になったような気持ちだ。


川で待機しているうちに、雨が上がった。しかし、まだ寒い。

最初、僕たちは浅井長政軍だった。

僕は鉄砲を渡され、鉄砲隊になった。

川の水に膝を降ろし、放て、の合図で引き金を絞る。


鉄砲隊


昔、山登りをしていた頃「こんなに飯盒でメシを炊くのがうまくなったり、山ばっかり歩いて地図読みしていたら、俺たち戦争が起きたら、即、陸軍ですね。」などと話していたのだが、鉄砲を打ったりしていると(もちろん、空砲だけど)ああ、陸軍に入ったなあ、という気がした。


鉄砲隊の撮影の後は、いよいよ姉川の戦いの突撃シーンである。

槍を持たされ、陣形を作り、前にいる騎馬隊を追い越して、千曲川の中まで走れ、という指示だった。

始めは冗談だろ、と思っていたが本当だった。

「おおー!」などと言いながら、川の中に突っ込んでいく。

膝から下はたちまち水に濡れ、寒さに震えた。


突撃前


それから、浅井軍の陣形を何度も撮り直し、さらに、織田軍、秀吉軍、明智軍までやった。待ちの時間が長く、つらかった。途中から日が差してきたのが、唯一の救いだった。


「雑兵のみなさーん。隊列はそのままで、もう5メートル下がってください。」

「雑兵のみなさーん。織田軍を睨みつけ、自分を大きく見せてください。視線、こっちにくださーい。」

雑兵のみなさーん、と何度も呼ばれていると、本当に雑兵になったような気がしてくる。嫌だなあ、戦うのなんて、と思う。でも、中にはもちろん「やっつけてやる!」とノリノリの人もいて、何だか本当にリアリティがあるのだ。


エキストラの中には、もちろん、プロダクションから来た人もいるし、JACの人もいた。

いろんな人の指示にいちいち「はい!」と大声で返事をするので、すぐにわかる。

その人達は、僕たちが解放された夕方の5時以降にも撮影があり、終わる時間はなんと7時!


今回唯一来ていた俳優は、ちょっと来て、ちょっと写って帰るだけなので簡単だが、エキストラの人はずっと立ち続けで、いろんな人の指示どおりに動かなくてはいけないし、本当に大変な仕事だと思った。


もっと簡単で楽しいものかと思っていたよ。


でも、トータルで考えると悪い経験じゃなかった。

一日を川べりで過ごして、単純に楽しかったし、それに…。


鎧を着たまま、弁当を食った後、居眠りした。

目を覚ましたら、太陽のせいで、周りが緑色に見えた。

高校の日本史の授業をサボって屋上で寝ていたとき以来のことだったので、ちょっと感動した。



アメリカのジョーク集を英語の勉強を兼ねて、読んでいた時期があった。

毎日1つずつ覚えて、職場にいた外国人に聞いてもらった。


ジョークの世界ではポーランド人がバカにされることが多い。

「床屋に来たポーランド人が、ヘッドフォンをしている。床屋の店主が、邪魔なのではずせというが、はずさない。無理矢理はずしたら、のどをかきむしって死んでしまった。ヘッドフォンを聞いてみたら「息を吸って、吐いて…」と流れていた。」などなど。


最近、昼休みにスラヴォミール・ラウィッツの「脱出記」を読んでいる。

まだ途中だが、ソ連にスパイの疑いで捕まった無実のポーランド人が、酷寒のシベリアから灼熱のゴビ砂漠を抜け、インドまで脱出する話だ。


読んでいるとポーランド人の悲しい歴史が見えてくる。

ソ連かナチスか。ポーランド人は捕虜になるにも、選択をしなければならなかったのだ。

どちらに連れて行かれても、最悪である。


読みながら、僕だったら、と思う。

スタートのモスクワの裁判所の恐ろしく残忍な拷問で、例え無実であったとしても、スパイだったと自白して銃殺されていただろう。

このモスクワで、このポーランド人は手に焼けたタールをかけられ、歯を銃握で、最初は片側を、次にその反対側を折られ、何日も石棺のような身動きできない場所に閉じこめられ、数ヶ月に渡る尋問を受けるのだが、最後まで自白しないのだ。そして判決は、シベリアで25年の強制労働。

読むほどに、この地獄を生き抜いた人間がいるなんて、信じられない気持ちだ。

何も知らないで、ポーランド人をバカにしていた自分が情けない。



昨日は、午後8時30分頃まで会議をしていた。


その会議のなかで、部長が突然「トップに出す書類の数字は3桁コンマ区切りは禁止。全て億万単位に書き直すこと」と言い出したので慌てた。「3桁コンマ区切りは、日本に合わない」とトップが禁じたというのだ。


確かに、3桁コンマ区切りは、単位が千円なのか円なのか気をつけないと、間違ってしまうことが多い。

しかし、漢字交じりの数字の表が読みやすいのか?エクセルで関数対応できるのか?

何しろ、手元にある資料だけでも100ページを超えるのだ。

これを全て、直せと言うのか…。


予感は的中。おって、65,000,000を6500万円に。100,000,000円を1億円に、表も含めて全て書き換えるように指示が出た。

あちこちで不満の声があがったが、「トップと感性を共有できない者には、いつでも辞令を書く」というお言葉付きだったので、皆、黙ってしまった。

「俺、じゃあ3桁コンマ区切りで提出したい。」と言ったが、誰も相手にしてくれない。皆、自分の書類を直すのに精一杯なのだ。


実際にやってみると、エクセルのセルの表示形式の変更では無理だと分かった。そのうちに、どこからともなく、変換の関数が手に入った。

5行以上にわたるIF関数だった。


(これが実際に使った関数。G11のセルに入っている千円単位の3桁コンマ区切りの数字を、億万単位に変更する式になっている。

=IF(G11=0,"-",IF(ROUNDDOWN(G11,-5)/100000>0,ROUNDDOWN(G11,-5)/100000&"億"," ")&IF((G11-ROUNDDOWN(G11,-5)-(G11-ROUNDDOWN(G11,-1)))/10>0,(G11-ROUNDDOWN(G11,-5)-(G11-ROUNDDOWN(G11,-1)))/10&"万"," ")&IF((G11-ROUNDDOWN(G11,-1))>0,(G11-ROUNDDOWN(G11,-1))&"千"," ")&"円")

しかし、これでもマイナス2億円とかの表示に対応できない。どうしたらいいか分かった人は、ぜひ、コメントしてください。)


他にもいろいろな仕事があったので、結局、0時過ぎまで残業した。


自分の仕事を終え、他の部署に行くと、そこでも似たような作業に追われていた。

ちょうどそのとき、外部から電話が入り、職場に緊張が走った。

「こんな夜中に。しかも外部から…。」

皆が見つめる中、受話器をとった人は、話しているうちに笑い出した。


課長から植物に水をやるように指示をされていた人が、忘れて帰ってしまったので、代わりに水をあげて欲しい。という内容だったらしい。あまりにへなちょこな電話で、おかしくなった。


「この際、枯らせちゃえよ。」誰かがそう声を出し、妙にハイになっていたので、みんなで笑ってしまった。


笑いながら、どんなにつらくても空しくても、あのポーランド人のように生き抜こう、と思った(大げさでどうもすいません)。


久しぶりに実家に帰った。


特にすることもないので、アロマの本を読んだり、以前に読んだ岡崎京子の「うたかたの日々」や西原理恵子の「人生一年生」などを読み返したりしていた。


夕食を腹一杯食べて、風呂に入る。

ビールを飲んで、9時頃には眠ってしまった。


飲みきれなかったビールは、枕元の台に置いて寝ていた。


夢を見た。


夢の中で、僕は実家を出るところだった。そして、枕元のビールを見つける。

「もったいないから飲んじゃおう。」

などと言って飲んでしまう。

ふと鏡を見ると顔が真っ赤。

「これはまずいなあ。」と思ったところで目が覚めた。


時計を見たらまだ3時だったので、夢を現実にしないように残っていたビールも全部飲んでしまった。


10月29日にソフトボールの試合がある。

実家の近くには、ソフトボールの打てるバッティングセンターと、普通のバッティングセンターがあるので、そこで練習することにしていた。

父親が野球好きだったので、よくバッティングセンターに連れて行ってもらっていた。

父親がボカスカ打っている隣で、僕はいつも空振りばかりしていた。

自分が運動神経がいいからだろうか。

「ボール、ちゃんと見てるのか?」

「見てるよ。」

ときどき不思議そうに僕を見つめているのだった。


ソフトボールの打てるバッティングセンターに行くと、そこには緑色のネットもなく、ただ小さな居酒屋が一軒ポツンと立っているだけだった。

「なんてこった。まったく。」と思った。


そして、もう一軒のバッティングセンターに行くと、そこもなくなっていた。

「あのなあ。君たち…。」

車から降りて、しばらく呆然としていた。


姉に電話をすると、そういうことにまったく興味がないのか、「そういえば、ずいぶん前から見かけない。」とつまらなそうに答えるのだった。


仕方がないので、そのまま姉の家に行き、コーヒーを飲ませてもらう。

姪と話をする。前日にアロマポットをプレゼントしてあげたので、今日の姪は嬉しそうだ。


200点満点の数学で49点だったのだという。そして49点以下は補修を受けることになった。

補修を受けるのはクラスで4人だけらしい。他の3人は男子だという。

「クラスで、バカ四天王は誰だ、って話になって、男子はみんな名乗ったんだけど、私は小さな声で「私でーす」って言っただけ」と彼女は言うのだった。

「でも、私、49点だったから…。補修を受けることになった男子の1人にだけ打ち明けたんだ。そしたらそいつに「じゃあ、補修を受けるなかではおまえが一番頭がいいんじゃん。」って褒められた。」彼女は笑顔を見せてくれる。

「なるほどなあ。」姪の話は面白い。


姉と姪は、23日に漢字検定の準2級を受けるのだという。

問題集をみせてもらったが、なかなか難しい。

「実は、僕もアロマテラピー1級を受けるんだ。」と自慢げに言うと、姉に「アロマテラピー?バカみたい。」と冷たく返された。


実家からの帰りに、戸倉上山田温泉に行き、温泉に入って帰ってきた。


実家からの荷物を取り出すとき、実家に帰る前に準備していたバッティンググローブが後部座席に転がっているのを見つけた。


何だか少し悲しい気分になった。

鳥取県の倉吉駅の売店で本を見ていた。


「この本ならいいかも。」

一緒に本を見ていた埼玉の女性が手にしたのは、山本文緒の「プラナリア」という本だった。

2冊あったので、僕も少し読んでみた。確かに悪くない感じだった。

それで、僕も同じ本を買った。


鳥取空港でみんなと別れてから、飛行機の中で読み出した。

読んですぐ、以前に読んだ本だ、と気付いた。

たぶん初版で読んでいたはずだから、今から5年ほど前に読んでいたことになる。


その頃は、まだこの本のすごさが分からなかった。


今読むと、心が痛い。


自分のせいで、自分が不幸になる。

不幸にしたのはおまえのせいだと、決して逆らわない人を責める。

誰かに助けて欲しいと叫ぶ。

でも助けが来ると、そんなものはいらない。もしくは、足りない、と責める。

最後は、自分から、せっかく助けに来てくれた人を捨てる。


読みながら、俺もこういう身勝手な人間だったなあ、と思う。

今でも、そうかもしれない。



昔、酒乱の上司の部下だった。

その上司は飲み会のたびに途中から必ず文句を言い出し、最後は手が飛んできた。

僕も何度か殴られ、飲みに誘われるのが怖かった。

職場に行って顔を合わせるのも苦痛だった日々がある。


その上司が、職場旅行で伊勢神宮に参拝したとき、妙に真剣に神頼みしていた姿を思い出す。

「あのさあ、幸せになりたかったら、神頼みするより自分を治した方がいいんじゃない?」

とそのとき思った。


でも、それは自分だって同じことだった。

「プラナリア」のなかの「囚われ人のジレンマ」を読んだとき、主人公の恋人が自分のように思えてきて、嫌になった。


旅行の帰りの電車の中で読み終え、それから家に着くまで、ため息ばかりがこぼれた。


それでも、決して悪い本じゃない。

いい本。それは間違いない。心が痛むけれど、お薦めです。


他に最近読んだのは、石田衣良の「池袋ウェストゲートパーク」、奥田英朗の「ララピポ」、中川政雄の「やったらやれるで」。


池袋ウェストゲートパークは、文章力のない男が主人公のせいか、ストーリーは走っているけど、奥行きとか深さがない。まるでテレビシナリオを読んでいるようだ。

話も単純化しすぎる。「青の服を着たチームと赤の服を着たチームとの抗争が激化した。そのため池袋では、青や赤の服を着る若者がいっさいいなくなった。」って、あり得ないだろ、と思った。


ララピポは、帯にお下劣と書いてあるけど、それほど内容はお下劣でもない。わかりやすいし、よくストーリーも練ってある。でも、妙に閉じた世界で開放感がなく「サウスバウンド」のときのような、爽快感がない。


「やったらやれるで」は元信金の営業マンの書いたビジネス啓蒙書。たまにはこういう本もいい。銀行員が何を考えているのかがよく分かる。でも、やはり実話がメインなので面白さや派手さはないなあ。

ビッグコミックに連載している「まいど!南大阪信用金庫です」ってつまんない漫画があるけど、その漫画よりは、まし。



今日の夜からロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」を読み出した。

子供向けの本だけど、ものすごく面白い!


まだ途中までしか読んでいないけど、これは間違いなくお薦めです!


(なんて書いていたけど、面白かったのはチョコレート工場に行くまでで、行ってからはつまらなかった。

途中までしか読んでないのに、間違いなく薦めるなよ、俺。今後、気をつけます。)


朝、8時30分から車に乗って、コンビニで朝食を取り、松江城へ。

島根県に入った途端、素晴らしい道路と「はこもの」と呼ばれる建築群に圧倒された。

まるで、都会のような道路や建築群を見ていると、「はこもの行政」も悪くないなあ、という気になってくる。


松江城に行く前に、お堀ツアーをした。船で、内堀、外堀を巡るのだ。

船頭さん(女性)の説明も面白く、思ったより、ずっと楽しかった。


松江城では天守閣まで登った。

途中、高知の仲間と「高知城と松本城とどちらが古いか」で討論した。

高知城はだいたい1748年頃、松本城は1600年頃に建てられているから、圧倒的に松本城の方が古いのだ。

ちなみに、松江城は1611年建築である。


松江城


松江城を見た後、ぼてぼて茶を飲み、


ぼてぼて茶


小泉八雲記念館、武家屋敷などを見た。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談を僕は英文で読んだことがある。

でも彼の人生が、怪談並みに厳しく、そしてかわいそうなものだったのだと初めて知った。

彼はこの松江に来て、きっと安らぎを感じたのだろうなあ、と思った。


その後、そば屋で昼食を取り、出雲大社へ。

神在月のせいだろうか(10月は神無月。でも実は出雲にみんな集まっているので、出雲だけは神がいっぱいいるのだ。)、思ったよりも観光客が多くてびっくりした。

特に、若い女性が多かったのが印象的だった。


僕はここで、おみくじをひいた。

「あまり自惚れたり、自慢をするな。偶然によって利益を得ようとするな。努力をすれば、願い事はかなう。」といった内容だった。


願い事の最後に「…えーと、それから、宝くじに当たりますように。」などと祈ったばかりだったので、さすがに恥ずかしくなって赤面した。

その一方で、おみくじなんかで馬鹿馬鹿しいとは思いながらも「努力をすれば、願い事はかなうのか」と思って、少し嬉しかった。


出雲大社


出雲大社の近くの日御岬に行き、灯台に登る。

日本海がとてもきれいに見えた。

最上階まで登ったとき、鳥取の女性は「今、地震が起きたり、手すりが腐っていたら、落ちちゃったら死んじゃう。」などと言って怖がっていた。

「あんまり、そういうことはないと思うから大丈夫だと思うけどなあ。」

思わず、笑ってしまった。


(下は、灯台から見た写真。これと上の出雲大社の写真は高知の男性が写した写真です。)


日御岬


宿泊は三朝温泉に泊まることになっていた。


三朝温泉に行く間に、初日に会った埼玉の女性の元上司から電話が入った。

彼は土日もずっと夜遅くまで仕事があったはずなのに、かつての部下のために、仕事が終わった後、おみやげを三朝温泉のフロントに預けてくれるというのだ。鳥取から三朝温泉まで、運転したら1時間近くかかるのに…。


日頃、いやいや仕事をしている僕にはとても考えられないことだった。

でも、彼の姿勢は尊敬できた。こうならないといけないんだな、と思った。


三朝温泉は素晴らしくよく、温泉も食事も豪華だった。

とりわけ、ウニ入りのイカの塩からは絶品だった。


UNOやジェンガなどを1時頃までして寝た。


翌日は、倉吉駅で埼玉の女性を見送り、僕は鳥取空港まで行ってみんなと別れることになっていた。


今回の旅行では、いろいろと自分の至らなさを感じた。


マニュアル車の運転ももう少しマスターしないといけないし、もっと真剣に仕事をしようとも思った。

愚痴ばかり言っているのも、情けない。

世の中には埼玉の女性の上司のように、土日も働いて、なおかつ、人に親切にできる人だっているのだから…。


空港で、自分の乗る飛行機が来るのを待ちながら、僕はそんなことを考えていた。


最後に別れるとき「今度会うときは、俺、もう少しましな人間になっているよ。」と思いながら、みんなに手を振った。

今回は、鳥取の女性が車を出してくれることになっていた。

軽自動車だとは聞いていたが、大丈夫だろうと思って持っていった荷物が大きすぎて、みんなにまた怒られた。


とりあえず、僕が運転をして、浦富海岸・島めぐり遊覧船に乗りに行った。

海は天候が悪いせいで荒れ気味だったが、それはそれで楽しかった。


浦富海岸


その後、僕の運転は下手だということで、やはり鳥取の女性がした方がいい、ということになり僕はナビとして鳥取港へ向かった。

そこにある若林という店で豪華な昼飯を食べた。

天ぷらや刺身などふんだんについて、1050円。

なんて安く、そしておいしいのだととても満足した。


鳥取市内にある仁風閣に行く。

明治時代の西洋建築なのだが、保存状態がよく、庭はとてもきれいだった。

同じ西洋建築でも、軽井沢にある旧三笠ホテルや文京区にある鳩山記念館などは、ここの美しさに比べたら、どうっていうことはない。


倉吉市の白壁土蔵群も見た。

大きな鯉が泳いでいた。

ここで飲んだジャージー牛乳のヨーグルトはおいしかった。


その後、水木しげるロードへ。


ここは、映画「妖怪大戦争」でも取り上げられた町だが、町の至る所に妖怪のブロンズ像があり、街灯なども目玉のおやじ風になっている。


観光客も多く、妖怪で町起こしとは…。そしてそれが成功するとは…。と驚いた。


水木しげるロード


その後、境港の港湾設備などを見ながら、米子のホテルへ。


そして、この日も2件ほど飲み歩いた。

おいしい料理が多く、腹一杯食べ、そして飲んだ。



7日から10日まで、以前の職場の友人4人で、山陰を旅行することになった。

高知県から男性1人、あと埼玉と鳥取の女性が1人ずつ、それと僕の4人だ。


僕は名古屋の中部国際空港から小さなプロペラ機に乗って鳥取空港に向かった。


飛行機


埼玉から来た女性と鳥取空港で合流し、それからバスに乗って鳥取駅へ行き、そこで高知から来た男性と合流した。


ホテルにチェックインした後、簡単に昼食をすませてからループ麒麟獅子というバスに乗って鳥取砂丘へ。

海が見える砂丘の頂上まで歩いた。

日本海はあいにくの曇り。

黒い海面を見ながら、もう秋の冷たくなりかけている風に吹かれていると、なんだか気分も沈んでいくようだった。


鳥取砂丘


砂丘の近くにある観光センターで、鳥取砂丘ビールという地ビールを飲む。

日本中、どこにでもある地ビールの味がした。


再び、ホテルに戻って、埼玉の女性の昔の上司と会った。

とてもいい人だったので、ついいろいろな話をした。


その後、3人で僕の部屋でテレビを見る。

今回、一緒に旅行をする鳥取の女性は、このテレビに生出演するというので期待していた。


ところが、実際には彼女はただポスターを持って立っているだけで、セリフは全くなかった。

そして、そのイベント内容を男性が説明するのだが、たどたどしくて、よく分からない。

時間は30秒ほどだっただろうか。

説明が終わると、彼女は「なんか変だな」と小首を傾げながら、画面から消えた。


本当は、彼女にもマイクが向けられ「皆さん、来てくださいね。」みたいなことをいうはずだったのに、マイクがなかったからだという。

でも、それは見ている僕たちには全く解らず、

「今、首を傾げていたよね。」

「こっちが、傾げたいよ。」

などと話していた。


この告知番組は、番組全体を通しても、アナウンサーも出演者もなぜかなかなかカメラを見ず、手元の原稿をみんなで見ていたり、隣にあるホワイトボードをぼんやりと眺めていたりするので「変な番組だなあ。」と僕たちは話していた。


その放送が終わって30分ほどで、鳥取の女性も合流した。

彼女に連れられて、それから2件ほど飲みに行った。


「私の上司と、あなたがくだらない話をしていたおかげで、私は何もしゃべれなかった。私はもっとしゃべりたかったのに。」

埼玉の女性はそう言って、僕のことをかなり怒っていた。


「どうも、すみません。」

僕は反省して、ビールを飲んだ。

その後も、いろいろなことで怒られているうちに、つい飲み過ぎてしまった。


そのせいで翌日は少しつらかった。


11月にアロマテラピー1級の試験を受けることにした。

試験といっても、問題集を見ている限りでは、それほど難しくなさそうだ、というのが実感である。


ニュージーランドにいるフィンクルも、政府で働きながらアロマテラピーには情熱を傾けていて、オークランドから材料を取り寄せて、トリートメントオイルや、芳香剤、石けん、リップクリームなどを作っているらしい。


カナダにいるジェニファーは、大学でアジア市場について研究をしていて、今は孔子(儒教の祖)と老子(道教の祖)を読まなければならない、と嘆いている。


将来、3人で組んで何か商売をしようと、メールが来る。

今の職場はつらすぎるので、そんなことを考えたりするのは、とても楽しい。



アロマの勉強をして知ったのだけど、もともと、香水やアロマの文化はヨーロッパにはなかったらしい。

十字軍の遠征の際、アラビアで進んでいた蒸留法やアロマの文化を知ったというのだ。


以前、パンもチーズもワインもまんじゅうも餃子もピザもチャーハンもルーツはアラビアだ。という本を読んだことがあって、そのときも驚いたけれど、アラビアは一時期、本当に文化的に進んでいたことがよくわかる。


料理のコースの出し方も、ベースはアラビア生まれ(後ウマイヤ朝)だと聞いたこともある。それがピレネー山脈を越えてフランスに渡ったらしい。

まんじゅうや餃子はシルクロードを越えて中国に伝わった。


ここでふと不思議に思うのは、食文化がアラビアから世界中に、ピレネー山脈を越え、ゴビ砂漠を越えて広まったのに、なぜ、ドーバー海峡だけは越えられなかったのか、ということだ。


そして、アロマの世界でも。


先日、フランスで暮らしていた栃木の女性から「フランスでは精油を飲む」と聞いて驚いたのだが、どうやらそれは本当で、フランスでは医師が処方箋を書いて精油を処方し、それを飲むらしい。


ところが、ドーバー海峡を越えたイギリスでは絶対に飲まない。

そして、日本のアロマはイギリス流なので、日本でも絶対に飲まないのだ。


イギリスでは、ドーバーを渡ってきたものは、口に入れてはいけないという昔からのルールがあるのだろうか…。

ふと、そんなことを考えてしまった。


話はまったく変わって、本の話。


ロバート・マキャモンの「少年時代」を読み終わった。上・下巻で990ページ近くあった。

人には薦めないが、僕には向いた小説だ。一応、サスペンスの形式はとっているが、約700ページくらいは、メインのサスペンスにはまったく関係のない、作者の少年時代が描かれている。


僕がとても印象深かったのは、主人公の少年が担任の先生に1人だけ呼び出され「少年は皆、大人になりたがるけど、秘密を教えてあげる。本当は、誰も大人になんかなれないの。大人のフリをしているだけ。」と言われるシーンだ。


「実は相手も自分も子供なんだ。」という自覚のあるかないかは、いくつになっても、いろんな場面で大きく人生を左右しそうな気がした。


それから安野モヨコの「ラブ・マスターX」(上・下巻、漫画)を読んだ。ちょっと濃過ぎで、僕にはちょっと…。

という感じでした。やっぱり彼女は「ハッピー・マニア」が最高だったな、という感じです。


というわけで、今回もお薦めできる本はありませんでした。


それから、「ボーン・スプレマシー」を今頃になってDVDで観た。まあまあだったけど。

脚本はいまいちって感じだったけど、ストーリーとストーリーのつなぎ方が、とても切れ味が鋭くて、その点はとても気に入りました。


茨城からきた仲間は、木曽の御岳山に登るからと、朝4時頃バタバタと出かけていった。

「あいつ、あんなに遅くまで起きていたのに、よく体力があるなあ。」

と思いながら寝ていた。


6時過ぎに、福島から来た仲間も起きてきた。

「風呂に行くけど、どうする。」

「俺は寝てるからいいよ。」

彼は最近5時頃、起きているらしい。早起きの奴ばかりなのだ。


「彼は…。」

「そこにあるのは、布団であいつじゃないよ。あいつは4時頃出ていったから…。」

「ああ、そう。」

福島の仲間は笑いながら風呂に出かけていった。


7時頃、目を開けた。めんどくさいなあ、と思いながら起きあがり、周りを見ると4時に出かけていったはずの茨城の奴が寝ていた。

どうも天候が悪そうなので、御岳登山は中止にしたらしい。


風呂に入りに行き、それから朝食を食べた。

「自然だけが取り柄の場所だから、天気が悪いと何もできない。」

茨城の奴はぶつくさ言いながら食事をし「じゃあ、また。」と言って梓水苑から出ていった。


出かける準備をして、僕たちも上高地に向かうことにした。

天候は悪いらしい。上高地はきっと寒いだろう、と聞いて福島の仲間も

「明日、仕事なので、どうしても今日の明るいうちに帰りたい。上高地まで行かなくていいから、沢渡の駐車場まで行って帰っていいですか?」などと言い出す始末。

「そこまで行って上高地に行かなかったら、後悔するぞ。絶対に行け。早く帰れるようにするから。」

そう言うのがやっとだった。


福島の仲間の車を波田町役場に置いて、皆、僕の車で移動することにした。

「きれいな湖ですね。僕もうここで十分です。」

福島の奴は、梓川のダム湖を見て、そう言った。


沢渡の駐車場でタクシーに乗り換えて大正池まで。タクシーの運転手はなかなか話し好きの人だった。

上高地の玄関口である釜トンネルが新しくなった話などをしてくれた。

なぜか、上高地に向かうほど、天気が良くなっていく感じだった。

大正池に着く頃にはすっかり晴れ上がり、昔、登った西穂高岳までがきれいに見えた。


大正池


「すごくきれい。」女性は大喜び。

「福島の裏磐梯なみにきれいですね。」福島のやつも褒めてくれた。


大正池から、河童橋まで歩いた。

秋の日差しの中の上高地は本当に美しかった。梓川の清流も、信じられないくらいに透き通っていた。


河童橋から見る、西穂高の美しさには改めて感動した。

「あそこに登ったのだ。」


西穂高の岩は脆くて、落石が怖かった。

山頂も狭く、怯えながら、ポリタンクの水を飲んでいたのを思い出した。


でも、久しぶりに見る山は本当に美しかった。

「ここまで来て、よかっただろ。」僕が聞くと

福島の奴は「裏磐梯が…」などと訳のわからないことをつぶやきながらも頷いた。

五千尺ホテルでお茶をして、バスに乗って沢渡の駐車場へ。


それから、梓川のダムを見て、天ぷらそばを食べて、波田町役場で福島の奴と別れた。


「リンゴを買いたい。」

栃木の女性が言うので、車を走らせたが、カーナビがおかしいのと休日でなかなかリンゴを売っている直売所が見当たらなかった。


やっと見つけた直売所でも「ちょうど品種が切り替わる時期で、今はリンゴが少ない。」ということだった。

直送は無理だというので、持ち帰ることにした。


松本駅で女性とも別れた。

「すごくよかった。」と言ってもらえて嬉しかった。


彼女たちが帰った後、待ちかまえていたように天気が崩れだし、雨が降り出した。

僕は帰り道からはずれて、再び「すずむし荘」の温泉に入りに行った。


内湯からずっと雨の降る景色を見つめていた。

降る雨をずっと見つめていると妙に頭の奥だけが冴えてきたような気持ちになった。


「茨城の奴はどうしたのだろう。」

ふと思ったが、そんなことはどうでもいいことなので、考えるのを止めにした。