大きな窓を背に立っていたから、眩しくて表情なんか全然見えなかった。
それでよかった。今はそう思える。情けないけど、涙が出そうだよ。

「思ったより、元気そうだな」

何週間?何ヶ月?――分からない。
気を失ってからどのくらいの時が経っているんだ?この建物に閉じこめられてからは、多分、三週間ほどだ。

「あいつらが外で見てるよ。あんたが秘密を知ってるんじゃないか、って思ってる」

監視カメラの赤いランプが、今おれが立っている場所から4つ見えた。

「本当に、知ってるんですか」
「さあなァ・・・」

鷹さんは息を吐きながら、笑った。

「煙草吸うぞ」

その話はそれ以上続けずに、リベラマイルドの箱を取り出す。
おれは、眼を閉じた。
リベラマイルドの匂いが、嫌いだった。特別に嫌いだった。
今なら分かる。ずっと閉じこめていた記憶の中で、この匂いにいつも縛り付けられていた。
あいつの匂いだった。ずっと、変わりなく、あいつの匂い。

・・・・・。



・・・おれは眼を開けた。



(リベラマイルドじゃない・・・?)
箱はそうだが、鷹さんが吸っているのは違う煙草だ。これは。
「吸うか?」
マイルドセブン――。
おれは近づいた。
「なあ虎侍、おれは後悔してるよ。お前を拾ったことを。こんなことに巻き込みやがってよ・・・」
煙草を一本もらった。コブラだ。
「できることなら、やり直したい」
そんなことを言う人だとは思えなかった。
「あのときおれが中心部へ行かず留まっていれば、会わなくてすんだ」
留まる?どこへだ。鷹さんはマイルドセブンをくわえた。

・・・・・・ああ。そういうことか。

「そういうことなら、おれだって」
おれはそう言ってコブラをくわえる。コブラ、北の頭龍が吸っている煙草だ。
「今やり直せるなら、あそこには行かない。違う場所に逃げ込むよ。それでいいんだろ」
鷹さんは眼を細めてうっすらと笑った。


「ああ。それでいい。全部なかったことにできる」



「忘れるなんて、あってはいけないんです」

薬が効いてきたようだ。頭が重い。横たわる身体の指先ひとつ動かせないが、不思議と声は出た。
伝えたい想いがあるんだよ、どうかこれだけは言わせて。
手も足も鉄の鎖で巻き付けられている。
今ここで眠って、次に目を覚ますことはないかもしれない。
ならここでだ。ここが最後の――

「忘れることはあるんだよ、君。要らないからだ。その情報が、屑だからだよ」

彼は椅子に座って、ぼくを見下ろす。
ぼくは彼を見上げ・・・彼の後ろにある小さな窓、そこから見える大きな焼却炉を見つめる。
焼却炉からは長い煙突が伸びていて、先からはポンポンと火花が打ち上げられる。
すぐに散ってしまうものもあれば、花火と言えるくらいの大きさのものもあった。

「あそこで燃やされるのは、あんた達が屑と呼ぶ記憶の欠片なんだろう」
「そうだ」
「じゃあどうして、光るんだよ。どうしてエネルギーを持つ。あの大きく光るものは、それだけ強い想いが込められているんだろう?それを屑と呼ぶあんたの頭ん中、どれだけ大事なものが詰まってるっていうんだ」
「・・・・・」
「僕を燃やしてみろよ。僕の中の”あの人”の記憶全部」

全部。あの人の手の温かさ。声の柔らかさ。笑顔の眩しさ全部。
奪えるものなら奪ってみればいい。

「この街すべてを照らしてやる。あんたが屑と呼ぶぼくの記憶が、どれだけぼくの熱か。血か。命か」

彼はため息をつく。深く、深く。
そしてそっと手を伸ばし、ぼくの頭をなでた。

「どうして君はそう、危険分子なのだろうか」

彼の悲しげな茶色の眼から、一筋の涙。
それがぼくの頬に落ちて、流れる。

「私は君を助けたいのだ、メルロー君」
「?」

焼却炉の煙突から、大きな火花が上がってーー

ボン!

と、弾けた。閃光弾のように激しく光って、ぼくらを包み込んだ。

眩しくて眼を閉じたそこに、声だけが優しく降り注いだ。

「君が生前わたしを助けてくれたように」






息をしている。

記憶も、記録の中の人たちも、みんなみんな息をしている。

(止まっていたのはなんだったんだよ)

なにも動かないと感じていたのは、なんだったのか。
なにも変わらないと感じていたのは?

(止まっていたのは、おれの心だったのか)

分からない。そんなことは分からない。
けれど、涙が出る。身体は動かない、このまま溶けてしまいそうなふやけた頭ん中。なにも震えていないのに、突き動かすものがある。

涙が出る。

『おい、生きてるか』

声が降り注いだ。
うん、生きてるよ。と返す。そうか、おれ、すごく高いところか落ちたんだったな。
じゃああれは夢だった。
死んだはずの人たちが、笑っていた。笑って、おれの頭をなでていった。
あれは全部夢だった。

『そこにいろよ。今行くから』

わかった、いるよ。
あんたがきてくれるなら、おれここにいるから。
信じてここにいたいと思うから。


だから、忘れないで。



おれに涙を流させるのは、あんただけだということを。


写真詩:煙の咲く夜にもう一度逢おうか。-霧




思い切って変えてみた世界は案外変わらなくて 少し安心した。

あの日々も、この日々も、本当は大して変わらないのかもしれない、なんて

そんなことを思いながら

やっぱり胸は痛むし

涙は出る。

でももう取り戻せないし あなたはどんどん知らない世界に進んでしまうのだから

わたしはこれ以上あなたを見つめ続けることはできないんだよ。

ああ 過去のあなたに会えたなら もっと早く もっと早く ちゃんと言葉に出せるのに。

一緒に寄り添えた日々を大切にできたのに。

だけどあなたは鈍いから いつだって気付かなくて 笑って他の人の話をするのね。

それならずっと苦しいままだから 触れないままでいいから

もう一度あなたを好きになりたいなあ。

失う代わりに手に入れたものが 今 わたしを変えようとしているよ

それでいいのかい?

もう少し歩いてみるよ。思い出にならない思い出が引き止めても 泣いても どうなっても

振り切って 身を任せてみるよ。



好きなんだよ。





写真詩:煙の咲く夜にもう一度逢おうか。-火





誰かの心に 強烈に焼きついたなら


もう思い残すことはない。



写真詩:煙の咲く夜にもう一度逢おうか。-チョウ



ほんとうに分かりたい想いに言葉がつかない。

なにも結びつかない。なにも描けない。

それを抱えながら言葉を結んでいくことに疑問を感じるんだ。


意味なく重なった文字に、絵に光を見つけることだってできたのに今は、

・・・今は、柔らかい絶望に包まれている。



僕はそんな中で声に出そうとしている。


そうすることにした。いつだってそうすることにした。


不思議なことに繋がりたいものに繋がれないから
不思議なことに傍におきたい気持ちに距離を置かなければいけないから


そんな縁でも関係でも世界でも気持ちでも悔しくて悲しくてでもどうしようもできないから、ただ



・・・ただ、声に出すことで言葉に色がつくなら、それでいい。


それでいいんだ。




声を出す。静かに。
声を出す。確かに。
声を出しているわたしがいる。

それでいい。




消えないように願う。
同時に消えてくれと思う。

こういうものが一緒にあるから。
これが償いなら、これ以上の償いはない。


悔しい。


今もまだこんなに暗い気持ちになることが。


自分だけがまだこんなにも胸を締めつけられることが。



写真詩:煙の咲く夜にもう一度逢おうか。-よどみ



浴槽の生温い水を手でかき混ぜた。
言葉がゆらり、ふらりと散り散りになっていくのが見えた。

このひとつひとつ。美しい。きれいだ。とても。優しい。輝いている。
それが、、
ひとつくっつき。ふたつくっつき。そして襲いかかる。
見下ろす。叩く。撃つ。

だから僕は蓋をしていた。美しいと感じる言葉を吐き出すこと。戸惑っていました。




だけど今こうして、指を動かしている。
まとまらない単語を繋ぎあわせて、気持ち悪い長文を区切って。区切って。
涙が出てくる。そうしていると。




今日はね、思ったことがあるんだ。
スズランと、地球の絵を思い浮かべて、書いてみると、それは、
『穏やかに人を思える距離がある』
ということだった。
そう、今日意識したことなんだよ。
だから残そうかと思ってさ・・・

どうでもいいか。どうでもいいね。

僕は息をついて、
そうして、笑った。ほんの少し。

そして指をまた動かすんだ。
子供のように言葉遊びをする。
明日も。明後日も。言葉遊びをしよう。しないかもしれないけれど。しよう。また近いうちにね。



まだまだ暗い視界の中。
これから広がる空の色。


青。






写真詩:煙の咲く夜にもう一度逢おうか。-赤い空




これでいい、なんてことはないが、この方向でいい、ということはたくさんあるのだ。
生きていく中で、知らないうちに手にしているのだ。
はっきりさせる必要はない。
どんなラインも少しぼけてるくらいがちょうどいい。

やわらかく生きたい。