今日は僕の母の80歳の誕生日。それを記念してこの話題です!
お年寄りは「水の備蓄」を多めにしといてください!(運んでくれる人がいれば別だけど)
僕の生まれは岩手県一関市花泉町ということはここでも何度か触れてきてますし、公言しています(笑)。
さて、「東日本大震災」のときに「岩手県一関市花泉町」は3/11と最大余震のあった4/7の2回「震度6弱」に見舞われました。
余談ですが、一関市周辺は「4/7のほうが揺れが強かった」という人が結構います。
母もそんな一人ですが、あるとき(数年たって)「あのとき何がいちばん困った?」って聞いてみたことがあります。
「水を運ぶのが重くてね。それがいちばん大変だったよ。」
(実際はもっと「花泉なまり」でしたがw)
うちの母は車を持っています。今でも運転しています。
(一度免許返納を勧めたことがありましたが、田舎のお年寄りの独り暮らしは車がないとアウトなんでw)
当時、兄は市役所職員で様々な対応に追われ、義姉は教員だったのでやはり様々な対応に追われ。
なのでうちの母は日中は完全にひとりでした。
給水所は1キロほど離れた小学校。1キロといっても急坂を登ります(大雨対策で、花泉町の小学校は海には面していませんがだいたい高台です)。
そこまでは車で行く。ただ、そこからポリタンクをおろし、水をくんで十数キロの重さになったポリタンクをいくつか積んで家に戻り、それを下ろす。
相当な重労働です。
ちなみに、停電は2週間ほど続いたそうで、携帯電話の基地局がバッテリー切れでダウンして携帯電話もそれくらい全く通じなかったそうです。
それでも、石油ストーブ(電気を使わないやつ)があり、石油はたんまりとある状態、ガスはプロパンガスだったので翌日には使用できるようになったということもあり、生活の不便はやはり「水」だったそうです。
食べ物は、田舎の近所づきあいで融通しあってなんとかなったそうです。ご近所パワーはこういう時に発揮されます。
「お年寄り」は「自分で運ばなければならないもの」は多めに貯めておいたほうがいいです。しんどいでしょ。
ふだんなら「水道」で蛇口をひねれば出る水もそう、定期的に宅配で置いてくれる「石油」もそうです。
おうちによっては、他にもそういったものがあるかもしれません。
これはお年寄りの皆さん自らも考えてもらえると嬉しいところですが、ご実家にご高齢の親御さんがいらっしゃる息子さん、娘さんにもぜひ考えてもらえると嬉しいことです。
「気づき」をプレゼントすることもいい親孝行になるかもしれません。
以上、今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
轟コンサル
♪あなたに合わせた「個別防災アドバイス」(お代はお気持ちで)
♪毎日の新作クイズはトップページに掲載中!
(クイズ制作依頼も承ります[有料])