M5:2006年8月30日~僕が長時間労働で障害者になった日 | ゴリィ【オルゴールアーティスト・カラーセラピスト・防災士】

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現在の僕から見える景色。



点滴再び(笑)。なんだろう・・・点滴は点滴ですよ。


今回はいろんな意味で2006年を思い出してしまいました。

直近3ヶ月は時間外労働が月間100時間越えが当然で、29日は久々の休みで急に伊勢神宮にお参りにいったんですよ。外宮から内宮へ、ちゃんと順番も守り。

で、名古屋の自宅に帰り、夜のまったりタイムに異変が。咳が止まらなくなり、咳に血が混じりはじめ、息も苦しくなりました。なんとか話せるうちに救急車を呼びました。救急車の中で、会話できなくなりました。

厳しい水分制限と食事制限で命は助かりましたが、さまざまな検査で狭心症・腎臓の血管障害、極度に悪化した糖尿病、傷付いた血管、そして双極性障害。

2016年8月30日、僕は「長時間労働」という「過労」で全ての健康を失いました。



以降、これ系統の病気の都度、医者はまだしも肉親に「自己管理だ」と言われると猛烈に心がざわつきます。

今回の入院はなんとなく、見える景色が点滴というとこともあり、特別2006年8月30日に思いがいってしまいます。



なんか怒り、悔しい、悲しい。そんな思いが入り交じり泣きたい気持ちになります。今回は看護師にも思いのタケを話しています。

ちなみに、労災の請求期限は5年間。そして仮に5年経っていなくとも当時残業を記録する文化はなかったので証拠なしで労災請求できるとは考えませんでした(実際はまず弁護士さん等に照会)。

そして、僕が救急搬送されたのは「労災病院」。勤務実態を正直に書いたら入院中に「労働基準監督署」の査察が職場に入ったとか。労働の違法性は認めてもらえた方です。


なんかまとまってませんが、自分の命です。

どうか、皆さんが僕の「二の鉄」は踏みませんように。