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middleofnowhere2011さんのブログ

今日ものんびりやっていきますわー

怒涛の3連勤が終わった。

なので現在は夜更かし中。

とっとと眠ればいいのに頭は不要な思考で溢れている。

吐き出してからベッドに入ろう。


なんていうかモヤモヤが頭の中で増殖している。

親しい人の言葉や行動の矛先が全部俺に向いたものじゃないかと思える。

もちろん全部が全部そうではないのは分かってるんやけど、俺が気付いてないところで無意識に発した言葉や行動が知らず知らずに人を傷つけてしまってるのではないかと。

実際にそういう過去はあった。

その日に何気なく俺は過ごした翌日とかに人から「あの言動はないわー」と注意される。

そして言われてみて初めて俺はなんて無様で失礼なことをしたんやろうと反省し謝罪や弁明をおこなう。

なかには気にしてない人もいるんやけど、やっぱり人によってはちょっとした不手際が逆鱗に触れることも少なくない。

もう俺も36歳のおっさんなんやから、言動の一つ一つに責任を持たないといけない。

それでも結局は後から指摘されないと気付くことができないパターンが多かったりする。

なかには粗探しや揚げ足取りとも思うこともあるけど、やっぱり言われてみればあれはアカンかったなと思うことのほうが多い。


そういう状況に陥ると俺って人と交流することや社会参加することは止めた方がいいのでは?と思わざるを得ない。

俺がいることで不快な思いや傷つく人がいるんならいっそのこと人付き合いなんて止めてしまえばいいんじゃないかと考える。

普段俺と親しい付き合いをしてくれる人たちもきっと「あいつ、失礼なやつやな」と思っているに違いない。

それならもはや俺は生きている価値すらないのでは?

生きているだけで人に迷惑をかけてしまうなら存在しないほうがマシだろう。

たくさんの人に愛されて支えられているのに仇で返している俺という存在は抹消してしまえ。

そんな思考が加速しつつある。



けども、やっぱり死んでみる勇気はないもんで。

実際に死んでしまったらそれこそ迷惑かけるやろなぁと。

でも死んでしまえばこの世界がどうなろうが知ったこっちゃないしサヨナラしてしまうのもアリかと考えるが、俺が死ぬことで悲しんでいる人を俯瞰的に見るようなことになると俺は死ぬに死ねない。

実際に死んだことがないのでどうなるか分からんのやけども。

「人間は死ぬとね、〇〇になるんやで」と分かってたら考え直すのか、より一層に死のう!!ってなるのか、そればかりはやっぱり誰にも分からない。


どちらにせよ今は生きるも地獄、死ぬも地獄。

そんな悪循環は頭の中から拭いきれない。

億万長者になりたいとか、有名になりたいとか、誰も逆らうことのできない権力がほしいとか全く望んでなくて、ただシンプルに仕事して疲れて帰ってきて風呂に入ってご飯を食べて奥さんと話すというこの生活サイクルを『安心して』送りたい。

今ある現実がいかに幸せなことであるのか。

ちゃんと分かるような生活を送りたい。

はよこの暗い思考のトンネルを脱出したいもんです。




本日は祖父の三回忌法要でした。

そうか、もう早いもんで2年の月日が流れたのか。

今でもほとんど毎日のように会いたいと願うし、楽しかったり優しくしてもらったり応援してくれた言葉を思い出しては涙が溢れてくる。

特に俺は初孫だったこともありとても大切にしてもらっていた。

この大切にしてもらっていたことを実感したのは、従兄弟から聞いたり大量の一緒に写っている写真だったりを祖父が亡くなってから知らされたり見つけたりしてからである。

俺も心の底からおじいちゃんを愛していたし、もっとこうしてあげたかったという寂しさはいつまでも拭えない。

いつまでもこんな風に考えてる俺を見たら間違いなくあっちの世界で寂しい思いをさせてしまってるんやろなぁと申し訳なく思う。

それでもやっぱり寂しいんです。


死にたいなぁと思ったときはおじいちゃんや亡くなったご先祖様のことを考える。

あんまり宗教に肩入れしてるわけではないんやけど、天寿を全うせずに終えた人間があちらの世界で幸せになれるはずがない。

事故とか殺されたり不治の病で早くに亡くなったとかならともかく、自ら命を絶った人間をおじいちゃんやご先祖様は温かく迎えてくれるやろうか。

優しかったおじいちゃんなら「死んでしまうほど辛かったんやなぁ」と許してくれる期待をしないではないが、やっぱり俺としてはそんな中途半端な結末では顔向けできないなぁと。

そういう自制心からやっぱり死ぬのはもう少ししてから…と制御できてるのかもしれない。

生きていれば上手くいかないしんどいことのほうが多いのは当然やし、それを自分なりに打破して生きていくことが人生に課せられたミッションなんかなと思う。

とりあえずやれるだけやってもう無理だという極地にまで思考が及んだらまた考えることにしよう。


今日の法事で久々に線香をあげて手を合わせた。

遺影のなかでいつまでも変わらないおじいちゃんに近況を報告する度にやっぱり涙は溢れてくるんやけど、とりあえず元気に病気や怪我もなく毎日生活していることを伝えることが今日もできた。

とりあえず行けるところまで行ってみる。

強く大きくなれる自信はないけどもとりあえず生きてみよう。

みんなを悲しませたくない。



ハウステンボスのお土産を姪っ子に渡せた。

ミッフィーのポシェット、どうやら気に入ってくれたらしい。

おじさんは嬉しいよ。

世の中の暗いニュースや悲しい出来事なんて何も知らずに純粋に周りを明るくしてくれる天使みたいな存在。

どうかいつまでもその心を忘れずに元気に育ってほしい。

おじさんは応援してるよ。



やる気に満ち溢れた前回の日記から徐々にやる気の炎は消火されつつあるが、どうにかこうにかやっていけると思う。

人に迷惑かけず、人の道を外れず、不機嫌とかで空気を悪くすることなく俺が正しいと思うことを信じていくだけだ。

OasisのWhateverやMr.Childrenの終わりなき旅は人生のテーマソングである。

俺のお葬式ではこの曲たちと旅立ちたい。

俺は自由だ。

誰がなに言ったって気にすんな。

俺は俺でいる。

心ではいつも大きな声で叫んでいる。



生きるのは本当に面倒やし、なんのためにこんな毎日しんどい思いをせなアカンのかという問題。

こればかりは東大王やクイズ王やノーベル賞受賞者でも解けないであろう。

答えが分かってから死にたいもんです。



また明日は早起きして仕事に行くよ。

忙しいのはほぼ確定。

それこそ胃に穴が開きそうなミッションやと思う。

逃げ出したいけどおじいちゃんに手を合わせたばかりやしな。

なんやかんや頑張れるでしょう。

こう見えて俺はまじめなんだ。

仕事なんてのは時間通りに起きられたらもう勝ち確定やからね。

あとは心が身体に追いつくかが問題。

やってみるしかない。




今日も今日とて夜勤してます。


実は11月2日から4日まで奥さんの親戚や義兄夫婦共々と長崎のハウステンボスに旅行行ってました。

長崎に行くのは10年以上ぶりでハウステンボスは初めてでした。

オランダには行ったことないんやけど、さすがヨーロッパっていう街並みや運河の光景を見たら、やっぱり遥かなるヨーロッパの地への憧れは増しましたね。

なにより入籍してるとはいえ外部である俺を皆さんはとても温かく接してくれたのも嬉しかったです。

なによりハウステンボス、オランダはミッフィー生誕の国。

うちの姪っ子が本当にミッフィーが大好きでしてね。

弟はミッフィー関連のお土産をとても楽しみにしてくれてて、おじさんとしても早く渡して喜んでくれるのを心待ちにしている。




ミッフィーの作者やルーツが展示されている美術館にも足を運んだ。

美術館というとどうしても敷居が高く思えるけども、それを絵本を介して身近なものであると教えてくれる素敵な空間でした。

また、ミッフィーのように点と線と×だけというシンプルな構成がなされているのは、読み手がイメージを膨らませやすくなるような工夫が施されているというのは目から鱗でしたね。

作者自身も美術館に行くことにより画家として将来を目指したというのもグッときた。

自分に置き換えてみても、一見は敷居が高く思えるような事柄においても、触れてみることで想像力や経験を養うことで実はそんな複雑に考えなくても良いのではないかと感じた。

どこに行こうが何を考えようがそれぞれ個人の自由で捉え方は人それぞれであると自分なりに解釈した。

思わぬ形でハウステンボスは家族の絆とともに人生の教訓を与えてくれた。







最近は家族のことやOasisの東京ドームとかで日常と非日常を行ったり来たりしててかなり心身ともに凸凹ではありました。

果たして旅なんかしてる場合なのかしらと考えてみたりもしていたけど、Oasisであったりハウステンボスであったり、やっぱり足を運んでみたら行ってよかった触れてよかったと思うことばかり。

悲しいことや辛いこともあるなかで、こういう非日常に身を浸すことで心が軽くなるんやからやっぱり息抜きは大切である。



この夜勤前に19時頃まで布団に包まっていて、やっぱり非日常から日常に切り替えるのってしんどいしどうにかこうにかサボれないものかと画策していたが、腹が痛くなったので仕方なしに起床しトイレに行くと奥さんが夕飯を用意してくれていた。

これが本当に嬉しくてね。

別に久々に用意してくれてたとかではないんやけど、これからはじまる夜勤の無事を祈って作ってくれたことや、自分が人に大切にされていることが嬉しかった。

ありったけの感謝を伝えて食べた麻婆豆腐はここ最近で一番美味しかった。


そのおかげもあって今の精神状態はとても幸せに満ちている。

面倒なことや辛く悲しいことの方が多いやろうが、今はとても前向きに考えられている。

旅行を続けていた毎日に手を振るのは少し寂しいけども、また次の旅や新たなイベントに出会うためにこれからの毎日を大切に生きていきたい。

なによりたくさんの人への感謝を忘れずに頑張らないと。

いつまで前向きにいられるかは分からんけども、今は元気にこの夜勤をクリアしたいと思う。