戦前生まれの先輩が居たことがあった。

親子以上に年が離れていたものの、馬が合ったのか転職してからもお手紙のやり取りをさせていただいた。

 

 成長期に戦争があったため、食べ物が少なく、兄弟の中で自分だけ背が低いと言われていた。

学歴もある方だったから、今から考えると良家の出身だったのだと思う。

 

 先輩の時代も就職が大変だったらしく、氷河期世代で苦労した身としては年上の現役世代より共感できたし、共感してもらえた。私が就職した頃は就職難を「本人の努力不足」と批判する人が居た。

 

 まぁ、そんな辛い話を残したいわけでなく、その方がご自身の生き方として実践されてた老後の過ごし方がとても良かった。

 

 

 奥様の親御さんの反対を押し切っての恋愛結婚だったらしく、お嫁入道具は少なく、婚前に交わした恋文を大切に箱に入れて嫁いで来られたそう。

 

 女性を外で働かせると恥と言われた時代で、内職をした奥様が腱鞘炎になられた事もあり、ずっと苦労させたから退職した時に二人で銀行へ行って退職金を全部出し、半分ずつお互いの口座に入れたと。二人でがんばったお金だから半分こしたと誇らしげだった。

 

 そして「老後というのはもういつまでも体力がないから、今から無理のない範囲で国内旅行をする。歩けなくなった時に楽しかったねと、一緒にアルバムを見返さないといけない。朝に家を出る時は、絶対に見送ってくれるから角で振り返って手を振るのを習慣にしてる。年寄りが仲良し夫婦なのはご近所にも良いお手本になるから」と得意げに話されいた。

 

 一度お家に伺って驚いたのが、お庭を計画的に縮小されていた事で、剪定が必要になる木は処分し、花も少しずつ石の飾りに変え、奥様に負担をかけないよう、水やりも草引きも自分でして、ご自身に何かあった時に奥様が困らないようにと考えられていた。お手本のように生き方を見せてくださり、それは当時にしては堅実であり斬新で、私には格好良く見えた。

 

 もう鬼籍に入られたけれど、ご夫婦揃ってお手本のような方で、優しい言葉と知恵をくださった。
 

 当時大変な生活をしていた私に「年を取ると辛かったことは忘れ、楽しかった事や嬉しかったことを思い出して懐かしむようになるものです」とお手紙をくださり、その時は想像できなかった事が少しずつ理解できるようになってきた。

 ゆっくり花開く幸せの種のような言葉をもらっていたのだなと思う。