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看護師ayamiの海外医療ガチblog

国際医療協力活動のマネージメントに日々奮闘中の看護師の日記。ジャパンハートのミャンマー・カンボジア・ラオス・日本での活動の舞台裏を紹介します。知られざる人間ドラマやちょっと笑える珍事件など盛りだくさん!アジアの子供たちの笑顔や料理なども写真でお伝えします。

海外には、日本人会とは別にその国で活動しているNPOの情報交換会が月一程度である。
実際私もカンボジア、ラオスでは何回か参加した。
ミャンマーでは参加したことがないが、このような会はきっとあると思う。


その会が終わった後の懇親会(飲み会)でだいたい出てくる話は、本部への不満や文句である。


現場も本部も経験をしてきた私にとって、まあどっちの気持ちもわかる。
実際に現場でやっていたとき、本部と自分たちとの温度差を感じていたしょぼん
さらに本部からくる質問や、依頼に対してうざったさを感じていたあせる
本部はいつも悩み増やす存在であり、現場の状況を全然理解してくれないと思ったこともあった。


まあ、結論としては、、、
お互いの仕事を実際担当したことがないので、本当の悩みや苦しみはわからないクローバー
そういう意味で言うと、抱えている悩みや苦しみは担当者にしかわからない仕事の醍醐味なんだと思うひらめき電球
でもわからないからって文句を言ってても状況は良くならない。
結局、話し合いの上、お互いの許容ラインをうまくひければいいということになるグッド!


現場と本部を舞台に関わる役職に例えると、
「現場」⇒「主人公」
「本部」⇒「演出家」
ということになるかもしれない。


どちらもないとお客さんには喜ばれるものは作れない。
両方ともプロ意識をもって関わって欲しいと思っている。


ナースショック!彩未
$看護師ayamiの海外医療ガチblog-ラオス・文化①
子どもの手術が無事に終わるように祈る母親。


$看護師ayamiの海外医療ガチblog-カンボジア・風景⑥
托鉢中のお坊さんに祈る少女。


$看護師ayamiの海外医療ガチblog-カンボジア・文化⑥
宿舎の開設式典。
活動が安全に行われますように祈る。


$看護師ayamiの海外医療ガチblog-東北祈り
2012年3月11日(震災後1年)の南三陸町。志津川病院の前で。
献花台に向かって手を合わせる。


ナースショック!彩未
ジャパンハートの震災支援は今も続いている。
現在は、主に石巻のクリニックと、気仙沼でのこころのケアである。

最近、自分が仙台にいた頃のことを思い出すあじさい
2011年4月から8月まで仙台、石巻、南三陸、雄勝、気仙沼の避難所を行ったり来たりしていた。
今まで東北は青森に旅行にいったくらいでなじみがなかった。
牛タンのおいしさも知らなかったし、登米市のオートバイのナンバープレートがお米の形をしているなんて知る余地もなかったあせる

どうして最近思い出すのか考えたけど、
多分、今の東京があのころの仙台の気候と似ているからだと思うヒマワリ
仙台の夏。気温22度~25℃程度。
まぶしく照りつける太陽のわりに涼しい風コスモス

登米から気仙沼へ抜ける道霧
一面緑の大自然を風を受けながら車で走る。(ちょっと牛フンのにおいが・・・)
海岸部の悲惨な状況はここからはまだみえない。
本当に震災などあったのかはてなマークと疑わせる穏やかな光景だ。
私の東北のイメージは今でもこの風景である。


現在の東北事業チームリーダーであるM看護師。
彼女と私は4年前、カンボジア事業立ち上げのため一緒にジャングルに住んだことがある目
はあ~っ!?って感じだと思うが、正真正銘の事実であるひらめき電球
その後彼女は一旦ジャパンハートを離れたが、震災を機に戻ってきた。


東北支援の今を私は知らないが、他の団体にはないであろう特徴がある。
それは、昔から団体に関わってきたスタッフがメインで事業を担っているという点だ。
おそらく震災支援を今でも続ける団体のほとんどは、震災後に雇われた人たちだろう。
「本来の活動」と「震災支援」を区別して考える傾向になっている気がする。


‘震災の風化’が企業にも団体にも確実に起こってきている。


震災に関わったことは彼女の人生にとってどのような経験になっているのだろうかはてなマーク


ナースショック!彩未