看護師ayamiの海外医療ガチblog -19ページ目

看護師ayamiの海外医療ガチblog

国際医療協力活動のマネージメントに日々奮闘中の看護師の日記。ジャパンハートのミャンマー・カンボジア・ラオス・日本での活動の舞台裏を紹介します。知られざる人間ドラマやちょっと笑える珍事件など盛りだくさん!アジアの子供たちの笑顔や料理なども写真でお伝えします。

$看護師ayamiの海外医療ガチblog

学生の頃、テレビのドキュメンタリーなどで流れた映像に目が釘付けになっていた。
それはどこかの国の紛争の状況を伝えていた。
子どもが血まみれになったり、それはそれは残酷な映像だったのを覚えている。

さて、5月24日からミャンマーの最北部カチン州に入る。
ここは2011年6月頃からビルマ軍とカチン独立軍との間で紛争が勃発しており、何万人ものカチン州一般市民が巻き込まれ、家を失い、難民になるなど犠牲が生じている。

この地でジャパンハートの医療支援が必要かどうか、今年の3月に調査してきた。
総理大臣や州長と面会し、また現地の病院から現状を聞き、やることに決めた。

ただ単に紛争地域だからではない。
この地は、紛争に関係なくもともとミャンマーの最北ということで発展がかなり遅れているということもある。汗

看護師ayamiの海外医療ガチblog


ここに5月28日から13名の医療チームで入り、現地の国立病院と協力をして数十名の手術をする。
私は今回このプロジェクトの統括者として前のりする。


日常の私の仕事は医療とはほど遠いが、いつ何どき勝負しなければならない時が
くるかわからないものだ。
今回も医療の現場にたつ。
たまにはこうやって医療者としてのセンスを思い出すチャンスも必要。


“日本の看護を世界に届ける”


ナースショック!彩未

看護師ayamiの海外医療ガチblog-ラオスに生きる子供達

ミャンマーやカンボジアのようにごみごみしていない信号機
1年前と変わらない穏やかな風がふく、ここラオス。。
雨季に入り始めたのか、夕方にスコールが続いたあじさい

今ラオスでの活動は、現地の外務省と保健省に活動申請を行い、それがおりるのを待っている段階。
活動始動まで本当にあと一歩だ走る人

今ここには日本人の常駐看護師Hさんと、現地人スタッフ2名がいる。
毎日8時半から行うスタッフミーティングは、一人一つ必ずラオスのニュースを英語で発表している。
活動をするにはまずその国のことを知ること。私はこれが当然の礼儀だと思っている。
これはカンボジア事業でもやっていることである。


よいことは引き継ぎ、あとは国の事情によってスタイルを変えるねこへび
まさにアジアは時代の変化も速いからべーっだ!

看護師ayamiの海外医療ガチblog-ラオスに生きる子供達

いつも行くと癒されるラオス。
この国で少しでも何かができるなら、、

人々の笑顔がもうそこまで見えているクローバー


ナースショック!彩未
5月9日に母校で講演会を行った。
到底こんなところに学校なんてないだろうと思うような場所にひっそりと佇む
千葉の山奥の看護学校。
卒業してから早10年が経過していたクローバー

変わらない校庭、寮、食堂、数名の先生方。
懐かしさがこみ上げた。

全校生徒(看護学科の4年生は実習のため不在)が集まり、講演をきいてくれた。
アメリカをはじめとする諸外国にに姉妹校を持つわりと国際的な学校であるため、
学生中の海外ボランティアのサークルなどもある。
私はそこの出身だ。

学生時代にマレーシアでみた、病院の玄関にできた長蛇の列。
その中には今にも倒れそうな人、口から泡を吹いている人、痙攣を起こしている人
まさに「戦場」という言葉がぴったりの惨状だった。
彼らはお金がないということで診察をしてもらえない人の列だった。


今の私が、学生たちに伝えられることとははてなマーク
講演数日前から考えていたテーマだった。
話しながらついつい熱があがり、危うくほろりときそうになった。


講演後多くの学生たちから感想がでたと先生方から連絡をうけた。
普段の感想は一行が多いようだが、今回はみっちり書いてくれる学生が多かったと。
数名の学生たちが一緒に昼食を食べながら話したいと一緒に食堂へ。
その目はキラキラキラキラしていた。とても透き通った目をしていた。


まるでタイムスリップしたような一時を母校で過ごし、私自身も充実した時間になった。

おすすめよ。母校での講演音譜


ナースショック!彩未