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看護師ayamiの海外医療ガチblog

国際医療協力活動のマネージメントに日々奮闘中の看護師の日記。ジャパンハートのミャンマー・カンボジア・ラオス・日本での活動の舞台裏を紹介します。知られざる人間ドラマやちょっと笑える珍事件など盛りだくさん!アジアの子供たちの笑顔や料理なども写真でお伝えします。

続き⇒
11/13 18:00 バンコク事務所にて

まーいろいろとあったが、
なんとか11/13日、先遣隊の医師2名と看護師1名をバンコクからフィリピンに派遣飛行機
本来であればタイ・スワンナプーム空港でオーバーチャージをとられるところ、
フィリピンに支援にいくと、団体のTシャツや荷物の中身をみせ特別に無料で突破ヒミツシラー
(この後は正式にフィリピン政府からの書類で解決FREE
この日私もプノンペンからバンコクに移動。走る人


日付が変わった11/14早朝晴れ
一足先にフィリピン・イロイロ空港に降り立った先遣隊を受け入れたのは、
フィリピン人の救急救命士J(37才)と看護師A(25才)だったキラキラ

「えはてなマーク彼らはどうしたかって!?

それは、ロジの方のつながりで事前に彼らに協力を仰いでいたのだ。
彼らは普段はフィリピン・ネグラス島(パナイ島のとなりの島)の消防団でボランティアをしているガソリンスタント
いわゆる日本の田舎でもよくある組合の消防団のようなやつだひらめき電球
彼らの積極的な人命救助の実績は政府からも認められており、
今は国の災害講習会などに教官として招かれ、自国や海外のために貢献しているロボット

ネグラス島はレイテ島やパナイ島より南に位置しているため、
今回の台風の影響は少なかったようだ。

救急救命士Jはロジの方から連絡をもらい、即4WD車両の確保とボランティアを募集した。
そこに志願してきたのが看護師Aだったのだキラキラキラキラ
彼女は看護学校を卒業後すぐにこのようなボランティア活動をしている。
「私は病院で働くだけの一般的な看護師にはなりたくない」
しばらく時間を共にしたあと、彼女はわたしにこう語ってくれたクローバー


さて、イロイロ空港に到着した先遣隊は、すぐに現地調査に向かおうとしたが、
現地政府で構成されている災害対策調整会議に挨拶したり
保健省保健局長訪問などで思った以上に時間がかかり、
翌日の私の到着を待つことになったようだ。

やはり災害時といえども、こういったステップが非常に重要であるひらめき電球


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11/14の夜私がイロイロ空港に到着。
降り立った最初の感想は、、「アジア人が英語を話している目目」だった。
(ミャンマー、カンボジア、ラオス、バンコク全て公用語は英語ではない。
フィリピンの公用語はタガログ語と英語である)

翌日11/15いよいよパナイ島ロハス市の調査に向けてイロイロを出発したバス

車にゆられ約2時間
徐々に被害の状況が明らかに。
そこで私たちがみた光景とははてなマーク

続く⇒

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ナースショック!彩未
~続き~
11/11 9:00 プノンペンオフィスにて

ロジが中にいないのであれば、外から連れてくるしかないむっ
そう思った瞬間、ある一人の人物を思い出したねこへび
実は2008年カンボジア事業の立ち上げのため、私がプノンペンに駐在していた頃、
現地人の救急隊員を指導していた日本人の災害安全管理のプロフェッショナルがいたのだ。

「この人しかいないひらめき電球

そう思って、すぐにメールと国際電話でコンタクトをとった携帯
彼もフィリピンの様子を報道で見て、うずうずしていたようだが、
実働部隊がいないため今回も無理と思っていたようだ。


“実働部隊×兵站部隊”
2つの部隊(Butai)が協力し、1つの舞台(Butai)をつくりあげる。

この歯車が回りだせば、きっとうまくいく!!
そう思った。

本部からの回答は・・・「OK」グッド!


早速、今年5月から医療活動の拠点化を目指し準備していたバンコク事務所に連絡をし、
調査のためフィリピンに先遣隊を送り込むこと、また災害対策本部はバンコクに設置することを告げた。
また震災の教訓を生かし、情報の一元化を図る目的でFacebookの共有ページを開設したパソコン

さらに急遽東京から一名のスタッフをバンコクの助っ人として要請フラッグ
彼女はすぐチケットを調べ、奇跡に近い格安航空券を確保した。
(ちなみに日本からの直行便燃料チャージ全て込みで5万円代)
要請して2日後にバンコク入りを果たすべーっだ!チョキ


ここまでは順調だったが、先遣隊のフィリピン・イロイロ空港行きの航空券が満席で2日間足止めをくらった汗
おそらく海外から地元に戻る人たちや支援活動に赴く人が多かったのだろう。
この時間をじれったく感じながらも、引き続きの情報収集、必要支援物品の買い出し、
連絡体制作り、他の海外の活動サイトとの人事調整などをある程度しっかりできたので結果よかった。

現地の状況が分からない中での物品調達は大変だショック!
一般的に災害時に必要とされるものはわかるが、刻々と状況が変化するなかで
結局必要で無いものもあるし、必要ないと思って持って帰ってきたものが途中から必要になったケースもあったあせる

また細かい部分では、
問題なく通過できる入国カードの目的欄の書き方メモ、空港でオーバーチャージを安くする方法、税関のにーちゃんにつかまらない方法などなど、いらん交渉術が身についたにひひ


多くの政府系支援団体が治安の問題でなかなか入れていなかった「レイテ島」ではなく、
同様の被害でまだ支援が行き届いていないと言われていた「パナイ島」を
ひとまず支援調査場所として選んだ。


派遣が決まった隊員たちの行動とは・・・はてなマーク

笹原医師(先遣隊長)・・・カンボジアでの手術ミッションに参加する予定を中止し、11/12にバンコクへ移動。
その後、とにかく情報収集!!フィリピンの地図や他の医療団体の活動レポートもチェック!
支援については「やらないよりやったほうがいいですよねぇ~」比較的冷静沈着。

遠藤医師・・・翌日ミャンマー入りのはずが、急遽派遣決定。
地理に慣れないバンコクでの医療支援物資の調達を担当。
派遣前夜は0時にバンコク事務所に帰宅。。
バンコクでは売っていないものもあり捜し歩いたそう。
早くもバンコクで遭難はてなマーク逃亡はてなマーク叫びなんて説もあったが、、なんとか生還を果たす!!

山本看護師・・・ミャンマー入りのはずが、急遽派遣決定。
「東日本大震災のときは支援に行けなかったことが心残りだった」と語ったクローバー
ジャパンハートに入る前は、大学病院の救急病棟で勤務。すぐに日本のDMAT(災害時医療派遣チーム)に連絡をとり各種留意点について確認をとっていた。会計担当。

(バンコク事務所担当)
池ヶ谷看護師・・・バンコク常駐を開始したその日(11/10)の夜に私から支援決定の連絡を受ける。
「もはやこれは私のミッションかはてなマーク」と運命を感じ覚悟したそう。
この段階ではみんなの行動の早さにかなりてんぱり中。

続く⇒

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(バンコク事務所。今年開設したため殺風景ですみません。。。)

ナースショック!彩未
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11/10 18:00プノンペンオフィスにて。
笹原医師・・「彩未さん、ジャパンハートではフィリピン行かないのですかはてなマークかお
彩未・・「へっはてなマークそんなにひどいんですかはてなマークえっ
全てはここから始まった。

テレビがないプノンペンオフィスで、ネットから情報を得る。
フィリピンに住む日本人たちのFacebook上のネットワークを見つけ、
頻繁に更新される情報の中から、被害状況を推測する合格

東日本大震災のときを思い出したクローバー
あの時も日本国内にも関わらず、情報が錯綜し情報把握に時間がかかった。
今回も結論は一緒。

「現状を知るためには現地に行くしかない!!

本部に支援活動の許可を求める。
これと同時に翌日バンコクからミャンマーへ行くはずの医師1名と看護師1名にストップをかけた。

「ちょっと、待った~注意

本部からの返答は「ロジがいないから無理ではないかはてなマーク」だった。

確かに、私たちは医療者の団体だから実働部隊はいる。
しかし、医療活動を行うまでの兵站を整えるスタッフが不足している。
緊急医療支援は8割がロジで決まるといわれているため、これは致命的。
ロジの役割は、情報収集、現地政府や関連省庁との調整、人員・車両・支援物資・食糧等の調達補給などにわたり幅広いガソリンスタント
このまま体当たりでは、自分たちの活動に行きつくまでに崩壊してしまうむっ

さて、どーするはてなマーク叫び

ナースショック!彩未