11/11 9:00 プノンペンオフィスにて
ロジが中にいないのであれば、外から連れてくるしかない

そう思った瞬間、ある一人の人物を思い出した

実は2008年カンボジア事業の立ち上げのため、私がプノンペンに駐在していた頃、
現地人の救急隊員を指導していた日本人の災害安全管理のプロフェッショナルがいたのだ。
「この人しかいない
」そう思って、すぐにメールと国際電話でコンタクトをとった

彼もフィリピンの様子を報道で見て、うずうずしていたようだが、
実働部隊がいないため今回も無理と思っていたようだ。
“実働部隊×兵站部隊”
2つの部隊(Butai)が協力し、1つの舞台(Butai)をつくりあげる。
この歯車が回りだせば、きっとうまくいく

そう思った。
本部からの回答は・・・「OK」

早速、今年5月から医療活動の拠点化を目指し準備していたバンコク事務所に連絡をし、
調査のためフィリピンに先遣隊を送り込むこと、また災害対策本部はバンコクに設置することを告げた。
また震災の教訓を生かし、情報の一元化を図る目的でFacebookの共有ページを開設した

さらに急遽東京から一名のスタッフをバンコクの助っ人として要請

彼女はすぐチケットを調べ、奇跡に近い格安航空券を確保した。
(ちなみに日本からの直行便燃料チャージ全て込みで5万円代)
要請して2日後にバンコク入りを果たす


ここまでは順調だったが、先遣隊のフィリピン・イロイロ空港行きの航空券が満席で2日間足止めをくらった

おそらく海外から地元に戻る人たちや支援活動に赴く人が多かったのだろう。
この時間をじれったく感じながらも、引き続きの情報収集、必要支援物品の買い出し、
連絡体制作り、他の海外の活動サイトとの人事調整などをある程度しっかりできたので結果よかった。
現地の状況が分からない中での物品調達は大変だ

一般的に災害時に必要とされるものはわかるが、刻々と状況が変化するなかで
結局必要で無いものもあるし、必要ないと思って持って帰ってきたものが途中から必要になったケースもあった

また細かい部分では、
問題なく通過できる入国カードの目的欄の書き方
、空港でオーバーチャージを安くする方法、税関のにーちゃんにつかまらない方法などなど、いらん交渉術が身についた
多くの政府系支援団体が治安の問題でなかなか入れていなかった「レイテ島」ではなく、
同様の被害でまだ支援が行き届いていないと言われていた「パナイ島」を
ひとまず支援調査場所として選んだ。
派遣が決まった隊員たちの行動とは・・・

笹原医師(先遣隊長)・・・カンボジアでの手術ミッションに参加する予定を中止し、11/12にバンコクへ移動。
その後、とにかく情報収集
フィリピンの地図や他の医療団体の活動レポートもチェック!支援については「やらないよりやったほうがいいですよねぇ~」比較的冷静沈着。
遠藤医師・・・翌日ミャンマー入りのはずが、急遽派遣決定。
地理に慣れないバンコクでの医療支援物資の調達を担当。
派遣前夜は0時にバンコク事務所に帰宅。。
バンコクでは売っていないものもあり捜し歩いたそう。
早くもバンコクで遭難
逃亡
なんて説もあったが、、なんとか生還を果たす
山本看護師・・・ミャンマー入りのはずが、急遽派遣決定。
「東日本大震災のときは支援に行けなかったことが心残りだった」と語った

ジャパンハートに入る前は、大学病院の救急病棟で勤務。すぐに日本のDMAT(災害時医療派遣チーム)に連絡をとり各種留意点について確認をとっていた。会計担当。
(バンコク事務所担当)
池ヶ谷看護師・・・バンコク常駐を開始したその日(11/10)の夜に私から支援決定の連絡を受ける。
「もはやこれは私のミッションか
」と運命を感じ覚悟したそう。この段階ではみんなの行動の早さにかなりてんぱり中。
続く⇒

(バンコク事務所。今年開設したため殺風景ですみません。。。)
ナース
彩未