人生の振り返り① | HSPでACの私の生きづらさと向き合う日々※※うつ病と共に※※

HSPでACの私の生きづらさと向き合う日々※※うつ病と共に※※

2020年、職場でのパワハラがきっかけで適応障害にて休職→退職。
現在も心療内科にて治療中のアラフォー主婦です。
HSPかつアダルトチルドレンの私の、自分と向き合い、生きづらさを手放していくべく、3歩進んで3歩戻る(汗)日々を綴っています。

今回の適応障害をきっかけに、私の今までの
人生を振り替えってみようと思う。
何かそんな気分笑い泣き


私の育った家庭。
父は法律関係の仕事。
母は専業主婦。(元小学校前教師)

父は2人の姉と妹1人。
私が生まれた時には、父の両親、2番目の
お姉さんは他界していた。
1番上のお姉さんは、家の裏に住んでいた。
妹さんは結婚して他県在住。

母は弟1人。
母の両親は、家からそんなに遠くないところに
住んでいた。
(母の母は、後に後妻さんだと知った。)
弟さん一家も、近くにいた。


父は昔から気分の上げ下げが大きく、機嫌の
良い時と、悪い時の差が激しかった。

母は、料理や裁縫が得意で、お手伝いをしてた
記憶がある。
そして、厳しい人だった。


いつからか覚えて無いけど、母は入退院を
繰り返していた。


そして、私が小学校2年生の夏、38歳の若さで
大腸がんにより他界した。

私8歳、弟2歳の時だった。


父が泣いていたのを覚えている。


私は、小学校が終わって帰ったら、保育園に
弟を迎えに行って、ご飯の支度をしてた。
(今じゃ考えられないけど、30年以上前は可能
だったびっくりお漏らししたお昼寝布団、自転車に
乗せて帰ってた記憶がある。)


洗濯も、父の事務所の事務員さんが手伝って
くれたけど、私がすることも多かった。

週に2回は、母方の実家に、週に1回は、母の弟
さんの家に行っていた。
おばあちゃんが帰りにお小遣いをくれて、
おじさんの店でお菓子を買って帰るのが楽しみ
だった。


夜帰ると、父はパチンコに行って、いないことが
多かった。

家の鍵を持っていくのを忘れた時は、台所の
換気扇外して家に入ったりしてた。


パチンコで勝った時は、機嫌が良かったけど、
負けて帰って来た時は、景品のお菓子をテーブルに
投げつけられた事を今でも覚えている。

週末は、朝から晩までパチンコに行ってた事も
あった。
近場に遊びに連れていってくれた事もあるけど・・・


ある時、ファミレスに連れて行ってくれて、
会計時にレジ近くにあるお菓子を弟が欲しがって、
私も欲しくてお願いしたら、「お姉ちゃんなん
だから我慢しろ」と帰りの車の中で酷く怒られたのを
覚えている。

友達と遊んでいた時、友達に「私の前で、お母さん
お母さん言わないで!」って泣いて怒った事も
あるな~

そう言えば、セールスの電話のおばちゃんに、
「おかあさんいる?」って聞かれて、「お母さんは
いません」って言って泣き出して、全く知らない
おばちゃんに慰められた事もあった(笑)


甘えたい時に、十分に甘えられなかった。
父や周りの大人の顔色伺って、しっかりしなきゃ、
弟の面倒みなきゃって。
その頃から自分の事を抑えてたんだな・・


続く。