きょう、とあるコーラスグループのコンサートに行ってきました。
わたしがずっと、とっても大切に思っているグループ。
わたしがずっと、とっても大切に思っているグループ。
だからこそ、ずっと行きたかった、ずっと聞きたかった、
そんな歌。そんな人たち。
そんな歌。そんな人たち。
その声はいつも、わたしの一日を一緒に歩んでくれていた。
辛いとき悲しいときには、
「大丈夫あなたは一人じゃない。周りを、見てごらん。」と教えてくれて。
嬉しいとき喜びのときには、
嬉しいとき喜びのときには、
「良かったね。あなたは満たされている。」と言ってくれた。
わたしが彼女たちを知り、
これからあるであろう良きことも悪きことも
今日という日、そして昨日も、
半年まえの私は、東京に一人以外に友と呼べる人もいなくて、
毎日のように誰かを求めて、自分の精神の内にさまよい、
こころも盲目になってただ歩いてしまっていた。
そんなときにでさえ、
彼女たちの歌声は言葉をくれて、崩れ落ちることがなかった。
そして、その時々に聴きながら
「こんな私でも誰かを幸せにしようと頑張ってもいいんだ」って、
「自分は必要とされている訳ではないのかもしれない。
でも必要とされていない訳ではないんだ。」と思えて、
幾度と無く、止めどなく泣いたことを思い出した。
わたしが彼女たちを知り、
一番初めに好きになった歌の言葉。
『 神こそ
わが岩
わが救い
わがやぐら
わたしは決して 揺るがされない 』
『 神こそ
わが岩
わが救い
わがやぐら
わたしは決して 揺るがされない 』
きょう、この曲はなかったけれど、
いままでの暗きを歩くような辛さや
一瞬のきらめきにも似た喜びなど
たくさんのことを振り返り、
その思いを新たな気持ちで感じ受け止めることができるような
たくさんの言葉をいただいた。
これからあるであろう良きことも悪きことも
見つめて進んでいくことが出来そうな気がした、彼女たちとなら。
今日という日、そして昨日も、
その前にある一日一日でさえ、
そんな多くの恵みに満たされているのだと感じた。
(それは悲しみの恵みでも、喜びの恵みでもあるけど。)
その感じられる恵みのときが
これからも時折でもあるというのなら、
まだ死にたくはないかなと思えた。
わたしは彼女たちのようには素晴らしくはないけれど、
彼女たちと同じくらい神への想いは変わることがない。
きょうわたしは、
彼女たちと出会い、大きな決断の場にたどり着くことができた。
これから、それを含めてわたしは変わっていかれるのかな。
わたしは神のおかげでつらくないのだろう。
いつもいつまでも。