昨日のとある神父様のお説教。
『突然大切なひとがいなくなったら』という話をされた。
私はその説教を聞きながら、
人間いつ死ぬかも分からないのだということや、突然いなくなることがどれほど辛く,ショックだったのかということばかり考えていた。
だから、
わたしがその説教から思うに至ったのは、こんなことだった。
「私にとっての大切な人ってどんな人のことなのだろう?」
「たとえば何人のひとが当てはまってるのだろう?」
「どの程度からが大切なひとなのだろう?」
素敵なお説教だったのに、そんな事しか考えてなかったことが今はもったいなかったと思うが、でもそれはそれでその時にちゃんと真剣に考えたいと思えたのだからいい。
そして、そのうちに一つの解答が得られた。
その瞬間に涙が溢れてくる状態になるほどの解答。
性懲りもなく、また涙が出てきてしまった。
そういえば、いつも私の涙に気が付いてくれる子供がいる。
今回もまた、ギリギリで救われた。
いつも私がそんな時には、なぜかその子とふと目が合う。
昨日はその子にただ優しく微笑まれ、
ハッとして私も泣き顔で微笑み返してた。
これからも私をいつでも見ていてくれるんだろうか。
おかげで考える,思い詰めるところから抜け出せた。
昨日はそのあとも子供たちの相手をしながら、
ふと得たそんな幸せな気付きをかみしめていました。
そんな子供たちはもちろん私のとっても大切なひとだけれど、
その他いろんな気持ちになって考えてみると、
その人がいなくなったときに、
自分が傷付き,泣くことがあるなら大切なんだと思う。
例え言葉は交わしたことがなくても、
同じ世界と同じ気持ちを持っている相手や
「出会えて良かった。変えられた。」と感じたひとも、
わたしにとっては大切なひとなのかもしれない。
そういうことなら
私はなんと多くの大切な人と出会っているのだろう。
そしてどれほど支えられて、生かされてきたのだろうか。
もしその一人一人がいなかったなら
私は違う私だったのかもしれないと思っただけで、
感謝で胸がいっぱいになった。泣きそうになった。
その感じられたことに喜びを改めて感じる中で更に思ったこともある。
そんな多くの思いの内で、大切なひとはいくらいたとしても、
私の気持ちの中では一番に大切なひとというのは結局一人なんだ、
ということにも気が付かされたのだ。
それはわたしだけの心の持ち方なのかもしれないけれど・・・。
私の人生には心から愛してしまうであろうひとがいるんだ。
ということに、喜びも悲しみも、たくさん感じた。
それは安心して身を委ねられる相手であり、
自分の背中も心も預け、信じられる相手なのだろうか。
きっと、私は心からそのひとを信頼するのだろう。
つまりは心から信じ頼っているということになるのかな。
これから先、いつそんなひとに気が付くのかは分からない。
だけどきっとその人になら
口に出さずとも私の想いは伝わっている、
そう信じられるのだと思う。
正直、好きだとか愛しているだとかは、
口に出さなきゃ絶対に伝わらないものだと思っていた。
だから、好きな人には好きだと言うつもりで生きてきた。
(実際に言うことは少なかったのだけど。)
それは、そんな口から出る言葉程度で伝えられるほどの想いなら、
私には必要な人じゃない!と思ったから。
なにより『言葉や行動で愛を表すなんて、なんて些細で小さいもの。』としか思うことができない今。
表すことや形は勿論悪くも無いけれど、その行いによってそれだけに留まってしまいそうになるなら、私は必要ないのじゃないだろうかと思った。
そのいわないことの大切さをも教えてくれたひとのこと、いまは大切に思ってる。
いまこのときを含めて、全てはここにつながっていくのだろうか。
『 Let It Be 』
あるがまま。
御心のままに。
神の想定内。
大丈夫、彼女には伝わっている。そう信じられる自分でありたい。 でも、いつからだろうか。私は口に出さなくなった。