白山温泉 ---- 別当出合 ---- 砂防新道 ---- 中飯場---- 甚乃助避難小屋 ----
弥陀ヶ原 ---- 室堂 ---- 御前峰(標高2,702m) ---- お池巡り ----
室堂 ---- 観光新道 ---- 殿ヶ池避難小屋 ---- 別当出合
白山は、『越白嶺』(こしのしらね)と呼ばれ、その名残が白山の麓の地名である
『白峰』に残っている。
白峰の村の佇まいは、100年以上前に建てられ、懐かしい山里の民家の家並みの
風景が続いていた。ある時は『白山』(しらやま)とされ、現在は白山(はくさん)の山名となっている。
山旅の題名を「加賀白山」とするのも少し憚れた。それは、江戸時代のこと、
加賀、越前、美濃の国で、白山信仰のご神体である白山山頂の帰属争いがあったと
知ったからだ。
現在は、石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがる、白山国立公園である。
[甚五郎小屋付近から山頂を望む]
私が、初めて白山を見たのは、1998年、夏の剣岳山頂(3003m)からだった。
遮るもののない絶壁の頂の上から、鹿島槍ヶ岳、白山、白馬、槍、穂高を一望
したのだった。その時の白山は、遥か雲上の彼方にひとり佇み、孤独で寂しい
というより神秘的な対象として、素直に手を合わせ祈りたくなるような存在感が
あった。
きっと、越前の人、泰澄大師も、白山に霊峰としての想いを抱いて、修行の場
として切り開き、神を祀ったのだろう。
誰も登ったことの無い山に挑むことは、どれ程大変な想いをしたことだろうか。
細々と踏跡が残った道は、後に、越前・加賀・美濃から続く白山信仰の禅定道と
なった。今では、日本各地に白山神社が点在し、白山比咩大神(しらやまひめの
おおかみ)が祀られ、日本の風土に深く根を下ろした白山信仰の厚みを感じる。
[室堂 奥宮祈祷殿]
故郷を離れ、東京で詠んだ啄木の”ありがたき ふるさとの山”は、岩手山だった。
故郷に帰ることのなかった啄木だが、やはり、故郷は、遠くにあって想うもの
だったのだろう。
白山の姿は、加賀、越前、美濃からも”ありがたき ふるさとの山”として神々しく
望まれる。遠くにあって故郷を想い、その姿を思い浮かべれば、自ずと自然崇拝の
感情が芽生え、素直に土地の山を信仰の対象にすることも頷ける。
その白山に通じる道は、加賀馬場、越前馬場、美濃馬場の禅定道である。
谷間の夜明けは遅い。まだ明けやらぬうちから歩き出した。
目の前に立ちはだかる絶壁を見詰めながら、暗い道を歩いて行くのは嫌だった。
整備されすぎた石積みの道を辿りつつ、神々の宿る白山を修行の場として切り開い
た泰澄大師のことを考えると、なんと恵まれた登山をしていることかと想う。
白山の懐に入って行く山道が続き、息が弾んだところで、ハクサンフウロの咲く
山腹で、白山延命水の雫を集め、やっとキャップ一杯にして飲んだ。
白山は、尾根筋をのぞき、水場には不自由しない。
室堂へは、ちょっとした仕掛けがあって、すぐ傍まで来ているのに、聖地、室堂は
見えない。やがて、室堂へと続く道が背丈を越えると、ひょいと現われる。
突如現われた室堂の姿に感動する、という具合になっている。
[白山山頂から剣・立山]
伊弉冉尊(いざなみ)、伊奘諾尊(いざなぎ)、菊理媛尊(くくりひめのみこと)が
祀られた、白山山頂からの眺めは壮観だった。
青き山々が幾重にも重なり、その一番高いところに剣と立山があった。
かつて剣と立山から眺めた白山は、雲海の上に顔を出し、孤高の人のように優雅に
長い裾野をひいて佇んでいた。いつかは白山へ行きたい、そう思っていた。
今度は、こちらから眺めることになった。かつて自分が眺めた憧れの山に登り、
その山から再び眺め返してみることはなんという幸せなことだろうか。
ずいぶん長いこと山頂にいた。絶景の虜になっていたのだろう。
午前5時から登り始め、山を下りたのは、午後4時だった。およそ11時間山中に
いたことになる。
黒ボコ岩から白山禅定道の道をとり、降りてゆく途中、カンカン照りの観光新道を
登ってくる人達がいた。上から見ても、いくつもの尾根のコブが谷底に落ち込んで
いる。その谷底に落ちてゆく人と、谷底から這い上がってくる人たち。
まるで人生の交差点のようだ。ご挨拶を交わすと石川と福井の方だった。
私が熊に出会ったときの話やら、畑仕事を放り出し前日に別山に登ってきたこと、
午後の陽射が容赦なく照りつける南の斜面で30分は立ち話に興じてしまった。
今日は南竜小屋まで行くという。居心地のよさそうな南竜の斜面を羨ましげに振り
向き、また今度、ということはないのだろうなぁ、と 込み上げてくる想いが後を
引いていた。
何処の誰だかわからぬ私を相手に、他愛のない立ち話をしたことで、少しは、
急な山道を登り詰める、束の間の休息になっただろうか。
暑さのために頭が撹乱し、途中で投げ出してしまうのではないか、と思われた
白山登山もどうにか此処までくることができた。暑さで撹乱した頭は、そのお陰で”畏れ多き山”のことはどこかに忘れ去り、考えずに済んでいた。
[神々が造りだした国のようだった]
白山には、伊弉冉尊(いざなみ)、伊奘諾尊(いざなぎ)、菊理媛尊
(くくりひめのみこと)が居て、神様同士の天上の騒動はしばらく静まっていて
ほしかった。
イザナミが火の神を産み、苦痛で死んでしまい、黄泉の国に行ってしまう。
イザナギは、黄泉の国までイザナミに逢いに行くが、イザナミの体は既に
蛆が這い回り、死臭が漂い、腐乱している。
みてはならぬというイザナミの言葉を無視し、むごたらしいイザナミの姿を
見てしまったイザナギは逃げ出し、黄泉の国の入り口を大岩で塞いでしまった。
最早、一緒に暮らすことはできないと、二人の仲は絶縁状態になった。
一緒に寄り添っていた菊理媛尊は、何か言葉を発すると、イザナギはそれを褒めて
帰ったという。菊理媛尊が何をどう執り成したのか、わからない。
壊れてしまった二人の神様の関係をただちに修復してみせたことは確かだ。
天地開闢(てんちかいびゃく)を成し遂げた神でさえ、このような縁を取り持つ
神の仲立ちが必要なのか。さらに神様の関係を糾(ただ)していまうのだから、
菊理媛尊の魔の神通力というものだろう。この三神がそれぞれ存在することに
よって、国が生まれ、神が生まれ、神々の縁が結ばれ、神の国は平穏になり、
下界の国土と民が平定する。日本の神話は、真によくできている。
私は、霊験あらたかな山を下りて、何を思ったことだろう。
いつか見た、『越白嶺』(こしのしらね)という、国造りをした神様のいる霊峰に
立つことができ、無信仰の私が、何事も無く山を下りることができたのは、とりも
なおさず、白山の神々に守られていたからだろう。
頂に上ってゆくということは、天上の世界に近づいてゆくということだ。
高き所に登ってゆくにつれ、徐々に何者かになってゆくということだと思う。
高き山の頂から降りてくるということは、何者かになった者が、本地垂迹(
ほんじすいじゃく)して、神仏の迹(あと)を垂れ、あまた八百万の神々として
至る所に化身として現れ出てくるのだろう。