夢の中の夢

 

夢の中で夢をみることはあるのだろうか。
夢をみている私が夢をみる。

ある日の夜、傍らに誰かが横たわっていた。床の上にのっぺりとした姿が、
だらしなく首をもたげこちらを見ていた。
輪郭に見覚えのある人だった。・・・たぶん、あれは、あの人だろう。
暗闇の中の一瞬の気配だったが、すぐにそれとわかった。
それがそうだとしても、あの人の確かなことは何もわからなかった。
能面のように表情のない強い視線だけがこちらに向けられたままだった。

 

私は、特に動揺して、うろたえることもなく、ただ、投げ掛けられてくる視線に
目を合わせていた。
夢の中の私は、倒れている誰かを慮り(おもんばかり)救いの手を差し伸べることも
無かった。その辺りの部屋の空気は淀んで、モノクロの風景写真の中に浸っているかのように、音も無く静かな呼吸が繰り返されていた。

 

イメージ 1 <E.A.ポー/G.ドレ画「大鴉」より>

 

 

漆黒の闇の中に、細く白い指が見えたように思った。それは、血の通っていない、
たぶん体温が感じられない人の手のように思えた。
夢の中の私は、それを確かめようとしたのか、右手を伸ばしその細く白い指に触れ
ようとしてみた。もう少しで指に触れるかと思うと、微妙な間隔を残して届かない。
再び手を伸ばして試してみるが、やはり届かない。何度試してみても、決して、
闇の中の細く白い指に届くことはなかった。

 

暗闇の中で眼をあけ、辺りを見回してみると、毎日繰り返される仕事場の風景の中に
私がいた。
いつものように他愛のない揉め事を解決して、帰り支度をしながら着替えている
ところだった。すると、目の前に通勤電車が音も無く滑り込んできたではないか。
私はいたって冷静で、何事もないかのようにゆっくりとした仕草で着替えを続けて
いる。そして、いつものように混雑したホームにいる乗客はいそいそとドアの向こ
うに平然と乗り込んでゆく。
車内は静かで誰もがこちらを向いて私の方を見つめている。
ようやく着替えを済ませると、急ぐ様子も無く閉まりかけたドアをすり抜けて
車内に消えてゆく。
『座れないな』と思いながら、一日の様々な出来事を何度も想い出しては忘れて。
私の隣の座席に、君が、ぴょこんと座ったような気がしたのだけれど、それは
気のせいだったのだろうか。
私は家に帰るのだけれど、君は何処へ行くのだろうか。
電車は次の駅には止まらなかった。
いつまでたっても、電車はどこの駅にも止まることはなかった。

 

電車は揺れることも無く、走っているのだろうけれど音も聞こえない。

車内の知らない人達の間にいることが快く思われ、いろいろなもの事が走馬灯の

ように繰り出してきては回り巡っていた。
君のだらしなく首を擡げた態度も眼に浮かび、不思議にそのことに落胆することも

なく、いつまでも同じような風景を眺めていた。夢の映像は次第にしぼんでゆき、

それ以上、夢は続いていくことはなかった。

 

無表情の意味も、強く投げかけてくる視線の意味も、今になると、なんだかわかる
ような気がした。だから何事もそれより先に進むことは無かった。
夢の中で見た夢の記憶もそれで途切れてしまった。
ついに、君は、夢の中でも警戒心を解き放つことはしなかった。
何処にでもいるような「赤の他人」から、気心の知れた「見慣れた他人」になる
ことは、絶対に不可能だった。
強い防御システムと有刺鉄線のバリアで雁字搦めになっている、まるで無表情な
サイボーグのように思われた。

 

人というものは、繰り返し接触すると好意を持ちやすくなるらしいが、果たして
そんなことはあるのか。
いつの日にか、ザイアンスの法則は効力を現すことがあるのだろうか・・・。
そのような人の習性など信じられるだろうか。
一歩でも親密になるには、積極的に人前に出て、もっと自分の存在を認識させる
必要があったのではないか。
いつものようにさりげなく出会うことがなければ、親密さはたちまち減衰して
ゆくことになるのだろうから。

 

それにしても、私も君も、何をどう判断して、どのように行動しているのか。
食べ物の好みや服の色や形も、君という人物のことも。ひょっとすると、風前の灯

みたいな記憶の欠片と塵芥のような情報から咄嗟に判断して決めているのではないか。それはとりもなおさず、生存競争を勝ち抜くため、食うか食われるかの弱肉強食の太古の記憶から身についた人間の習性機能なのだろう。
夢の中で君が差し出した白い指と私の指の間には、途轍もない時間が流れているのかもしれない。

 

今ある情報からすぐさま行動に結びつける、直感による動作、それはまさに環境に対する適応力だろう。
静寂と漆黒の闇の中の指と指の数ミリの狭間には、気の遠くなるような時間が流れ去り、暗黒の宇宙へと繋がっているのだ。
結局のところ、直感によって行動することは叶わなかったのだから、環境に対する適応力のなさは、手を離せばたちまち宇宙の彼方へふっ飛んでいってしまう。

 

やがて、ぶつぶつに途切れた夢は覚めた。
覚めた夢の中でお互いに確かめ合う言葉も無くなって、君の姿も、自分も、いつの間にか見えなくなった。物音一つしない真空の異様な空間の中に、いつまでも留まっているのがわかった。
時間のない世界というものがあるとすれば、きっとこんな風景なのかもしれない
と思った。うつろな眼に映っていたのは、漆黒の闇の中に誰かの顔がぽっかりと浮かんでいる光景だった。

夢は、いつ終わるのか。
始まりと終わりのない芝居なのだとしても、「夢の中の夢」は、もう一度覚めなければならなかった。

 

     蓼科山                    2018.10.9  

 

大河原峠 --- 将軍平 --- 蓼科山荘 --- 蓼科山頂ヒュッテ ---
蓼科山頂---奥宮---蓼科山荘--- 天祥寺原--- 亀甲池---
双子池---双子山 ---大河原峠

 
これほど心がざわついた事もめずらしい。
蓼科山に向かうことは、仕舞っておいた玉手箱を開けてみるようだった。
少年の頃、八子ヶ峰の尾根道を歩いて行った時、終始寄り添うように蓼科山の姿が
あった。
見上げた蓼科山の何処かの辺りから聞こえてきた「今度はこちらへいらっしゃい」という
囁きに誘われて、ようやく瞼の裏側に残っていたこの山を訪ねて行く。

 

 

白樺湖側から登るか、佐久側から登るか、または山中に一泊してゆっくりと楽しむことに
するか。麓か頂上小屋か、日の出、夕焼けは見たいのか・・・思案した挙句、荷物は山中
に一泊するつもりで用意することにした。
最後の山歩きからもう何年になるのだろうか。そもそも歩けるのか、日頃の体力訓練も
してはいない。それにもまして天候が安定しない。6月の梅雨明けから酷暑となり、台風が
次々にやってきた。
今年の夏の天候は荒れ模様で、とりあえず、山仕度を済ませたものの出鼻を挫かれては
今度は何日に出発するかと延期を繰り返していた。

 

 

イメージ 1 <蓼科山頂から懐かしい八子ケ峰を見下ろす>

 

 

ようやく台風の襲来が収まったのは10月に入ってからだった。コースは、蓼科山を
一回りする池巡りのコースにした。こんなに長い間、山登りから遠ざかっていて
この山道を歩けるのか、そんな想いが沸々と湧き出していた。
大河原峠には大河原峠ヒュッテがあり、登山基地としては便利だろう。ここに宿泊を
するコースを考えていたが小屋番が常時いるとは限らず蓼科の小屋は予約が必要
に思われる。

 

 

大河原峠からは山荘の脇を抜けて前掛山の稜線に登ってゆく。
蓼科山は、さらにその向こう側に聳えている。鳥の声すらしない、静かな朝だった。
コンパスと地図で蓼科山の方角を定めるものの、コンパスの使い方すら覚束なく
なっていた。鬱蒼とした樹林帯を上りきった佐久の最高地点付近は、度重なる
台風にみまわれたせいか、倒木が多く見られた。
倒木はやがて朽ち、陽が差し込むようになった倒木の跡には新しい生命が芽生える。
そうして其処は、また別の風景になる。

 

 

イメージ 2 <天祥寺原>

 

 

森林限界を過ぎ、ひと登りすると蓼科山頂ヒュッテが見える。ここで少し早い昼食
にした。ここがたぶん深田久弥が日本百名山で「山頂に小屋ができるそうだ」と
書かれていた小屋なのではないかと想いを馳せてみた。
ここが山頂だと思って寛いでいたところ、誰もここで休憩することなく通り過ぎてゆく。
溶岩のゴロゴロした岩石の中に奥宮があった。鳥居のある小さな祠で私がリュック
を下ろすと同時にその場に到着した青年が自分のリュックを下ろした。
偶然の同じ仕草に気恥ずかしい微笑ましさを感じる程だった。
私は、その青年に下ろしたリュックから一粒の飴を差し上げた。
「そろそろ何か口にしようと思っていたところです。」飴を受け取るとすぐに口に入れた。
私は、薬師岳へ登る尾根道で貰った一粒の飴のことを想い出していたのかもしれない。
今度は私がそうした。
威勢のいいこの青年にかつての自分をみているような気がしていた。

 

 

蓼科山頂からは、懐かしい八子ケ峰が眼下に尾根筋を伸ばし、あの頃の思い出の
山道を辿っていけるように思えた。
この青年とは、山頂から降りる大岩の上で再び出会った。「ここは南面ですか?」と
訪ねられた。
私も気づかず、「あっ、あの時の方ですね・・・」とお互い顔を見合わせてしまった。
登り降りに使う尾根道が南面か北面かにより、日当たりや風の吹き曝しに会うなど
重要な要素だ。蓼科山荘からは天祥寺原へのルートをとり、岩石だらけのガレ場を
何度も越えながら降りていった。
傾斜が緩やかになった頃、別天地のような天祥寺原に着いた。
唐松林の上に蓼科山が大きく聳え、誰もいない天祥寺原は静かで桃源郷にいる
心地がした。

 

 

イメージ 3 <紅葉の始まった双子池>

 

 

なかなか到着しなかった双子池。行けども行けども見えてこない双子池だった。
しかもひと山向こう側へ登って行くのだ。
木立の中の奥の方にみえてきたのは、亀甲池だった。水嵩が増えているようで、
周囲を巡る山道は隠れて沈んでいた。そろそろ紅葉の始まった静かな湖畔に
独りぼっちで重くなった足の先を気にかけていた。

 

 

双子池はまた更にひと山超えていくようなのだ。
なかなか着かない双子池への途中、苔生した森の中であの青年と出会った。
「今日は三度目ですね。」と言われ、私は三度目だったか、記憶になかった。
青年は、私とは逆周りでビーナスラインの登山口に戻るのだと言ってお別れした。

 

 

もしかすると、私を今頃蓼科山に誘ったのは、蓼科山に住んでいるという
”ビジンサマ”という妖怪だったのかもしれない。蓼科山の妖怪は、黒い雲の球に
なって空を飛び、私のところへやってきて蓼科山へと誘ってくれた。
赤や青の裃のようなものが垂れ下がっている妖怪の姿は不気味だが、蓼科の
すばらしい景色と大昔の想い出に浸ることができ、”ビジンサマ”という山の神様に
心から感謝して、山屋の一日を終えた。

 

    心の旅路  蓼科の山々         2018.11.11  

 

<忘れかけていた山旅のタイムカプセル>

 

いつか行った懐かしい山々。その朧げな想い出は、かつての山旅のタイム
カプセルの中から蘇ってきた。
その中でも蓼科山は、いつも心の何処かにあって故郷の山のように私の心を
いつまでも繋ぎ止めてくれていたようだ。

 

 

「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」
そうだ、石川啄木の『一握の砂』のように。

 

 

イメージ 1

 

 

今までに私は、蓼科高原を三度訪れている。
初めて訪れたのは、中学3年の夏休みのことで、新宿から夜行列車に乗って
夜明けに茅野から蓼科に入ったのだった。
カーキ色のキスリングザックに、寝袋、テント一式を担いで初めてのキャンブ
計画だった。そのうちの一日を登山ルートに選んだのが、八子ヶ峰から白樺湖
への山道だった。

 

 

途中、長く山裾を広げた憧れの八ケ岳を望み、八子ヶ峰の尾根道に乱舞する
アキアカネの大群の中を観光客で賑わう白樺湖を目指して、たおやかな稜線の
尾根道を往復した。
山頂らしきものがない八子ヶ峰(1834m)の尾根道は秋の気配が漂い、明るく
のびやかな展望が開け、すぐ隣にあるなだらかな山容の蓼科山を思う存分眺めて
いられた。
尾根道には、王様のベットのような大きな岩があったり、椅子の形をした石の
ベンチがでてきたり、興味深く飽きずに歩ける山道だった。

 

二度目の蓼科高原は、こんな山旅だった。
夏合宿を終えた帰り道に寄り道を企て、霧ヶ峰の沢渡から車山に登り、
見渡す限りの草原を八島湿原へと向かっていったのだった。
山歩きにしてはあまりにも軽装備で、はずかしいくらいだった。
道すがら、偶然お会いした二人連れのお嬢さんと二言三言何かを会話し、
一緒に到着した和田峠でお互い反対方向へと山を降りていった。

 

 

和田峠という佐久と諏訪を結ぶ薄暗い峠道で、麓に降りるバスを待っていた。
峠の向こうとこちらのバス停で、どちらのバスが先に来たのかも覚えていない。
果たして「さようなら」と言ったのか。ただ、二人連れのお嬢さんを見送った
だけなのかもしれない。
心残りがあったのか、若輩の青年ながらに人の運命というものの”儚さ”を
この時、微かに感じ取ったのかもしれない。
霧が峰や蓼科の高原は遊ぶ山であるとともに、山の醍醐味とは別に、
物思いに耽り、何かもうひとつ自分の心と遊ぶことの出来る山々であると思う。

 

そして、三度目に蓼科高原を訪れたことを忘れかけていた。
やはり、夏合宿に参加するついでに、翌朝上諏訪に到着する最終の夜行列車に

乗り、上諏訪からバスで霧ヶ峰へ上がっている。沢渡からヒュッテジャペルを

通り、緩やかな起伏を繰り返す車山のなだらかな山頂に佇み、薄紫の松虫草の

季節を思う存分感じ取った。

そこから白樺湖まで下って、当時5年前に訪れた思い出の山道となった、

八子ヶ峰への道を辿っている。

 

八子ヶ峰へ登るリフト沿いに古い記憶を呼び覚ましながら高原の山道を歩いた。
眼前にたおやかな蓼科山が裾野をのびやかに広げ、
まるで「今度はこちらへいらっしゃい」
と言っているかのように私の目に映ったのだった。
八子ヶ峰の尾根筋にはあの時と同じようにアキアカネが飛びかい、ごつごつした
八ヶ岳の山並みがいつも私の傍に寄り添ってくれて、空の色も、風の匂いも
そのままだった。

尾根筋にあった大岩の王様のベットや石の椅子は健在で、しばらく懐かしい
石の上に座ったり、寝そべったりしていた。
当時、色とりどりのテントが張られていた大滝キャンプ場に立ち寄って、当時の
ことを想い出している。
この時は、時節も9月に入りキャンプシーズンも終わって、懐かしいキャンプ場は、
「あの日の賑やかな声がどこからか聞こえてくるようでもあった」と記している。

 

 

イメージ 2 天祥寺原から蓼科山を望む

 

 

<蓼科山の”聞こえざる声”>

 

私は、三度の蓼科高原への山旅のことをすっかり忘れていた。
今、自分のブログを読み返してみて、過去の記録から忘れかけていた山旅の
記憶を蘇えらせることができた。
そして今回の山旅は、まさに古い記憶の中にあった蓼科山からのいざないの
山旅だった。

少年の頃、嬉々として八子ヶ峰の尾根道を歩いて行ったその時、何処から
ともなく聞こえてきた「今度はこちらへいらっしゃい」という囁きに誘われて、
ようやく、今回、蓼科の地を訪れ叶えることができた。
何処からか聞こえてきた蓼科山の”聞こえざる声”に応えようと思ったのだろう
と思う。
思い起こせば、なんと、あれから48年の歳月が流れてしまった。

 

関連ブログ

蓼科 親湯から八子ヶ峰''' 
霧ヶ峰から和田峠''' 
霧ヶ峰から白樺湖・八子ヶ峰へ''' 

熊の巣穴から  (その17) ―熊の巣穴のエピクテトス―  

 

<腐敗する魂>
熊の巣穴に一条の光が差したように思えたのだが、気のせいだったのだろうか。
私は暫くの間、外の世界を見ていない。
雨が降っているのか、晴れているのか、それも知らない。
熊の巣穴にいれば、外界を感知することはない。だから雨降りを嘆くこともない。
雨滴を止めることも、雲の動きも風の動きも、どうにもならず、なんともし難い
ことではないか。

 

 

独り悶々と暗闇の中にいる私の前に突然現れたのは、エピクテトスだった。
エピクテトスは、今から二千年以上も前の古代ローマ時代を生きた哲人だ。
無論、私は彼を知る由も無い。
身分は奴隷で、暮らしは赤貧洗うが如し。横暴な主人から虐待され生涯不具者
であったという。持ち物は、腰掛、枕、ランプだけ。そのランプさえ何者かに奪われ
てしまう。
「自分に余りに不釣合いな鉄製のランプを買って来たから盗まれたのだ。」と
自らを諭す。
二千年以上も前にも苦悩する人がいたのかと思うと、一体全体、人間とは
何かと思ってしまう。そして、その人の言葉だけが今の世に伝えられている。

 

 

「何事も大事なことは、突如として生ずるものではない、一房の葡萄や一個の
無花果の場合でもそのとおりである。もし君が今私に、『無花果がほしい』と
いうならば、私は君に、『そのための時間が必要だ』と答えよう。
まず花を咲かせるがいい、つぎに実を結ばせるがいい、それから熟れさせるがいい。
無花果の実は、突如として、そして一時間のうちにできあがらないのに、
君は人間の心の実を、そんなに短時間に、やすやすと所有したいのか。
私は君にいうが、それは期待しない方がいい」

 

 

そして、エピクテトスはこう言うに違いない。
「いくらでも悩むといい。そのうちわかるだろう。」
こうして悩んでいるうちに陽が暮れ、一日が終わった。
何千年も何万年も人は人である限り悩んで生きてゆく。

 

 

熊の巣穴に暮らしていると喜びを忘れてしまう。得体の知れぬ怒りが全身を
覆っているではないか。その息苦しさは何処から生じて来るのか、脳内の
扁桃体が何かに怒りを感じて息巻いているのか、兎にも角にも、熊の巣穴に
じっとして居れば、怒りを覚えることもないのではないか。
『それは、怒りが収まった時に考えよ。』エピクテトスならばこう言うに決まっている。
確かに、人の心は変えられない。

 

 

腹立たしい。唯それだけのことだったのか、一体、何を齷齪しているのだ。
もはや身体は腐敗し、正しい判断が出来ずに朽ちかけているのか。原因は魂。
然してその原因は、身体をコントロールできなくなった怠けてだらしない魂にある。
攪乱され、自由を失った魂こそその主原因。
人間味のない冷たい仮面を被った存在となって、何事にも無気力、無関心、無感動で
何とも思わなければ心を乱すこともないではないか。
そうして、たぶん、恐らくは、魂は腐敗する。

 

 

イメージ 1 [永遠の理想と希望の騎士「ドン・キホーテ」 Gustave Doré画

 

 

<逞しいほどの”想像力">
そもそも身体の不調の原因は、逞しいほどの”想像力"にあるらしい。
あることも無いことも想いを廻らす”想像力"。その身体を揺さぶるほどの”想像力"に
よって魂は呪縛され、虐待され自らの魂を苛む。
他人は自分を映す鏡だとしても、自分の中にあるこだわりや許せないものが溢れ出す。
然すれば、自分が自らを苦しめているというのか。
自分が思うこと考えること、そう思い考えることがそのまま自分自身を苦しめている。
自業自得。
エピクテトスの囁きはこうだった。
《幸福への道はただひとつしかない。意思の力でどうにもならない物事は、悩まないことである。》
しかし、それでもなお、悩み事は止め処なく湧き出してくる。
どうにもならない事に悩み、もがき苦しんでいると、何やら許せないものが溢れ出してくる。
逞しいほどの”想像力"を働かせ考える。
その結果、身体は耐えられずに不調を来たし、やがて不幸への道を辿ることになる。

 

 

<自分を見失わずにいることとは>
足を縛ばられ、門柱に繋がれた奴隷エピクテトスは言う。
「いっそのこと、私の足を切ってくれ。」苦難の中にあって平静を保つことを考える。
悪事をはたらいたわけでもなく、主人はエピクテトスの足を切りつける。
エピクテトスは激痛に堪え声を搾り出す。
「ご主人様、よく私の言う通りしてくださいました。」そのように言葉を発したのかも
わからない。だが、理不尽な仕打ちを自らの身を挺して自ずから悟るという境地は
どうすれば培うことが出来るのか。
《汝を罵倒したり、打ちたるその人間が汝を虐待するにあらず。それを恥辱なりと
考える汝の想念が、然らしむことをしかと考えよ。》

 

 

二千年前、このような人物がいた。二千年前の世の中を奴隷エピクテトスはこのように
生きていた。
罵倒され、鞭打たれ虐待されているにも拘らず、エピクテトスは、自身の外側を
取り巻く物事に翻弄されることなく、常に自分を見失わずにいることを教えてくれる。
それが即ち、自由ということだというのだが。
あなたの言葉を汲み取り、あなたのことを想像してみるしかない。
私は熟、二千年前に遡ってこの偉人に会い、この人の言葉をこの耳で直接聴いて
みたかった。

 

 

ある日の雨上がりの午後、私は、久しぶりに熊の巣穴の外に出た。
熊の巣穴のある小高い山の端が金色に輝いているのを見つけた。
午後の陽が雲間の下へと傾き、ちょうど森の斜面の角度と合わさったところで、
陽差しが斜面の木々の間に間に流れ込んで、尖って突き出た岩や石にあたり、
そこだけが異様な金色に煌いている。
やがて金色の光は、色褪せてしまい光の一瞬の演舞は瞬く間に終わった。
熊の巣穴の外には"自由"はあるか。

 

    「いこいこ爺さん」の想い出        平成30年3月3日

 

かれこれ、五十年以上前、小学生低学年の頃の遠い記憶の片隅にあった出来事である。
それは、とうに忘れていた独りの老人のことだ。

 

 

学校から帰ると、路地裏で缶蹴りやかくれんぼ、狭っ苦しい路地での野球をして遊ぶのが
日課だった。そして、遊びが面白くなってきた頃には陽が暮れてしまう。
路地裏の遊びに夢中になっていると、路地の向こうから、磨り減った下駄を引きづり鳴ら
して、のっそりと毬栗頭の老人が杖をつき、にこにこしながら私たちに近づいて来る。

 

 

爺さんが来ると、遊びがどんなに佳境に入っていても一時中断になった。
私たちのところで立ち止まり、子供たちの頭を一人ずつ、いこいこと撫ぜていくのだ。
唯黙って、浅黒いごっつい手で、いい子だ、いい子だというように。
爺さんの服装はいつも同じ着物の姿だった。和服のような、どてらのようにも見えた。
だから遠くからでもすぐにその爺さんだとわかる。
まるでお地蔵さんが歩いてくるようだった。
子供たちは誰も嫌がったり怖がったりはしないで、爺さんの方に頭を差出し、爺さんは
一人ずつ、いこいこと撫ぜていくのだ。
私たちは、その爺さんのことを”いこいこ爺さん”と呼んでいた。

 

 

イメージ 1 [在りし日の爺さんの姿に重なった]

 

 

爺さんは私たちに近づき、ゆっくりと、子供たちの頭を一人ずつ、いこいこと撫ぜる。
その動作がいつも同じように繰り返された。
ひととおり遊び仲間の頭を撫ぜ終えると、磨り減った下駄を引きづり鳴らして、
ゆっくりと遠ざかっていった。
爺さんがやって来るのが、一日おきになり、やがて三日に一度になっていった。
一年が過ぎただろうか、”いこいこ爺さん”のことはすっかり忘れていた。
爺さんに一度出会ったきり、やがて見かけなくなって、それから何年も、何十年も
想い出すこともなく月日は流れた。半世紀が過ぎ、ふとしたことで古い微かな記憶の
底から”いこいこ爺さん”の姿が蘇った。

 

 

今はもう、どんなに待っていても”いこいこ爺さん”は来ない。
どこからも磨り減った下駄を引きづり鳴らす音も聞こえない。あの路地はそのままだが、
路地で子供たちの遊ぶ姿は見かけない。
知らない爺さんが近づき、子供たちの頭を撫ぜていく姿など想像もできない。

 

 

あの頃、爺さんと子供たちの微妙な距離感と頭を撫ぜられる不思議な感覚とが
微かな記憶の片隅から、磨り減った下駄の音と共に聞こえてくる。
爺さんは子供たちの頭を撫ぜることで、子供たちや弱い者に愛情を注ぎ、かわいがって
大事にする”慈しむ心”を抱いていたに違いない。
私たちは、爺さんに頭を撫ぜられ、不思議な気持ちが湧き、自然と歳とった爺さんを
敬う気持ちを育んでいったようにも思える。

 

 

あの”いこいこ爺さん”は、今頃どこを歩いているのだろう。
そして、今日、一体全体、誰がその役目を果たすのだろう。