夢の中で夢をみることはあるのだろうか。
夢をみている私が夢をみる。
ある日の夜、傍らに誰かが横たわっていた。床の上にのっぺりとした姿が、
だらしなく首をもたげこちらを見ていた。
輪郭に見覚えのある人だった。・・・たぶん、あれは、あの人だろう。
輪郭に見覚えのある人だった。・・・たぶん、あれは、あの人だろう。
暗闇の中の一瞬の気配だったが、すぐにそれとわかった。
それがそうだとしても、あの人の確かなことは何もわからなかった。
能面のように表情のない強い視線だけがこちらに向けられたままだった。
能面のように表情のない強い視線だけがこちらに向けられたままだった。
私は、特に動揺して、うろたえることもなく、ただ、投げ掛けられてくる視線に
目を合わせていた。
夢の中の私は、倒れている誰かを慮り(おもんばかり)救いの手を差し伸べることも
無かった。その辺りの部屋の空気は淀んで、モノクロの風景写真の中に浸っているかのように、音も無く静かな呼吸が繰り返されていた。
<E.A.ポー/G.ドレ画「大鴉」より>
漆黒の闇の中に、細く白い指が見えたように思った。それは、血の通っていない、
たぶん体温が感じられない人の手のように思えた。
夢の中の私は、それを確かめようとしたのか、右手を伸ばしその細く白い指に触れ
夢の中の私は、それを確かめようとしたのか、右手を伸ばしその細く白い指に触れ
ようとしてみた。もう少しで指に触れるかと思うと、微妙な間隔を残して届かない。
再び手を伸ばして試してみるが、やはり届かない。何度試してみても、決して、
闇の中の細く白い指に届くことはなかった。
暗闇の中で眼をあけ、辺りを見回してみると、毎日繰り返される仕事場の風景の中に
私がいた。
いつものように他愛のない揉め事を解決して、帰り支度をしながら着替えている
いつものように他愛のない揉め事を解決して、帰り支度をしながら着替えている
ところだった。すると、目の前に通勤電車が音も無く滑り込んできたではないか。
私はいたって冷静で、何事もないかのようにゆっくりとした仕草で着替えを続けて
私はいたって冷静で、何事もないかのようにゆっくりとした仕草で着替えを続けて
いる。そして、いつものように混雑したホームにいる乗客はいそいそとドアの向こ
うに平然と乗り込んでゆく。
車内は静かで誰もがこちらを向いて私の方を見つめている。
ようやく着替えを済ませると、急ぐ様子も無く閉まりかけたドアをすり抜けて
車内は静かで誰もがこちらを向いて私の方を見つめている。
ようやく着替えを済ませると、急ぐ様子も無く閉まりかけたドアをすり抜けて
車内に消えてゆく。
『座れないな』と思いながら、一日の様々な出来事を何度も想い出しては忘れて。
私の隣の座席に、君が、ぴょこんと座ったような気がしたのだけれど、それは
『座れないな』と思いながら、一日の様々な出来事を何度も想い出しては忘れて。
私の隣の座席に、君が、ぴょこんと座ったような気がしたのだけれど、それは
気のせいだったのだろうか。
私は家に帰るのだけれど、君は何処へ行くのだろうか。
私は家に帰るのだけれど、君は何処へ行くのだろうか。
電車は次の駅には止まらなかった。
いつまでたっても、電車はどこの駅にも止まることはなかった。
いつまでたっても、電車はどこの駅にも止まることはなかった。
電車は揺れることも無く、走っているのだろうけれど音も聞こえない。
車内の知らない人達の間にいることが快く思われ、いろいろなもの事が走馬灯の
ように繰り出してきては回り巡っていた。
君のだらしなく首を擡げた態度も眼に浮かび、不思議にそのことに落胆することも
なく、いつまでも同じような風景を眺めていた。夢の映像は次第にしぼんでゆき、
それ以上、夢は続いていくことはなかった。
無表情の意味も、強く投げかけてくる視線の意味も、今になると、なんだかわかる
ような気がした。だから何事もそれより先に進むことは無かった。
夢の中で見た夢の記憶もそれで途切れてしまった。
ついに、君は、夢の中でも警戒心を解き放つことはしなかった。
ついに、君は、夢の中でも警戒心を解き放つことはしなかった。
何処にでもいるような「赤の他人」から、気心の知れた「見慣れた他人」になる
ことは、絶対に不可能だった。
強い防御システムと有刺鉄線のバリアで雁字搦めになっている、まるで無表情な
強い防御システムと有刺鉄線のバリアで雁字搦めになっている、まるで無表情な
サイボーグのように思われた。
人というものは、繰り返し接触すると好意を持ちやすくなるらしいが、果たして
そんなことはあるのか。
いつの日にか、ザイアンスの法則は効力を現すことがあるのだろうか・・・。
いつの日にか、ザイアンスの法則は効力を現すことがあるのだろうか・・・。
そのような人の習性など信じられるだろうか。
一歩でも親密になるには、積極的に人前に出て、もっと自分の存在を認識させる
必要があったのではないか。
いつものようにさりげなく出会うことがなければ、親密さはたちまち減衰して
ゆくことになるのだろうから。
それにしても、私も君も、何をどう判断して、どのように行動しているのか。
食べ物の好みや服の色や形も、君という人物のことも。ひょっとすると、風前の灯
みたいな記憶の欠片と塵芥のような情報から咄嗟に判断して決めているのではないか。それはとりもなおさず、生存競争を勝ち抜くため、食うか食われるかの弱肉強食の太古の記憶から身についた人間の習性機能なのだろう。
夢の中で君が差し出した白い指と私の指の間には、途轍もない時間が流れているのかもしれない。
夢の中で君が差し出した白い指と私の指の間には、途轍もない時間が流れているのかもしれない。
今ある情報からすぐさま行動に結びつける、直感による動作、それはまさに環境に対する適応力だろう。
静寂と漆黒の闇の中の指と指の数ミリの狭間には、気の遠くなるような時間が流れ去り、暗黒の宇宙へと繋がっているのだ。
結局のところ、直感によって行動することは叶わなかったのだから、環境に対する適応力のなさは、手を離せばたちまち宇宙の彼方へふっ飛んでいってしまう。
結局のところ、直感によって行動することは叶わなかったのだから、環境に対する適応力のなさは、手を離せばたちまち宇宙の彼方へふっ飛んでいってしまう。
やがて、ぶつぶつに途切れた夢は覚めた。
覚めた夢の中でお互いに確かめ合う言葉も無くなって、君の姿も、自分も、いつの間にか見えなくなった。物音一つしない真空の異様な空間の中に、いつまでも留まっているのがわかった。
覚めた夢の中でお互いに確かめ合う言葉も無くなって、君の姿も、自分も、いつの間にか見えなくなった。物音一つしない真空の異様な空間の中に、いつまでも留まっているのがわかった。
時間のない世界というものがあるとすれば、きっとこんな風景なのかもしれない
と思った。うつろな眼に映っていたのは、漆黒の闇の中に誰かの顔がぽっかりと浮かんでいる光景だった。
夢は、いつ終わるのか。
始まりと終わりのない芝居なのだとしても、「夢の中の夢」は、もう一度覚めなければならなかった。
<蓼科山頂から懐かしい八子ケ峰を見下ろす>
<天祥寺原>
<紅葉の始まった双子池>
天祥寺原から蓼科山を望む
[永遠の理想と希望の騎士「ドン・キホーテ」 Gustave Doré画
[在りし日の爺さんの姿に重なった]