日光白根山 2013.10.14
丸沼高原ロープウェイ--- 七色平分岐--- 白根山頂 ---
避難小屋 ---五色沼---弥陀が池---ロープウェイ頂上
雪で峰々が純白になる山姿は神々しい。心洗われる神の山を称して白根山と呼ぶ。
白根山という山は日本各地にあって、他の同名の白根山と区別するために
山の名の頭に日光、草津などとその土地の名をかぶせている。
日光にも白根山があって、通称を奥白根という。
奥白根は、心洗われる神の山であるが、なかなかその山姿を山中から望見する
ことはなかった。標高2578mの特異な山容を初めて見たのは、上州武尊山の
山中からであった。
武尊山の中腹を喘ぎながら登った山道で、紅葉が始まった木々の間のその奥の
枝先の隙間から突如岩、山をいくつも積み重ねたような異様な山姿は、仁王様の
ようにも見え、暫しその山容に見入ってしまった。
日光市と利根郡片品村の境にあるこの山は、中禅寺湖や戦場ヶ原のある日光の
観光地
にも程近く、賑わう尾瀬ケ原にも近いがその姿を垣間見ることは難しい。
関東北部の山に入り、山中深く分け入って思いがけずひょっこり顔を出してくる、
それも、安山岩の溶岩円頂丘という、拳骨を振り上げたような溶岩ドームの
部分だけが見えるので更にびっくりする。
ひょっとすると、長年の登山者でも、山中深く紛れ込んでひっそりと佇んでいる
この山の存在を知らないままでいることが珍しくないだろう。
[白根山]
拳骨を振り上げたような溶岩ドーム
さて、この特異な山に何処から登っていくか。
アクセスの良さからいえば、スキー場のある丸沼高原だろうか。
魅力的なこの山になるべく早く接近していくためには、なんとも安易だった
かもしれない。
初めて訪れた丸沼高原はこじんまりとして落ち着いた高原風景で、
周りは急峻な山裾が迫り、斜面は夏スキーのゲレンデになっていた。
ロープウェイの乗り場が麓の登山口にもなっており山頂駅まで運び上げてくれる。
登山というよりも、観光地である丸沼高原の雰囲気にどっぷりと浸かっている
ことに違和感を感じながら爽やかな高原の雰囲気にいつまでも溶け込めずにいた。
私は、登山とは、本来、”山旅”であって、”観光”とは異質なものという意識を
持っている。見知らぬ山々を巡り、山歩きの愉しみを味わいながら旅することで、
画一的な物見遊山の観光と一線を画してきたのだろう。そのようなものが
”山旅”の中にはあるのだと思っていた。
久しぶりの登山で、私の心は、”山旅”と”観光”の狭間で揺れていた。
なんとなく観光の匂いのするロープウェイの乗り場を登山口とした以上、
ロープウェイに乗るか、乗らぬかどちらかしかない。
現代文明の利器に満ち溢れた現代社会にいて、発達した交通手段と充実した
山の設備や近代的登山用具を身につけ、今更、何を言わんか。
「時代の子」として素直に、現代の恩恵を享受すべきではないのか。
いつか書いた山日記の中で、乗合バスで三千メートル近い畳平まで登っていく
安易さは乗鞍岳が山岳としての威厳や風格という意味を削がれて、
単なる観光の山に落ちぶれてしまったようで ”かわいそうな山” と呼んだ
乗鞍のあの時の感覚そのものであった。
自分にとって、山歩きはどうあるべきか、山を愉しむこと、山を想う贅沢な
回想が沸々と湧き上がってきた。
登山の本質はどこへいってしまったのだろうか、と自問自答の答えは
曖昧だった。
便利なロープウェイがあればそれに頼り、登山に観光の要素も柔軟に
取り入れてみることも一考だろう。
行程の時間短縮、体力の温存、と割り切ってみることもできれば、
泰然自若としてそれを受け入れることができる。
一応、登山スタイルで身を固めた容姿であればこそ、ロープウェイの乗り場に
素直に並ぶのは些か抵抗があった。
いろいろと、山登りのご託宣は並べてみたものの、緑なす急斜面を一気に
駆け上がっていくゴンドラからの眺めは爽快だった。
夏の熱気が残るゴンドラの大きな窓には雄大な深緑の山並みが幾重にも広がり、
誰もが手軽に深山幽谷の赴きを味わうことも”山旅”の魅力にはちがいない。
山頂駅に到着すると、
麓の賑わいがそのまま運び込まれたような雰囲気であった。そこからは、
仁王様の拳骨を振り上げたような溶岩ドームが間近に聳え立っている。
山頂広場にある重い鉄格子の扉を押し開けると、いよいよ日光白根山の
”山旅”が始まる。
薄暗い森林限界の森を抜けると明るく開けた砂礫の山肌が続き、白根火山
本体の拳骨の円頂丘に登ってゆく。
突き上げた拳の一番高いところが頂上なのだろうが、ごつごつした大岩は、
いったい何処が頂上かわからないほど目だった高低さがない。
好天に恵まれた山頂は混雑と言ってよいほどの賑わいだった。
山頂で戯れる人々の姿を見ても何も親しみは沸いてこなかった。
それは、安易にロープウェイに乗って頂に辿り着いた自分そのものの姿
でもあった。
山頂の空気は淀み、ざわめきだけが響き渡っていた。
山頂の賑わいに居たたまれず、すぐさま下山を決めた。
帰路は、五色沼に向かい、奥白根の麓を回って帰ることにした。
稜線から登山者はほとんどいなくなり、眼下にエメラルドグリーンの五色沼が
奥白根の眼のように神秘的な輝きを放っていた。
体力もあり、時間的な余裕も生まれ、山頂から400m程の標高差も難なく
降りられたのもロープウェイのお陰だろう。
「お一人だから、撮ってあげたら・・・?」岩の上に腰を下ろしていると
そんな声が聞こえた。
傍に居合わせたご婦人が仲間の方に向かって話しかけたのだった。
「一人で来ていらっしゃるのだから、記念写真を撮って差し上げなさい。」と
仰った。
私のような者に、なんだか嬉しいような、恥ずかしいようなおかしな気分では
あった。愉しそうにして寛いでいるメンバーの傍に私が居て、独り惨めな
寂しさが込み上げていた。
稜線の風はいつまでも穏やかに吹いて、少し熱くなった頬を撫ぜていった。
婦人の掛け声に答えて、一人の紳士が私のところに駆け寄ってきた。
素直に私のカメラをし出して、シャッターを切っていただくことにした。
ところが、私のカメラは、既に撮れる枚数をオーバーしていたようで、
しっかりポーズをとった記念撮影は空振りに終わった。
拍子抜けした場面で年配の紳士に丁寧にお礼を言い、更に恥ずかしい想いをして
その場を後にした。
急峻な下りの山道が続き、一面整然とした樹林帯の中に入っていった。
その景色を俯瞰しながら眺めてゆく山道は、なんとも気持ちの良いものだった。
一頻り下り、広く開けた鞍部に出て、道標になるような大きな岩のベットの上に
大の字になって寝転んだ。
下りきって平坦になった登山道は、目印にしていた避難小屋の前を通り、
五色沼に続いている。
ゆっくり、のんびり歩き、前方の視界が開けると五色沼の畔にでた。
標高2175mの沼の畔は、白根山、五色山、前白根に囲まれてまったく静かな
別天地の佇まいだった。紅葉にはまだ早く、木々は色づいていない。
沼の水面は漣すらなくひっそりとしていた。
白根火山の爆発により堰き止められた沼地はいつまでもここに居たいと想わせる
ような心安らぐ景色であった。
山々に抱かれた不思議な安堵感に包まれた沼の畔に腰を下ろし、五色沼と
それを取り囲む山々を飽くほど眺めていた。
荒々しい火山活動がこのような美しい風景を形作ってきたことを想うと、
自然の造形から人間の感覚が生まれることがなんとも不思議なことのように
感じられる。
大昔、このあたりを通りかかった人々も、私と同様の感慨に浸ったのでは
ないだろうかと想われた。
周りを山々に囲まれているということは、帰路はこの山裾をひとしきり登って
いかねばならない。
登りつめた頂の朽ちた木の上に横になり、青空を仰いでしはし大休止した。
周りの色づき始めた木々を独り占めにして、青空にゆうゆうと流れる雲を
追っていた。
目を瞑っていると人の声が近づいては遠ざかり、また足音が響いては
消えていった。
外輪山の頂を後にして、静まり返った森を抜けると弥陀ケ池の畔に出てくる。
菅沼からの道が沼の奥へと続いていた。そのまま、菅沼への道をたどっても
みたかった。
白根に登る道は、日光湯元温泉から外山尾根、天狗平を経て前白根を巡っている。
別の登山コースを想像しながら、七色平の森の中を彷徨い歩いた。
鬱蒼とした森林のどの辺りが七色平なのか、今、何処を歩いているのかさえ
わからなくなりながら道迷いを繰り返し、今朝来たロープウェイの山頂駅まで
戻ってきた。
ロープウェイで容易に仁王様の拳の頂まであげてもらい、車窓からは雄大な
奥日光の光景を眺望することができた。
いつまでも、心の中に不甲斐なさは残っていたものの、不図、山歩きの仕方に
想いを巡らせ、森閑とした森の中をゆっくりと歩いてゆく余裕を貰った山旅
だった。
そうそう、あれから三年が経ち、気がつくと奥白根で撮影した写真は消えて
しまい、想い出の写真は、帰路、山旅を終えてロープウェイ駅から振り向いて
撮った仁王様の拳の頂の写真一枚だけとなっていた。
期せずして辿りついた山奥の静かな沼の畔で、静謐なひと時を味わい、自然の
織り成す光景とともに奥白根の残像が鮮やかに蘇って来る心の風景となって
残っている。