私の「御伽草子」
亀に乗っている夢だった。混濁した意識の中で、大きな亀の姿が現れた。
亀は、斜め上方に首を長く伸ばし、ゆっくりと鰭を広げて泳ぎだした。
亀は、私が乗るにはちょうどいい大きさだった。水中を泳いでいたのだろうか?
亀は、何処に向かって泳いでいたのだろう。行く先はとても竜宮城とは
普通の夢ならば、夢の場面は紙芝居のように展開してゆくのだろうけれど、
亀は、不気味に聳え立つ竜宮の建物をかわして、威嚇してくる妖怪を巧みに
避けながら悠然と泳ぎまわり、私は、身動きもせずに、亀に跨ったままでいた。
亀の視線は遥か彼方を見つめ続け、不気味な竜宮城からどんどん遠ざかって行った。
ものごとの始まりは、懐疑の中に生まれ、やがて大海原の荒波に揉まれ、ついには
泡沫の泡の如く消え去る。
どうして亀に乗ることになったのか皆目見当がつかない。それは、自業自得という
ことなのだろうか。自分が今までに何かしら為してきたことは、必ずやその結果と
して自分に巡りめぐってくる。もしや、輪廻転生の仕業なのか。
今、このように生存し、このような夢をみるのも、自業自得、因果応報の
”生得の報い”というものであるのかもしれない。
[石川新情報書府「加賀の繍い」]
私は、未だかつて亀を助けたことはない。
亀を助けなければ、竜宮城には行けない。
亀を助けなければ、竜宮城の乙姫様に会うことはない。
悪事を働こうが、善意に満ち溢れた行いを為そうとも、この世で受ける運命の
ようなものによって支配され、人は、なるようになる。
本当は、混沌を彷徨い、流浪しているはずの時間を、竜宮城で楽しく過ごして
お土産の玉手箱は、この世と神仙の世界を結び付けてくれている唯一の証で
[竜宮城 小樽水族館]
私の「御伽草子」の結末は、こんな風だった。
生まれて初めて海の風景の蜃気楼を見た。景色に見惚れているうちにいつの間
にか海の中に入ってしまった。
口をパクパクするだけで、少しの空気と大量の海水を飲み込み、ついには溺れて
そのまま夢の中にいれば、今頃は、海の底で亀のお姫様とともに仲良く暮らして
いたのだろうか。
乙姫様は雛人形のようで、物語に出てくる乙姫様とは似つかわしくない出で立ち
だった。にこやかでもなく、澄ましている風でもなく、ただ黙って立ち尽くして
いた。顔も何処の誰だかわからなかった。でも、誰かだった。
竜宮城で毎日、ご馳走と鯛や平目の舞い踊りを見て乙姫様と楽しい時を過ごす
こともなかった。
乙姫様と挨拶を交わすわけでもなく、手を振り合図することもなかった。
開けてはならない玉手箱を手渡されることはなかった。だから土産の玉手箱を
あけ、白い煙が立ち昇り、白髪の老人になってしまうこともなかった。
確かに、雛人形のような乙姫様がいたように思うのだが、気のせいだったのか、
亀は、万年生きる。
海の底で桜を見たのだけれど、あれも蜃気楼だったというのだろうか。
それともあれは、・・・ ”不幸中の幸い”ということだったのだろうか。
[火打山の夜明け]
[富士見平ミズナラ林の紅葉]
[いつも傍にいてくれた八ヶ岳]
[富士山遠望]
[白峰三山]
[天城連山の眺め]
[大室山 三等三角点]
[”登れない山”の山頂火口]
[夢の中のシンデレラ Paul Gustave Doré]