須弥山(しゅみせん)の山 妙高山に登る                                                                              晴れ   標高2,454m

高谷池ヒュッテ---黒沢池ヒュッテ---長助池分岐---妙高山---
大倉乗越---黒沢池---笹ヶ峰
 
池の平あたりから眺めた妙高山は、ごつごつとした厳つい山姿である。
それが何故か、全体像としてみると均整のとれた形をしている。
登り難そうな山だというのが初めて妙高山を見た印象だった。
はじめから頭の中に”須弥山の山”ということがあったので余計、そのように感じた
のかもしれない。

 

イメージ 1 [池の平の朝 スメールの山]

 

須弥山(梵語のスメール)を妙高と解釈したのは西遊記の玄奘三蔵法師だと言われ
ている。
想像の山としての須弥山は、虚空の中に風輪(ふうりん)が浮かび、水輪(すいりん)が載っている。その上に金輪(こんりん)があって、水輪と金輪の境界線は、
金輪際(こんりんざい)という。 
金輪際をこの世の底として、我々人間は金輪際の片隅に暮らしている。
地の下には地獄があり、金輪の真ん中には、須弥山が聳え立っている。
神々が住み、頂上の有頂天には、インドラ(帝釈天)が住んでいる。
須弥山には甘露の雨が降り、須弥山に住む神々を潤している。
越後富士とも呼ばれる妙高山には、カルデラの外輪山があって、その中に溶岩
ドームが盛り上がり、その姿は正に須弥山の山そのものだ。

 

高谷池ヒュッテの朝は静かだった。
夜明け前、大半の人は床の中だった。慌しく荷物を整理して5時には小屋を後に
していた。高谷池から火打に昇る朝陽をみたかった。
外に出てみると、朝陽ではなく、中空に薄明りの月が出ていた。
銀色の満月が高谷池の上で輝き、幻想的な風景を醸し出して、その中を歩いてゆく
のはお伽噺の国にでもいるような心持だった。

 

朝の山道は、何処からともなく仄かな山の匂いが漂ってくるのに気づくものだ。
様々な山の匂い物質に蜜を垂らしカクテルしたような匂いは、まだ身体のどこかに
染み付いているような気もする。
朝靄が残り、山の気が淀んだところ、木陰になったナナカマドの木の下で、椴松の
森の中でそれは匂っていた。
山間から朝陽が見える場所は限られていて、東側の景色がよく見えるその頃には、
陽はもうとっくに山々の上に高々と昇っていた。

 

高谷池と黒沢池をつなぐ山道は、キヌガサソウ、クルマユリ、シナノオトギリ、
エンレイソウ、ヨツバシオガマ等々高山植物が居並び、まるで植物図鑑を広げて
いるようだった。

ひとつ尾根を越して、妙高の懐に入って俯瞰した湿原の中には黒沢池ヒュッテが
朝靄に包まれて煙っていた。
黒沢池ヒュッテからは、いきなり急峻な外輪山を越えて、お結びのような形をした
溶岩ドームを目指して登ってゆく。
黒沢池ヒュッテの前で妙高と燕新道、黒沢池から笹ヶ峰の道が分岐していると
思われた。
地図では判別できないが、シラネアオイの咲く神奈山へは、10mほど入ったところ
で燕新道が分岐している。ルート維持を心がけ、地図とコンパスで現在地を確認し
ながら大倉乗越で外輪山を登りきると今度はカルデラの底へ降りてゆく。イメージ 2 [お伽噺の国の高谷池の朝]

 

見下ろした長助池が別天地のように見えた。須弥山の底、長助池分岐はまだ雪渓が
残っていて吹き降りてくる風が寒いくらいだった。甘露の雨が降ったのか、雪解け
水を掬って飲むと甘く喉を潤した。此処はこの世の底、金輪際に居るということか。
唯一の救いは、北峰の山頂まで北面の斜面を伝い日差しを遮ることができて涼しく
登れることだった。ずいぶん柔らかくなった雪渓を踏み抜いてしまった。
地の下の地獄まで踏み抜かずに済んだのは不幸中の幸いだったか。ここからは容赦
しない急な登りで須弥山の山頂まで続いている。
金輪の上に聳え立っている須弥山は容易には登らせてくれない。

 

山腹には神々が住み、頂上の有頂天には、インドラ(帝釈天)が住んでいる。
ネマガリ竹の藪は何処へも逃げられない檻のようでもあった。頂上がなかなか極め
られず、向こうに見える外輪山の高さと比べながらこちらの高さを測ってみていた。
外輪山の高さを越えられなかったらまだまだ山頂には届かない。
インドラはいなかったけれど、北峰の山頂は広く、陽射しがいきなり照りつけていた。山頂の岩陰の中に潜り込み、降り注ぐ陽射しを避けていた。
ひんやりとした岩肌の冷気が過熱した体に伝わってきた。

 

北峰の山頂より妙高大神の祭られた南峰の方が10mほど高く最高峰となっている。
有頂天の上を北峰から南峰の山頂まで往復した。
直射日光を浴びながら山頂に佇んでいるのは限界があった。
無用心な半袖から出した腕がヒリヒリに焼けてしまい、陽差しのあるところに出て
行くのが辛く感じられる。
山頂の憩いは、焼けつくような真夏の太陽に照らされる炎熱の頂で、思いがけず
岩肌の冷気に触れた清涼感だった。
 
イメージ 3 [妙高山頂南峰より北峰を望む]

 

降りてゆく須弥山の中腹で火打山登山道で出会った年配のご夫婦と再びお会いした。
ご主人はべったりと岩の上に腰掛け、奥さんはご主人に寄り添って立ったまま休ん
でおられた。
降りてくる私に気がつき、「ああ・・」とご主人が振り向かれた。
「あっ、(火打山の・・)どうですか。大変な山でしょう。」
笹ヶ峰から火打山、妙高山までの行程を振り返り考えていた。
此処の難所も越え、あそこの難所も越えて此処まで登ってこられたのか、
そう思うと、ご夫婦が修行僧のようにも見えもした。
お二人にとっては、なんとも難儀な道筋だったことだろう。

 

私は、神々が住んでいる金輪の中で嘘をついてしまった。
「昨日は何処に泊まったのですか。」「同じ高谷池ヒュッテです。」と言うと
「見かけなかったなぁ」「二階で寝転んでいましたから。」
お二人には気付きませんでしたということにしておこう、咄嗟にそう思ってしまった。私は、お二人が無事に小屋に着いたのを知っていた。
嗚呼、牛歩のように、一歩一歩ゆっくりでも歩き続けていけば目的地に到着するのだ。今更ながら、”山登りの仕方”を教えていただいたように思った。

階下で、お二人で二三言葉を交わされ、あの熱射の降り注ぐ山道の道すがらを癒す
ようにすっかり寛がれていて、薄暗がりになった小屋の中でなんとも微笑ましい
光景が映し出されているようだった。
やはり、私は、お二人に声をかけることはできずに、何故か、誰とも話すことも
なく、静かな時間を持て余しながら小屋の二階で寝転んでいたのだった。

 

イメージ 4 [聳え立つ須弥山]

 

ご主人は、「山頂はまだですか。」そう言いながら私の顔を覗き込んだ。
私も、ここらあたりで何度もそう思って頂上の有頂天の方を見上げていた。
鬱蒼とした樹木に覆われ頂上の有頂天は見えない。振り向いて外輪山を見やると、
まだまだ高さを越えてはいなかった。まだまだ山頂には届かない。

 

「あの外輪山の高さを越えられなかったら山頂はまだということです。外輪山の
高さを目安にするといいですね。」
「水はありますか。」 「ペットボトル1本くらい。」
思わず、「だめだめだめ。」と言ってしまった。この暑さで水を切らしたら大変だ。
咄嗟にそう思って、自分の水をご主人と奥さんに分けて差し上げた。
ご主人の2本のペットボトルは満杯になり、あまり水は飲まないんですと仰って
いた奥さんのペットボトルも満杯になった。
余計なお世話だったかもしれない。なんだか自分だけが満足していた一場面で
あったが、本当にあれで良かったのだろうか、かえって荷物を重くしただけだった
のではないだろうか。
そして、ご夫婦は、無事に須弥山の山頂に登れただろうか。
神々が住んでいるという須弥山の山腹での出来事だったが、そればかり気掛かり
に思いながら歩いていた。

 

イメージ 5 [ワタスゲの楽園]

 

再び外輪山を登り返し、強い陽射しが照りつける崖っぷちの山道で小さな赤い実
をつけた野イチゴを見つけ、摘み食いしながら大倉乗越を越えた。
能郷白山で発見されたノウゴウイチゴとして命名されているものではないかと
思われる。小指の先ほどもない小さな赤い実だった。熟した甘い香りと密のような
味だった。
イチゴの甘い汁を啜りながら、熊もこんな風に食べているのかと思ったりしていた。

 

黒沢池ヒュッテは、お昼の強く明るい陽射しに照らされていた。
黒沢山を回り込むようにして下山道をとり、黒沢池方向に向かった。
一人ぼっちの黒沢池は風もなく、辺り一面ワタスゲが咲き広がり、静かで長閑
だった。
木道がどこまでも続き、尾瀬を彷彿とさせる風景そのもので、ワタスゲの
群落をなす様は楽園の中を歩いてゆくようだった。
木道が案内してくれる山道を辿り、火打山登山道に合流して、金輪際の片隅、
笹ヶ峰の登山口に戻ってきた。

 

120

    
         名も知らぬ 草も背丈の 葉月哉
                                   2012.9.13


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          毎日通る空き地の名前もわからない雑草。
          背比べするほどに伸びている。
          今年の夏の暑さを物語るようだ。
          早、暦は葉月。
          葉の落ちる月、「葉落ち月」。
119

    
         玉虫の 褪せた色に 蟻たかる
                                   2012.9.15


イメージ 1
        
        玉虫の死骸をみつけた。
        煌びやかな玉虫色は褪せていた。
        既に死骸には蟻が群がっている。
        玉虫に何があったのかわからない。
        自らを曝け出し、煌びやかな玉虫色とは程遠いような
        ”死”というものを蟻にたからせ、見せつけているかの
        ようだった。
118 

    
         濃い色の 影選び歩く 夏歩道
                                   2012.9.10


イメージ 1
        
          連日、終わらない夏の強い陽射しが照りつける。
          影の濃い所を選んで歩いている。
          朝の歩道、歩いて行くところが決まっている。

  炎熱の火打山     標高2462m   2012.8.2~3 

       晴れ     風速2~3m/s  (1500m付近は7m/sの予報)

 

笹ヶ峰 ーーー 富士見平ーーー、十二曲ーーー高谷池ヒュッテーーー
天狗の庭ーーー雷鳥平 ーーー 火打山ーーー高谷池ヒュッテ(泊)

 

とうとう燕温泉へは行かれなかった。
梅雨末期の豪雨によるものだったのか、燕温泉への道は、崖崩れのため通行止と
なっていた。迂回路も付近の道路通行図も示されてはいなかった。
当地を初めて訪れる者にとっては、あまりにもそっけない不親切な通行止の案内
であった。兎に角、燕温泉から妙高山へ登ることは諦め、当日の山行予定を変更
せざるをえなかった。
出鼻をくじかれてしまったものの天気は上々、日本のアルピニズム発祥の地、
笹ヶ峰から火打山に登ることにした。そう決めて、その日のうちに山を下りてくる
つもりだった。

 

 

イメージ 1 [木々の間から白馬が現れた]

 

笹ヶ峰から火打山登山口に入る。
麓には、「雪山賛歌」の生まれた笹ヶ峰牧場がある。
登山口からは、山懐へ誘うように木道を延々と伝って行く。整備された木道は
歩きやすいのだろうか。木道が終わるころ、十二曲の難所越えが待っていた。
黒沢山の尾根筋に出て火打山へ向かう道と、麓を廻って妙高山へ続く道が富士見平
で分かれている。妙高山へ登るとすると、一旦、火打山へ登り、笹ヶ峰へ下山して
再びこの道を二往復するのはやはり辛い。

 

十二曲の難所を越えて尾根筋に出た頃、焼山、影火打山、火打山と連なる山並み
が木々の間から抜け出して目の前に広がった「平野からは見えない山」火打山を
初めて眺めた。
八月に入ったというのにまだ残雪を残し、豪雪の頸城の山の風格を醸しだす
火打に一目惚れしてしまった。あたりに高い所はなく、尾根の上部に出ていると
思われた。

 

イメージ 2 [展望が開け飛び込んできた火打]

 

まだ先かと思っていた三角屋根の高谷池ヒュッテが目の前に飛び出した。
標高2,110mの池塘が点在する高谷池湿原の畔に建っている。
昭和5年の建造された山小屋だが当時のものかわからない。
ハクサンコザクラ、アオノツガザクラ、オオバミゾホオズキ、ワタスゲ。
天狗の庭は、高山植物が咲き乱れていた。

雷鳥平では雷鳥に出会うこともなかった。雷鳥の生息地だが、どこかにいるのか
探してみることもなく、容赦ない暑さに負けていた。
小さな木陰を見つけてしばらく腰を下ろしていた。すると、暑さに参ったのか、
てぬぐいですっぽり頬被りした男性が現れ、暑い暑いと言いながらご挨拶を交わ
した。自慢げに給水装置の付いた水筒を見せてくれた。自作のものとそっくり
だったので少し可笑しかった。

雷鳥を見たことがあるか、というので北アルプスの爺ケ岳で雷鳥の親子を見た
ことを話してあげた。しばらく語らいの時間が流れ、気儘な大休止となって
しまった。
結局、なかなか一日の行程を決められずに炎天下を火打山まで行って来いした。
登山道は、熱射でじりじりと照らされ、木陰や岩陰の逃げ場もなく、ただ炎熱に
耐え歩くだけのものだった。
耐え忍んで歩けば、岩を攀じ登ることもなく、すんなりと火打山の頂上を踏む
ことができた。

 

火打山の頂上は日射を遮る物もなく、なだらかで明るく広い。
午前10時の山頂は連日の陽射しの熱が残っているのか、なんとも暑く、あたりの

山々は既に水蒸気を含んで煙っていた。
ここより北には火打より高い山はない。日本を真っ二つにするフォッサマグナの

跡は今は何もわからないが、ここは、正にその舞台だった。
火打から続く稜線に影火打、焼山が続き、雨飾山は雲に隠れて見えなかった。

見えぬあたりが雨飾。

 

イメージ 3 [火打山頂から望む焼山と雨飾山]

 

すぐ傍には妙高山、南には雲間に高妻山の拳のような山頂が覗いていた。
日本を形作った高嶺の頂に立ち、”山頂の憩い”はどうだったのだろう。
様々なところからこの頂に集まり、また散り散りに山を降り帰ってゆく。
だから山はそのような形をしている。火打山は、頸城の山奥にあって何よりも
やさしい山の形をしていた。
このまま山を降りるか、山小屋に泊まるか、ハムレットのような気持ちをまだ
決めかねていた。

 

焼けつく山頂から降りてくる途中、笹ケ峰の登山道で出会った年配のご夫婦と
再びお会いした。今朝はご挨拶をしただけで通り過ぎていったが、ここまで
来られたのか、と思いつつ「大変な暑さですね。」と話しかけると、
「ええ、暑くて参りました。好き好んでここまできました。」
炎天下の折、心配になり、どこまでいくのか尋ねると、今日は高谷池ヒュッテに
泊まるとのことで一安心した。
私の今日の泊まりを心配され、高谷池ヒュッテか黒沢池ヒュッテです、と本当は
何の当てもなく歩いている自分が恥ずかしかった。
兎に角、当初の予定が狂い、スケジュールを変更しながら歩いているのだから。

 

熱射の降り注ぐ登山道では、あわや倒れるかと思われるほど顔が紅潮し、息も
荒く今にも湯気が立ち上りそうな年配の人にも出会った。まるで芥川龍之介の
「地獄変」に出てくる、炎熱地獄で悶えうつ娘の姿を彷彿とさせた。
各地を泊まり歩き、今年の夏は百名山を7つも登ったと豪語されていた。
雨でもちょっと無理をすれば行ける、とさえ話していた。
振り返って、山歩きの愉しみは何ですか、と尋ねてみたかった。
百名山を命を賭して必死で駆けずり回る、危険な、みじめな姿しか残らないように
思うのだが。
一瞬にして、百名山が何かしら"品の無い山"になってしまったようにも感じられた。

 

イメージ 4 [湿原に佇むヒュッテ 箱庭のようだった]

 

まだお昼を回ったほどの時間、高谷池ヒュッテに立ち寄った。
小屋には一番乗りだった。宿泊の状況を尋ねると、本日は客人が少ないとのこと
だった。
「申し訳ございません。」と、声高に今日の無計画な山旅を詫びるように言って
しまった。逆に、何故謝るのか、と諭されてしまった。

 

水場は、高谷池の辺にあった。湧き出す溜まり水のような気がしたがどのような

水の道ができているのだろうか。小屋のバイオトイレも清潔で、紙は回収、小屋

で買った飲料水もすべての物資は持ち帰りが原則になっている。
後で小屋の人から燕温泉の通行止の状況を尋ねると、どうやら通行する道を間違え

ていたようだ。本道のバス道には何の影響もなく、私が間違えた通行止めの道は、

一本下を通っている道だった。

 

強い日差しに照らされた一日の終わりに、山小屋のベランダに出て高原の風を
受けながらいつまでも心ゆくまで火打山を眺めていた。
その夜は珍しく、”蛙の合唱”もなく、静かに眠りにつくことができた。
思いもよらず、いつになくのんびりとした時間を過ごさせてもらった。
齷齪と山を登っては降りてくる人々を見るにつけ、もっとゆっくりと余裕のある
山歩きをしたいものだなぁと思っている。
期せずして山小屋でこんなのんびりと寛げる一日を過ごせたことは、なんとも
幸運で、なんと心地よいことだったのだろう。