【 妙義の岩登り 】 2012.5.20
妙義神社--- 大の字---相馬岳---茨尾根ピーク---堀切
鷹返し --- 大砲岩---中間道---妙義神社
<波己曽(はこそ)の山は妙義山>
『草枕夜やふけぬらん玉くしげ波己曽の山は明けてこそ見め』
平安時代の僧、能因の作で、波己曽の記述がでてくる最古のものとされる。
修行か歌詠みの旅か、その道すがら波己曽の地で夜が更け、道の辺の草を枕にして、
寝ながら詠ったものであろうか。
波己曽の山は、夜が明けてからでないと特異な形相をした岩山の本当の姿がわからない。
化粧道具を入れておく「玉くしげ」の箱もあけてみなければ中身はわからない。
現在、波己曽山という山はない。麓の妙義神社の古称が波己曽社で岩社(いわこそ)とも
いわれている。ならば、背後に迫る奇岩怪石を連ねた山(波己曽山)は、妙義山だろう。
ともあれ、平安時代には、妙義山は、波己曽の山と呼ばれていたのだろう。
少しの疑いもなく高く大きい、明々巍々というこの山の風貌は、誰が見ても異様な光景に
写る。
見るからに異様な奇岩の山だからこそ、お山そのものを御神体と仰ぎ、畏怖の念をもって
信仰の対象とされてきたのだ。権大納言長親卿(ごんだいなごんながちかきょう)が眺めた
古の姿も、”明々巍々(めいめいぎぎ)たる奇勝”で、この山を「明巍」と名付けたのも頷ける。
明治の頃、ウォルター・ウェストンも浅間山を訪れた際に、この奇岩の山に目が留まり、
妙義の筆頭岩に挑んだようだ。
[麓からみた白雲山]
<忘れかけていた妙義山>
信州の山に向かう道すがら、仁王門のように聳え立っている妙義山の姿は何度も目に
していた。その度に、岩山が作り出す異様な雰囲気に驚き、眺め通り過ぎていた。
この日本三大奇勝の山になぜか登りたいという気持ちが起きずに、どこかへ飛んでいた
のだ。
妙義連山の麓には、中間道としてハイキングの道が通っており、ガイドブックにはよく
登場する。しかしながら、あの剣山のように突き出した岩山には登れないのか、元々
ロッククライミングの山なのか、果たして登山できるような道というものはあるのか、
この山のどこが頂上なのか・・・疑問は疑問のまま、幾年も過ぎていった。
ようやく表妙義の山の概念がつかめてきた。
最高峰は白雲山塊にある相馬岳で、鷹返しのある金洞山塊と大きく分かれていて、
その間を茨尾根が繋いでいる。
尾根上には、いくつもの岩峰を伝う修験道のような道がかろうじてついていて、岩場の
急斜面に連続する鎖場がいくつもあり、鷹返しという難所の鎖場があるということも
わかってきた。・・・そして、このルートでは滑落事故が絶えないことも知った。
<妙義の鎖に触れる山旅>
五月の連休には体調不良と春の嵐に見舞われ、妙義へ行く機会を逃してしまった。
竜巻が荒れ狂い、通り過ぎて行った貴重な晴れ間に想いが叶った。
麓からは、岩峰の上に置かれた白い「大の字」が良い目印になった。
薄曇りの朝、妙義神社は樹齢千年という杉木立に囲まれ、不気味に静まり返っていた。
登山道は、神社の境内からついていた。
大の字は、白雲山に祭られた妙義法師、「明魏大権現」の「大」の字を形取ったようだ。
わざわざ、鎖を伝い大の字の岩峰によじ登り、眼下に広がる碓氷川と安中、富岡の町を
見渡した。
大の字の鎖場で、この先の道程が容易ならざることを予感した。
尾根道と中間道を分ける辻から、登山道はさらに急峻になる。
辿り着いた奥の院は、大岩に囲まれた暗い岩の社で、まさに岩社(いわこそ)の感をを
深めた。
奥の院の脇には、鎖が岩壁から垂れ下がり、私の心意気を試されているようだった。
誰もいない鎖場は、岩登りの興味を満たしつつ、目の前の岩壁を登らざるを得ない
脅迫観念さえ漂っていた。
セルフビレイ用のハーネスにシュリンゲとカラビナをつけ、ヘルメットで装備を整えた。
下を見ることもなく、只管、岩を攀じ登った。なるほど、この鎖場を体感した感触で
ここから先の鎖場地獄を予測して、進退の合否判断ができるのかもしれない。
ほとんどその光景の記憶がない。たぶん、鎖場の緊張感から景色を眺めて味わうような
気分も湧いてこなかったのだろう。
[相馬岳山頂から金洞山・鷹返しを望む]
一息入れたのも束の間、空中に突き出したビビリ岩がなんとも息の詰まるものだった。
白雲山塊では、ビビリ岩の鎖場が、鎖と岩の手掛かりだけで中空に投げ出されたようで、
一番の恐怖だった。
玉石は、尾根の上の大きな岩を指すものか、その岩の上に乗っていると岩の形や実態が
わからない。ここは行き止まりなのか、まさか、ここを降りていくのか、歩いていくべき道を
読み取りルート維持していくことが難しい。
ここから先の道がわかりにくく何度も行ったり来たりした。
危険なのは、道迷いに陥り、元々無理なコースなのだと思い込み、無理やり絶壁のような
崖を降りてしまうことだ。鎖が誘っているのか、鎖を頼って岩を攀じ登っているのか、目が
たえず鎖を追っていた。
次々に現れる鎖場に戸惑いながら、天上に突き出した岩峰の穂先を縦横無尽に伝って
いった。
岩場の尾根からは、これから立ち向かう金洞山の塊が威圧的に聳え立っている。
畏れ慄きの鬼の山に相応しい風貌の山だった。
あっさりと岩壁が切れ落ちた大のぞき、そして、眼前に垂直に聳え立つ天狗岳の岩壁。
取り付くルートすら不明の状態で、眺めに入ってくる光景は、制御不能のものばかりだった。なるようになる、どうにかなるという曖昧さも、次々にやってくる難所を乗り越えていくには
必要になってくるのだろう。体力だけではなく、精神的な動揺を抑え、冷静に対処する
ためには効果的なのかもしれない。困難極まる難所を警戒し用心することは重要だが、
目先の困難を恐れて臆病に陥ってしまうことの方がここでは、気持ちを萎縮させてしまい
危険なのかもしれない。
奥の院の岩の上で出会った方は、「ここは、テンポよく登ることなんです。」と仰っていた。
岩場に慣れて、リズミカルに登山ができるならそれに越したことはないのだけれど。
タルワキ沢のコルからは、中間道にエスケープすることもできる。まだ高度があるので、
ここから下るにしても、下が見えないほどの急な勾配だ。
また何かあるのではないか、と思って警戒していると、ひょっこり相馬岳の山頂に飛び
出した。ここが妙義山の最高峰である。妙義山登山の第一の目的は果たせた。
[視界が開けると断崖絶壁だった]
相馬岳の下りは、脆いガレ場になっていて滑落の危険が大きい。
ちょうど白雲山と金洞山の山塊の鞍部になったところが茨尾根で、岩山がいくつも重なり
合って鷹返しに突き上げているのがわかる。
何度もアップダウンを繰り返し、いよいよ鷹返しが近づいてきた。
国民宿舎への分岐から国民宿舎側を覗いてみても、こちら側から登ってみるのも
なんともきつい思いを強いられそうだ。
沢出合いは湿っていたが、水場はなく期待しないでおいてよかった。
岩のトンネルを潜り抜け、茨尾根のピークに達する。この妙義登山の行程中なんだか、
終始落ち着いて休憩するということがなかった。
暗い尾根の上の堀切に出る。道は金洞山、鷹返しへと続き、一方は中間道へと分岐して
いた。
新緑の樹林の茂みの下の方で人の声がした。奥の院の上で妙義山のことをいろいろ
教えていただいた方だった。既に、金洞山まで行って引き返してきたらしい。
妙義山には何度も訪れているようで、岩場コースの自己記録の更新を目標にされていた。そうとは知らず私と長々と話し込んでいたので、本日の記録は達成できなかっただろう。
鷹返しを目の前にして、異様な岩峰への取り付きを再度確認してお別れした。
靴のつま先があたり、痛みを感じだしたが、体調は良かった。
<鎖場地獄と天上の極楽>
尾根上の目立つピークに上がると、鷹返しに取り付くことになる。
ほぼ垂直の鉄梯子、視界の片隅から入ってくるのは高度感を増した鮮やかな細切れの
景色だった。
ルートは選ぶほどはなく、フリークライミングに鎖のおまけがついているようなものだなぁ
と思っていた。足場、手掛かりの三点確保が満足にとれず、鎖場の中段付近では
ホールドできる足場もなく、残しておいた体力で体を引き上げることになった。
攀じ登り、体を押し上げた鷹返しの頂上はほとんど記憶に残っていない。
緊張感が解け気が抜けてしまい、周りをよく確認することができなかったのかもしれない。
休憩もとらず、水も飲まなかった。
鷹返しからの下山ルートが不鮮明で、そのまま踏み跡を踏んでいってしまい、ようやく
見つけた踏跡は、15メートルはありそうな崖の下だった。
意を決してフリークライミングで降りていくこととなった。たぶん、鋸尾根から離れて降りて
いくルートがあるのだろうが見失っている。
尾根上の岩峰の上り下りやトラバースしたりと、進むべき詳細ルートの見極めは地図上
ではできにくく、岩のホールドを探すように慎重にルートファインディングすることが要求
されているのだ。下降は、もう一つ岩峰を上がったところから始まった。
岩と岩に挟まれるようにしてルンゼの中を降りていく。
25㍍の太い鎖場だ。その下にもう一段25㍍の鎖場があり、岩の一部が突出している。
傍にいた三人のパーティは、ザイルで懸垂下降してスルスルと降りていった。
私は素手で降りていったが、気持ちは飄々としていた。
こんな”蜘蛛の糸”のような鎖を伝い登ってきた頂だが、ひょっとすると、天上の極楽も、
こんな鎖の張り巡らされたところなのかもしれない。
極楽の蓮池の下が地獄の底だとすると、ちょうどこのあたりが犍陀多(かんだた)のいた
地獄の血の池ということになる。
鎖から手を放したら地獄へ真っ逆さまだ。ここが岩峰の頂なのだからもしかすると、
ここが天上(極楽)で、鎖にすがりついてどこまでも降りてゆけば、地獄へ降りてゆく
ことになる・・・。
お釈迦様は、極楽の蓮池の淵で、私のしでかしたこの一部始終をじっと見ていらっしゃった
のだろうか。足元を覗き見ることができぬまま鎖を伝っていくのは、地獄へ降りてゆくこと
にも譬えられようか。
[難所の鷹返しを降りる]
太い鎖は重く垂れビクともしない。手が鎖と岩肌に挟まれて確保しずらく、もう一方の
鎖とのバランスをとるのが難しい。鎖を離れ、ちょっとしたテラスに乗り移ったが、
そこからでは次の鎖に移って下降していくのに離れすぎてしまい、かえって危険な状態
となった。さらにその下部はオーバーハングしている部分がある。
なんとか鷹返しを降りると一気に気が抜けてしまった。
第四石門への道は難無くみつかり、岩峰群の岩場からそのまま離れていくようについて
いた。急峻な登山道にはロープが張られ、下山をサポートしてくれた。
中間道は予想以上にアップダウンがあり、行程も長く痛めた足先に応えた。
岩場通過からくる緊張感の連続で、次々に出てくる鎖場を凌いでいったからだろうか、
ついこの間のことなのに、不思議なことにポイントとなる場所ごとの記憶があまり残って
いない。
麓の中間道は、鬼のような岩峰群と打って変わって、のんびりと歩くことができた。
岩のトンネルやお地蔵様があったり、今朝の大の字分岐を経て振り出しの妙義神社に
戻った。