95
大花火 が打ち上がり、大音響とともに、煌めく火の花が開いた。
花火の後の静けさ。
波打ち際にいて、打ち寄せる波の音と闇夜が広がっていた。
大花火 波打ち際の 闇夜哉 2010.8.22
初めて地元の花火大会に出かけた。大花火 が打ち上がり、大音響とともに、煌めく火の花が開いた。
花火の後の静けさ。
波打ち際にいて、打ち寄せる波の音と闇夜が広がっていた。
96
炎天であったその空に 次々と打ちあがる花火は爽快だ。
夜空を焦がした花火を打ち消すようにして、波の音がざわめく。
花火の後は、いつもさびしい。
炎天を 焦がす花火の 波の音 2010.8.22
異常気象と言われた今年の夏。炎天であったその空に 次々と打ちあがる花火は爽快だ。
夜空を焦がした花火を打ち消すようにして、波の音がざわめく。
花火の後は、いつもさびしい。
[日本海を見渡す 象潟にて] 94
ハヤブサや 偉い手本も 持ち帰る
[宇宙科学研究所HPより]
ハヤブサは偉い。そう呟いていた。
子供の頃、父は言っていた。「偉いという基準は何か。」
ハヤブサは文句なく、偉い。
地球からの距離約3億kmの彼方の小惑星イトカワまで行って
小惑星に着陸して表面の物質を地球に持ち帰って来たという。
2003年5月9日に打上げられ、2010年6月13日に地球に帰還し、
カプセルが回収された。
その間、燃料漏れ、地球との通信不能、イオンエンジン異常発生など
たくさんのトラブルを克服して、まるで生き物のようにして帰還してきた。
思わず呟いた、
「ハヤブサは偉い。」その”偉い”手本も持ち帰ってきた。
子供の頃、父は言っていた。「偉いという基準は何か。」
ハヤブサは文句なく、偉い。
地球からの距離約3億kmの彼方の小惑星イトカワまで行って
小惑星に着陸して表面の物質を地球に持ち帰って来たという。
2003年5月9日に打上げられ、2010年6月13日に地球に帰還し、
カプセルが回収された。
その間、燃料漏れ、地球との通信不能、イオンエンジン異常発生など
たくさんのトラブルを克服して、まるで生き物のようにして帰還してきた。
思わず呟いた、
「ハヤブサは偉い。」その”偉い”手本も持ち帰ってきた。
<遥かなるトムラウシに思いを馳せる>
十勝岳や旭岳からトムラウシを遠望してみたい。
雲上の大地に咲き乱れる色とりどりの高山植物に目を奪われながら、ハイマツと岩山の
まにまに消え残る残雪の合間を逍遥してみるのはどんなに愉しいだろう。
雲上の楽園のようなカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)を歩いて行きたい。
雲上の大地に咲き乱れる色とりどりの高山植物に目を奪われながら、ハイマツと岩山の
まにまに消え残る残雪の合間を逍遥してみるのはどんなに愉しいだろう。
雲上の楽園のようなカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)を歩いて行きたい。
大雪山系の山は、180万-160万年前、度重なる噴火の溶岩流によって高根ヶ原や沼ノ平となり、中心部は大きく陥没し、お鉢平のカルデラが形成された。噴出したマグマは、溶岩ドームを押し出し、北鎮岳、白雲岳、黒岳の山々を創り出した。
3万年前の噴火による火砕流の台地は、地殻変動して柱状節理となり、石狩川が浸食した跡は層雲峡となっている。1万年前の噴火は成層火山の旭岳を出現させて北海道の最高峰となった。
この辺りの表大雪の山々を大雪山(オプタテシケ)と総称しているようだ。まるで天地創造を
思わせる自然の絵巻のようだ。
3万年前の噴火による火砕流の台地は、地殻変動して柱状節理となり、石狩川が浸食した跡は層雲峡となっている。1万年前の噴火は成層火山の旭岳を出現させて北海道の最高峰となった。
この辺りの表大雪の山々を大雪山(オプタテシケ)と総称しているようだ。まるで天地創造を
思わせる自然の絵巻のようだ。
(トムラウシ山頂から旭岳に続く稜線)
さて、大雪山の山名はどう読むか。国土地理院では「たいせつざん」を採用し、地形図も
「大雪山(たいせつざん)」となっている。国立公園名の大雪山では、「だいせつざん」
としている。
大雪山の昆虫や高山植物の名前は、頭に「ダイセツ」がついている。どうも、大雪山の名称は定かではない。
大雪山の読み方は、発声の好みでもよいように思うが、私が切手蒐集をしていた小学生の頃、国立公園に指定された大雪山の記念切手の名称は、「だいせつざん」だった。
古色蒼然とした一色刷りの記念切手は、然別湖の風景と、層雲峡からの黒岳の辺りを写し取ったものだった。その力強い名称は、遥か彼方にある大自然に対する畏怖の念と、訪れることのできない、手が届かない高嶺の花の山々として余りあるものだったに違いない。
「大雪山(たいせつざん)」となっている。国立公園名の大雪山では、「だいせつざん」
としている。
大雪山の昆虫や高山植物の名前は、頭に「ダイセツ」がついている。どうも、大雪山の名称は定かではない。
大雪山の読み方は、発声の好みでもよいように思うが、私が切手蒐集をしていた小学生の頃、国立公園に指定された大雪山の記念切手の名称は、「だいせつざん」だった。
古色蒼然とした一色刷りの記念切手は、然別湖の風景と、層雲峡からの黒岳の辺りを写し取ったものだった。その力強い名称は、遥か彼方にある大自然に対する畏怖の念と、訪れることのできない、手が届かない高嶺の花の山々として余りあるものだったに違いない。
北海道の見た事もない雄大な自然の風景に、ただ漠然と憧れていたのかもしれない。
つい最近までは、北海道の山には登ることがないだろうと思っていた。
なぜなら、北海道の登山には、消し去れない不安が付き纏っていたからだ。それは何よりも、大雪山の神々であるヒグマ(キムンカムイ)の存在だった。
北海道の山に登るための様々な障害を乗り越えて取り除いていったとしても、これだけは残る。北海道の雄大な自然の風景に対する漠然とした憧れだけでは、登山は実現しないように
思われた。
つい最近までは、北海道の山には登ることがないだろうと思っていた。
なぜなら、北海道の登山には、消し去れない不安が付き纏っていたからだ。それは何よりも、大雪山の神々であるヒグマ(キムンカムイ)の存在だった。
北海道の山に登るための様々な障害を乗り越えて取り除いていったとしても、これだけは残る。北海道の雄大な自然の風景に対する漠然とした憧れだけでは、登山は実現しないように
思われた。
大雪山は、東京より8°程緯度が高い。森林限界も、日本アルプス辺りでは、標高2500m付近になるが、大雪山系では1000~1500mで森林限界を越え、ハイマツ帯となっている。
本州の山岳との単純な対比では、+1000mを加味した山岳環境として大雪山を考えておく必要がある。
どうしても、7、8月は、夏山のイメージが強くなり、安易に考えがちだが、大雪山の夏は不安定で短く、雪渓や残雪がたくさん残っていて、永久凍土まである。
大雪の山々は、一見、高原状に広がるたおやかな峰のように思えるが、いったん天候が崩れれば、のっぺりと広がる広大な山容は逆に、特に目印となるものも、風を防ぐ場所すらなく、とたんに方向感覚を失いやすい地形的特長を呈することになってしまう。
本州の山岳との単純な対比では、+1000mを加味した山岳環境として大雪山を考えておく必要がある。
どうしても、7、8月は、夏山のイメージが強くなり、安易に考えがちだが、大雪山の夏は不安定で短く、雪渓や残雪がたくさん残っていて、永久凍土まである。
大雪の山々は、一見、高原状に広がるたおやかな峰のように思えるが、いったん天候が崩れれば、のっぺりと広がる広大な山容は逆に、特に目印となるものも、風を防ぐ場所すらなく、とたんに方向感覚を失いやすい地形的特長を呈することになってしまう。
特に、大雪山トムラウシ付近では、合点のいかない遭難が相次ぎ、遣りきれぬ想いだけが
頭を離れなかった。
大雪山系の山岳遭難は、長い縦走路と変化しやすい気象条件、大雪山系の山岳の地形的特長が相まって遭難が発生し易い環境条件を持っているものと思われる。
今年の夏は何処に行こうかと想いを廻らせても、このトムラウシの遭難のことがふと頭を過ぎりはじめると、取り付かれてしまったかのように頭の中を駆け巡っていた。
頭を離れなかった。
大雪山系の山岳遭難は、長い縦走路と変化しやすい気象条件、大雪山系の山岳の地形的特長が相まって遭難が発生し易い環境条件を持っているものと思われる。
今年の夏は何処に行こうかと想いを廻らせても、このトムラウシの遭難のことがふと頭を過ぎりはじめると、取り付かれてしまったかのように頭の中を駆け巡っていた。
かくして、5月の連休から計画を立て始めた夏山計画は大雪山になった。
旭岳からトムラウシまで縦走し、帰路は深田久弥がトムラウシを振り返り見て下った天人峡温泉まで行くことにした。
果たして、アイヌの言葉の意味する「花の多い」トムラウシまで歩いていけるだろうか。
もう一つ、トムラウシの意味する「水垢が多い」というわけがわからなかったが、たぶん、
山上付近に点在する多くの沼地の意味であろう。
益々、”ヌタップカウシペ”への興味は尽きなかった。
旭岳からトムラウシまで縦走し、帰路は深田久弥がトムラウシを振り返り見て下った天人峡温泉まで行くことにした。
果たして、アイヌの言葉の意味する「花の多い」トムラウシまで歩いていけるだろうか。
もう一つ、トムラウシの意味する「水垢が多い」というわけがわからなかったが、たぶん、
山上付近に点在する多くの沼地の意味であろう。
益々、”ヌタップカウシペ”への興味は尽きなかった。
-つづく-
以前、どれ程前のことであるか、一葉の人物写真を見たことがある。
その写真を印象的に覚えていたのは、被写体になった人物の目が赤く輝いていた
その写真を印象的に覚えていたのは、被写体になった人物の目が赤く輝いていた
からだ。
「目に物言わす」という言葉があるが、人は、眼つきや眼くばせで気持ちを伝える
「目に物言わす」という言葉があるが、人は、眼つきや眼くばせで気持ちを伝える
ことができるということだろう。
いつか見た一葉の人物写真は、こちらを向いてやさしく微笑んでいた。
こちらに視線を向けられた時に、感じる眼差しは、その人のすべてを語ることが
いつか見た一葉の人物写真は、こちらを向いてやさしく微笑んでいた。
こちらに視線を向けられた時に、感じる眼差しは、その人のすべてを語ることが
ある。視線をこちら向けた眼は、レーザー光線のような光を放ち、蛇の眼その
もののように鋭く、赤く輝いていた。
人が何かの想いをもって、人や物を見つめる時、その想いが通じるように、想い
が叶うように目を凝らす。それは、たぶん、自らの内に秘めた想いが光のエネルギーとなって、視線の先の対象物に眼から光が発せられているのだろう。
カメラで人物を撮影する時、フラッシュを焚くと、強い光が被写体にあたり眼に
反射している。フラッシュの光が、眼の虹彩が瞳孔を閉じるよりも早く眼に飛び
込んでくるため、網膜が直接光で照らされて赤く映し出されるからだ。
(猫の目)
君の瞳に入ってきた微弱な光は、光を感じる視細胞をたくさん持っていて、猫の
眼さながら、暗闇で鋭く光る輝膜(タペタム)のように赤い光をギラッと反射させ
ていた。
弱々しい光のエネルギーとなってしまった私の視線を、濃いブラウンの虹彩に
弱々しい光のエネルギーとなってしまった私の視線を、濃いブラウンの虹彩に
縁取られた瞳の中で捉えてみることができただろうか。
その時、瞳の中の網膜には青紫の影が映り、眼底から反射して飛び出した光が
その時、瞳の中の網膜には青紫の影が映り、眼底から反射して飛び出した光が
私に届く時には、どんな色を見せてくれるのだろうか。
いつか、もう一度、君を見たときに、君の眼の色は青白く光るのか、それとも
いつか、もう一度、君を見たときに、君の眼の色は青白く光るのか、それとも
緑色に輝くのだろうか。
君は、被写体になって写真に撮られることも、それほど厭ではないのだろう。
きっと、瞳孔を大きく見開いて、蛇の眼の光を放ちながら、じっと撮影者と
きっと、瞳孔を大きく見開いて、蛇の眼の光を放ちながら、じっと撮影者と
カメラを見詰め続けていたのだろう。
(闇に光るキタキツネの眼)
君は僕の動きを察知して、何を感知したのだろうか。
蛇は、獲物を捕食するための道具として、鼻孔と眼の間にある赤外線探知器官の
蛇は、獲物を捕食するための道具として、鼻孔と眼の間にある赤外線探知器官の
”ピット”で、虫や小動物の動きを察知する。
蛇の眼の”ピット”と同じ器官を、人間は、山葵のツンとくる辛みを感じる器官に
蛇の眼の”ピット”と同じ器官を、人間は、山葵のツンとくる辛みを感じる器官に
進化させてしまったけれど、なんだか、探知能力の優れた君の”蛇の眼のピット”で
一挙手一投足を観察されていたような気もする。
君のブラウンの虹彩は、黒褐色のメラニンに照射して、網膜に赤く映し出していた。
可視光線の電磁波と熱とを感知しながら、もしかすると、サーモグラフィーの
可視光線の電磁波と熱とを感知しながら、もしかすると、サーモグラフィーの
ような”蛇の眼のピット”の感覚器官で見詰められていたのだろうか。
君の眼の”ピット”は、危険な食物を飲み込まないための判別器官としてよりも、
君の眼の”ピット”は、危険な食物を飲み込まないための判別器官としてよりも、
”危険な動物”の気配を察知する赤外線探知器官として変化させてきたのかもしれ
ない。
たとえば、じっと静かに目を閉じて、山葵を思い出して想像してみても、赤外線は
おろか、五感には何も感じはしない。
ピットらしきものもないのだから感知するわけもないが、人類は、この赤外線探知
ピットらしきものもないのだから感知するわけもないが、人類は、この赤外線探知
器官を危険な食物の判別器官にしてしまって本当によかったのだろうか。
人間は、獲物を捕らえるという基本的な動作さえ失ってしまって、これからどう
人間は、獲物を捕らえるという基本的な動作さえ失ってしまって、これからどう
やって生きていくつもりなのだろうか。
昔々の写真を手にして、赤い眼の輝きを見詰めながら、”ピット”のない僕の
感覚器官は、君の、赤く光る蛇の眼の輝きを捕らえて、山葵のような鼻に
ツンとくるしか反応のしようがないのだけれど。
