【大雪山への山旅 -6】   

 
7月30日 <忘れられない空の青さ>

 

カサッコソッという音で目が醒めた。午前4時40分のことだった。
外で何かが動いていった。ザザーッと何かを引きづる音。熊ではない。テントを開けてみると、狐だった。
狐がテントの中から食料を引きづり出していた。狐は口に味付海苔の袋を咥えていた。
テントの周りは石で押さえつけていたのに、テントには、どこから入ったのだろう。
テントに入り込んだ形跡もない。私は、狐と一緒に寝ていたのだろうか。なんとも不思議な
出来事だった。

 

 

イメージ 2 [怪しい狐]
 
今日で雨降りも4日目になる。
来る日も来る日も、雨雨雨。私は此処で、何を待っているのだろう。此処で、こんなテント
生活ばかりしていたら、そのうち体の具合が悪くなってしまうのではないかとさえ思えてくる。
テントの中で、半ば登山はあきらめかけていた。沈鬱な気持ちは、もう山登りはやめようという気持ちにさせる。今日もまた一日、雲ばかり見て過ごすのだろうか。
 
今日は、何日の何曜日か、時々でも意識していないとまったく日付も曜日の検討もつかなくなる。一日でも日にちがずれてしまうとすべてのもくろみが狂ってしまう。
気がつくと、自分で自分を急かすようになっている。何日の何曜日に、スケジュールどおり
物事が運ぶこと。それを願っている自分がいる。
せっかくの、ゆったりと流れてゆく時間、「やわらかな生命の時間」を過ごしていたことも
忘れてしまっていた。
 
結局のところ、(我執)自分を縛る世界から抜け出せない限り、真に、山歩きの感じ方や味わいを見出すことはできないのではあるまいか。ついには、何日の何曜日もわからなくなり、
(無我)となって、此処へ来た目的も、意思すらも遠のいてゆく時、(我執を超越すること
によって)山歩きの感じ方や味わいを微妙な感覚で感じとり、清浄で平安な状態で判断できるようになっているのかもしれない。
もはや、テント暮らしは、僧侶の修行窟のようだった。

 

 

イメージ 1 [ようやく雲の隙間から青空が見えた]
 
午前11時まで雨が断続的に降り続いた。
ハナアブがテントの中に何度も入ってきた。雨が止んだのだろう。久しぶりの太陽の光が
テントの中に差し込んできて、テントの中が明るい目の醒めるような黄色になった。
テントの黄色が虫を呼ぶのか、テントはたくさんの虫の巣のようになっていた。虫たちが寄ってきてくれることがなんだか不思議に嬉しい気持ちにさせてくれた。
そのうち、テントに塵が積もり、苔が生え、本当に虫たちの棲家になっていくかもしれない。
 
午後、野営場の管理人が環境整備協力金として集金に来た。
「ひどい雨降りでした。明日は、晴れ間がでるようです。」と話していった。
なんとか、登れるかもしれない、テントの中の明るい光が嬉しかった。すっかり消沈して
しまった気持ちを一生懸命、奮い立たせてみた。
明日の朝、雨が降っていなかったら、登ってみよう。明日も雨が降っていたら、潔く諦めよう。
一人で家を飛び出して来た事を後悔していた。また二人で行けるような旅行をしよう。
登山とは、まったく別のことを思いながらそう決めていた。はっきりと気持ちの転換ができて、
それだけでもよかったように思えた。
 
夕方、南の空を見上げると、久しぶりに雲の隙間から青空が覗いていた。それは、目に沁みるような、忘れられない空の青さだった。
空の青さを目に焼き付けて、明日に賭けるしかない。晴れることを祈ってしっかり眠りに就き
たかった。

 

 

         -つづく-

 

【大雪山への山旅 -5】   

 
7月29日 <野営場暮らし>

 

朝からどんよりとして、雨が降ったりやんだりしている。
今日は何日の何曜日なのか、よくわからなくなっていた。
昨夜の彼は朝のバスで帰るというので、一緒にトムラウシ温泉の東大雪荘まで行った。
野営場では携帯電話が圏外でまったく天気の情報を得ることができない。山荘の天気予報
では、天気は少しずつ回復に向かっているようだった。
野営場にドオッー、ドオッーと鳴り響く音は、すぐ近くを流れるユウトムラウシ川の川音なのか、
雨音なのか、もう判別がつかなくなっていた。
それにしても、いつまで此処にいるのだろうと思う。一日、雲ばかり見て過ごしていた。
 
また一人になった。此処で熊に襲われてもきっと誰も気付かないだろう。
誰もいない森の中の周りの木々を見詰めてしばらく考えていると、此処へ来てからの鮮明な
記憶がないように思えた。何もせずにじっとしていても、生命活動を維持するためには、
最低限必要とするエネルギーがいる。その基礎代謝量 1,380(kcal/日)くらいは賄われて
いるのだろうか。
空港で食べたカツ丼も、駅で食べたカツ重も、温泉で食べた夕飯も、もう何処かへ消えて
いってしまっただろう。
雨降りの憂鬱な情景ばかり目にしていると、たぶん、生き生きとした記憶として残らないの
だろう。それは、きっと、記憶が作り出す時間の流れを止めているに違いない。
記憶というものが、時間の流れを作り出すこともある。次から次へと生まれてくる生々しい
記憶の一つひとつが手がかりとなって”記憶の鎖”に繋がってゆき、それらが、時間の帯を
作り出す。
記憶の中身が、雨に霞む森の木々や、どんよりとした雨雲、ユウトムラウシ川の川音だけ
だったら、時間の流れは止まっているに違いない。
 
過ぎてしまう時間と過ぎてくれない時間。7時間でも、8時間でも愉しく山歩きをしていれば、
時間はすぐに過ぎ去ってしまい、一人で何もすることも無くぼんやりとしていると、時間は
なかなか過ぎてはいかない。

 

 

イメージ 1
 
森の中の野営場なので、周りに見えるものは、森の木々しかない。
しばらく森を眺めていると、時折、何処からともなく香水の匂いがしてきた。香水の匂い?
あたりを見回してみても、それらしいものも、気配もない。その森の独特の香りがあることは
わかっていたが、こんないい匂いの香りのする森は初めてだった。そして、いつでも森の香り
が漂っているものではないこともわかった。
不思議なことに、しばらく目を瞑り、耳を澄ましてじっとしていないと、この森の匂いに
気づかないのだ。
一旦、雨が止むと、活動写真でも見ているように、森の木々にひつっこく纏わりついた霧が、
森の呼吸と共に徐々に消えていくのがわかった。何かが始まる序幕のようでもあった。
 
一瞬、陽が差し込むとどうだろう。辺りは急に慌しくなってきた。
虫もいる。蝶もいる。羽虫やゴミ虫、タテハ蝶、カラスアゲハ、モンシロ蝶、トンボ、蜂や虻。
雨が降っている間は、どこかに隠れていたのだろう。急に賑やかな昆虫たちの森の中の野外ステージになっていた。
朝、垂らしたミルクの汁にたくさんの蟻が群がっていた。実に美味そうに汁をすすっては、
誰かに知らせている。こうして、ずっと森の中にいると、虫がいつ飛ぶかもわかってくる。
また雨が降ってくると、虫たちは葉陰や森の中のどこかへ隠れてしまうだろう。
トンボは、電線に止まったまま、降ってくる雨を受け流して動かない。
 
雨降りの日は、鬱陶しく纏わりつ付く虫たちに悩まされる事はない。
雨が上がり陽が差してくると、すぐにトンボは飛び回り、蝶や虫たちがまた何処からかやってくる。
虫たちは、じっと何処かでいつか晴れてくる”間”を待っているのだ。虫たちのように、じっと
何処かでいつか晴れてくる”間”を待つということが、登山でも大変重要なことのように思う。
これが”登山センス”ではないかと思っている。それは、山歩きの感じ方や味わうために、
この感覚を研ぎ澄ませて、微妙な点まで悟ることができるようになること。そのための感覚を
地道に養うことではないかと。

 

 

聞こえるのはユウトムラウシ川の川音、みえるものは、雨に濡れ霞んだ森の木々。
時間が止まったような森の中で、慌しいスケジュールの時間の帯に流されることも無く、
何もすることも無いが、時間がゆったりと流れてゆく。もしかすると、私は、私の行いが山の神に試され、キムンカムイから与えられた「やわらかな生命の時間」を此処で過ごしていたの
ではないか。

 

 

イメージ 2 イメージ 3
 
雨上がりに山荘まで水を貰いに行った。
新得から入山した日、バスで一緒になった、あのご夫婦に再び山荘でお会いした。結局、
雨の降る中、トムラウシを往復してきたようだった。
「トムラウシに行って来られたのですね。」
「えぇ。ただ、道を見詰めて歩いていただけですよ。何処にでもある道だ。」と語っていた。
午前4時にタクシーを呼んで短縮登山口まで行ったようだ。
誰かが言っていたが、お金のある人は、お金を使い、お金のない人は、時間を使い、この山の魅力を味わい楽しむべきだと。お金も時間も無い人は、無茶をするのだろうか。
あのご夫婦が自分達の希望を果たされたことがなんとも羨ましかった。
無理してでも、登ればよかったのか、雨の中、テント暮らしをしていた私は、この人たち以上に、自分ながらどこか薄っぺらく、虚しい気持ちが沸々としていたのだった。
 
午後2時から再び雨。すっかり鉛色の空に慣れてしまっている。テントから覗き込むと、雲は
南から北に流れて、野営場の森の空を埋め尽くしている。
北の森のすぐ上の見えない所がトムラウシだ。山頂があるであろうその辺りは、一瞬、晴れ間がでたり、南西からの雲が押上げて、南からの雲とぶつかりながら流れてゆく。気流は荒れ、雲の流れは相変わらず速い。

 

 

夜半からは大雨となった。
テントの中で「いつかある日」を歌って眠りに着いた。
「いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ 友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケル立て・・・」
もうすぐ、ケルンを 積みに行きますよ。
歌っているうちに、大粒の涙が頬を伝って落ちていった。
何処か、たくさん花の咲いている明るい南沼の近くに、トムラウシの見えるところに、ケルンを積んでこよう。
ほんの少しでも、冥福を祈り、弔うことができるならば。そう思った。
もしかすると、それも叶わないかもしれない。
イメージ 4

 

 

         -つづく-

 

【大雪山への山旅 -4 】

 
7月28日   <雨雨雨 テントテントテント>
 
目覚めると雨音がする。意気消沈し、午前中は温泉に浸かり、宿の中で虚ろな時間をただ
ぼんやりと過ごしていた。
此処に何しに来たのだろうという想いだけが走馬灯のように頭の中を巡っていた。
北海道の温泉地に”湯治”にやって来たと思えばいいのだ。たまには、のんびりとゆったり
過ごせばいい、そう言い聞かせてもみた。そのように気持ちを切り替えてしまえばそれでも
よかった。
 
午後、雨が上がったのでトムラウシ温泉野営場に行ってみた。
きょうからテントを張ってここで暮らすことになる。広々とした野営場には誰もいない。
テントを張る場所を見定めながら、しばらくじっとしていると、キタキツネがやって来て、
物欲しげにこちらを見ていた。
君と遊んでいるのも、なんだか、侘しい気持ちがして知らん振りをしていた。
気の抜けた人間を見て、何の警戒心もないのだろう。欠伸をして、森の中に消えていった。
久々にテントを張り、懐かしいテントの中に入り、黄色い空気に包まれていた。その黄色い
空気は、それ以上明るさを増していくことはなかった。
雲ばかり見ていた。南から北へ流れていく雲の動きがとても早かった。
今日は何日の何曜日なのか、指折り数えていた。
 
一人ぼっちの野営場は、のんびりと長閑過ぎるくらいだった。けれど、けっして静かではない。
ドオッードオッーと流れるユウトムラウシ川のすぐ傍にいるから、川の水音なのか、雨音
なのか、さっぱりわからなくなっている。たえずユウトムラウシ川の川音が唯一のバック
グラウンドとなって野営場に響き渡っているのにあらためて気づいた。
広々とした野営場に一人でいると、雑音と考え事と周囲の音の区別がつかなくなってきて、
しだいに正常な判断ができなくなってくるのだろうか。

 

イメージ 1 [野営場の森]
 
午後ニ時頃から再び雨が降りだした。私の山歩きは終わったのかな、と、ふと思った。
その夜は一人ぼっちで野営場で過ごした。気持ちの落ち着かない夜だった。
寝袋の中では、体の至る所が何かにあたっているようで痛く、いつまでも寝付かれなかった。
 
夜、7時を過ぎていた。外で重量のある物音がした。いよいよ熊か?明らかに重い足音の気配がしている。まだ何もしていないというのに、此処で熊と格闘するのか。それはあまりにも
情けなく惨いことだ。暗闇の中で、しばらくガサゴソという音は続いていた。
しばらくして声がした。「すいません。隣に張らせてください。」
その声の主は、今、下山して来た青年だった。テントを設営しながら、彼の今回の山行の話し
をいろいろ聞かせてくれた。彼は私より、ニ回りも若く見えた。
旭岳からトムラウシを縦走して来たという。私の取りやめたルートをそのまま歩いてきたうな
ものだった。

 

 

何もしないでいた私、何もできなかった私と、私の行きたかったコースを歩いて来た青年。
自分の不甲斐なさだけが際立っていた。なんとも羨ましい限りだった。
彼は、ヒサゴ沼避難小屋で一日停滞したものの、半日の晴れ間をみて、雨に降られながら
膝まで泥んこになって下りてきたらしい。

 

 

飲み水も煮沸せず、エキノコックスのことなどまったく知らずに飲んでいたという。
入山の数日の差がどのような天候の差になったのだろう?天気を恨んでもしょうがないが、
そんなことばかりを考えていた。
化雲岳では、いろいろな高山植物が咲き、たくさんの蝶が乱舞していたという。彼は、初めて
見たその光景で今回の山行は満足そうだった。
奥さんがいるようだったが、4日間、何も連絡してはいない、と言っていた。当然、下山した
ことも。私は急かすようにして、朝にでも山荘の公衆電話からすぐに連絡することを勧めた。
話しを聞けば聞くほど、雨の日を空しくテントの中で過ごしていたことが、どうしようもなく
やりきれない思いだった。

 

 

イメージ 2イメージ 3
 
「世の中には、すばらしくうまくいったことも、とりかえしがつかないほどひどい失敗だった
ことも普通にはめったにないのである。静かに観察すれば、うまくいった場合にも、いささか
の不手際は残っており、失敗した場合でも必ずその方がよかったという場合はある。」
曽野綾子「至福の境地」より。

 

 

気持ちが奈落の底まで落ちていかずに、どこかにひっかかったようだったが、雨の日を空しく
テントの中で過ごしていたことが、「至福の境地」であるか、その方がよかったかどうか、
人は、二つの道を同時に歩めない以上、わからないことではないか。
私のことは、とりかえしがつかないほど、ひどい失敗だったわけではないのだけれど。

 

 

         -つづく-

 

【大雪山への山旅 -3】

  
2010年7月25日   <天候悪化>  
 
いつの時でも、旅立ちの前は憂鬱になる。それはたぶん、知らない街や歩いたことのない道を行く不安感からだろう。知らない所の、見たことのない山々を歩いてゆくのだから不安な気持ちは尚更だろう。

 

関東甲信地方は、7月20日に梅雨明けし、連日の猛暑が続いていた。
平年より太平洋高気圧の勢力が強く、その周りをなぞるようにして気流が北海道に流れ込ん
でいる。北海道の天気が怪しくなっていた。
北海道の三ヶ月長期予報では、気温は例年より高く、暖かい日が多く、雨量も多い。
まずまずのお天気だった週間天気予報も、予報を見るたびに悪い方向に変わっていった。
 
今朝の天気予報をみると、旭岳方面は悪天候が続く予報となった。
トムラウシは晴れ間が出る日もあるようだが、連日悪天候が予想される。
吹き曝しの尾根をテントを担いで長い距離を歩くことになる。
風雨から逃げ隠れする場所もない。計画していたスケジュールを実行するか否か判断する
必要に迫られた。

 

 

そして、”縦走は無理”と判断した。出発の前夜に変更したスケジュールはこうだ。
旭岳からトムラウシ縦走は取りやめる。トムラウシに直接向かうことにする。
飛行機はそのまま使う。バスルートを変更して、宿の予約をすべてキャンセルした。
宿泊場所の新規予約。列車の時刻調べをやり直さなければならなくなった。山行スケジュールのすべてを書き直して家人に説明した。
「登山届」を書き直して、改めてポケットに入れた。

 

 

イメージ 1 [何日も暮らした野営場の入口]
 
7月26日    <山旅のはじまり>  
 
登山計画を変更した部分は、前夜のうちに辛うじて調べあげておいた。
慌しく計画し直した割には、かえって余裕のあるスケジュールになっていて、
空港でも、駅でも、宿でも、どこもかしこも、待ち時間がたっぷりあり過ぎるくらいだった。
 
予約できた飛行機の到着時刻では、列車もバスも接続が悪く、当日は旭川近辺に宿をとる
しかなかった。行きたいところには、バスを乗り継ぐしかなく、バスの便は1日2本だけだ。
しかも、翌日のバスは、なんと9時10分発だったりして、なんとも間の開いた待機時間が
もったいない。
レンタカーは何日も借りられない。料金を気にせず一人でタクシーを乗り回して行くのなら
それもいいだろう。個人旅行は自由な反面、非効率で時間もお金もかかるものだ。
 
飛行機も予定通り、順調に飛んでくれ、到着した旭川は、暑いくらいのよい天気だった。
兎に角、現地の新得まで入ることだった。
旭川の宿では、層雲峡から入山した人がトムラウシの山中で行方不明になり、捜索中であることをTVニュースで知った。
トムラウシは、やはり魔の山かもしれない、と思いながら不安は更に増幅されていた。
 
持て余した時間は、本日限りの大雪山地ビールを飲んで、山行中の禁酒に備えておいた。
北海道内の交通が不案内である私にとって、唯一、旭川駅でもらった時刻表が心強い味方
となった。あれほど気にしていたガスボンベを忘れるところだった。
閉店間際の午後7時にスポーツ用品店に飛び込み、危うく購入することができた。
気持ちは晴れず、重く得体の知れない空気が圧し掛かっているようだった。

 

 

 

イメージ 2 [野営場のコヒオドシ(たてはちょう科)]
 
7月27日  <「登るんですか。雨ですよ。」>    
 
富良野線で新得へ向かう。旭川駅で電車の出発時刻まで一時間半もある。さすがに時間
を持て余していた。
駅のベンチに座り、行き交う人々を眺めていた。登山に来て、駅のベンチに座っているなど
ということは、ずいぶん遥か昔のことのように思われた。駅舎のベンチで野宿したのは
いつのことだったか。
登山もできないもったいない時間が流れているのか、それとも、なんとものんびりとした
贅沢な時間を享受しているのか、よくわからなかった。

 

 

 

私の隣の席には、何人もの人が入れ替わり立ち代わり、何処からともなくやって来ては去っていった。最後に隣に腰掛けたのは、旅行ケースを転がしてきたおばちゃんだった。
「大きな荷物を持って、山登り?一人で行くの?一緒に行く人はいないの?そんなにしてまで、なんでいくのかね?」
「はい。・・・ん。」
矢継ぎ早の質問も、さして気にならず、おばちゃんとの会話は心地よいほどだった。
彼女は、海外旅行の達人らしく、これから雲南省に行くという。旅立つ気持ちは、おばちゃん
と一緒です。
「テントが飛ばされないくらいのところでやらねば。死んでしまったら何にもなんないからね。」
おばちゃんは76歳と言っていた。
 
旭川駅から、9時28分発ののディーゼル機関車で富良野線、根室線を乗り継いで新得駅に
降り立った。町名はアイヌの言葉で「シントコ」(清らかな水が流れる所、酒造りの器)
の意か、「シットク・ナイ」(山の肩、端)であるのか、ともかくアイヌの言葉に由来するようだ。
大正10年大雪山の木材輸送のため、馬車鉄道が敷設され、森林鉄道が開通したり林業の
盛んなところだったが、現在は輸入材におされているようだ。

 

 

乗車予定の14時の最終バスまで1時間以上も時間があった。
ほとんど人通りのない駅前の食堂でカツ重を食べ、エネルギーを補充した。このエネルギー
も、何の役にも立たず、やがて空しく消えていくのだが。
バスの乗客は、3人だけだった。
一緒になったご夫婦は、短縮登山口から往復登山でトムラウシに登ると話していた。
午後から雲行きがおかしくなってきて、とうとう新得からトムラウシ温泉へ向かうバスの中で
雨が降りだした。

 

 

森の中の一軒宿の温泉に着くと、雨脚はさらに強まっていた。さすがに大雨の中でテントを
張る気力は失せてしまった。山荘に宿泊をお願いすることにして、到着早々、登山の初めからご馳走を食べてしまった。温泉宿での宿泊は、初日から雨に祟られ、山旅がスケジュール通りいかなかった、自分への慰めのつもりだった。
 
短縮登山口から往復登山するご夫婦は、山荘で宿泊の手続きをしていた。
「登るんですか。雨ですよ。」と宿の人に言われていたが、「タクシーを頼んでしまったので、
行くしかない。」と返答していた。
百名山を抱えているこの宿は、遭難や遭難まがいの事をいつも見聞きし、捜索の中継地点
ともなるのだろう。
雨が降ろうが槍が降ろうと山に登る人はいるものだ。いったい、山登りって何なんだ。と自問
自答していた。
この山旅の間、行き交う人々の会話の中で、”ピークハンター”という言葉を何度も耳にしたが、山登りの仕方は様々あるにせよ、なんだか、空しさだけが漂ってきた。
 
先行きどうなるかわからない自分の山旅も、不透明感が重く圧し掛かり、どんよりとした気持ちが全身を覆っていた。何もできずに、このまま帰るのかもしれないという厭な予感は、ますます現実味を帯びてくるようだった。
「うまく行かなくなりうるものは何でも、うまく行かなくなる。」
またも、マーフィーの法則が蘇ってきた。

 

 

         -つづく-

 

 【大雪山への山旅 -2】    

 

<登山計画の心配事>

 

 

いざ実行計画に移し始めると、そのための山行計画の準備は予想以上に大変だった。
用心するに越したことは無いが、心配すればするほど、次々と心配事も荷物も増える。
楽しいはずの登山計画は、次々に増える心配事のため、4ヶ月にわたる計画段階で憂鬱に
なっていた。
なるようになる、そう思っていたものの、一番気がかりだった”天気”によって、計画を
変更せざるを得なくなるのだが。
「何事であれ失敗する可能性のあるものは、いずれ失敗する」マーフィーの法則のように
なるのだろうか。それとも、取り越し苦労の杞憂に終わるのだろうか。
憂鬱な心配事とは、こんなことだった。

 

 

イメージ 2

 

 

①体調/体力的な問題
右肩のぼんやりとした痛みが消えない。気にし過ぎているため、ぎっくり腰の後遺症らしき
痺れまで感じるようになった。最低5日分の食糧とテントを背負って、雨の中やカンカン照り
の尾根を長時間歩けるのか。
過去の縦走山行を思い出し、似通っている行程を思い出してみたりして自分の力量を推し
量っていた。 

②熊のこと
再び、熊と遭遇したあの時の恐怖が蘇る。相手は、ヒグマだ。ヒグマの巣みたいなところを
歩くのだから、もう、覚悟するしかない。気休めにドロップの空き缶と鈴で特性の”熊除け”
を作製した。

③水とエキノコックスの不安
エキノコックスは、キタキツネ等の糞便中に排出されたエキノコックスの卵が周囲の環境に
ばら撒かれ、粉塵、飲水、食物を通じて人や獣に感染する。寄生虫の卵は人の体内で幼虫になって、肝臓に寄生し肝機能障害を引き起こすとされる。何はともあれ、水の確保が最も重要な課題だった。水場の確認をしたい。水は煮沸しなければならないとなると、水作りが必要なのか。エキノコックスは、そんなに蔓延しているのか、実態は不明だった。

④ガスボンベの入手
ガスボンベは飛行機には持ち込めない。ナイフもマッチも不可だ。現地調達をするにしても、
何処で購入するか決めておく。ボンベはいくつ必要か、ある程度の見当しかつかない。
日常の炊事でガスボンベを使い、ガスの使用量を実験してみることにした。
⑤テントサイト、山小屋の利用
山中にあるのは、避難小屋である。小屋が空いていれば使わせてもらうことにして、テント
泊で用意することになる。小屋でのアクシデントも想像される。
とりあえず、どう転んでもいいようにテントの手入れをはじめる。防水スプレー缶を使って
防水処理を施す。
親綱は傷みが出ていたので2本とも交換。フライシート分のペグが不足していたので補充。

⑥虫の攻撃 
天人峡コースは、虻、蚊が多い。虫の攻撃に備える対策として頭からかぶる網を調達した。
かぶると暑くてうっとおしい。

⑦雨具の不安
どうしても、雨は避けられないだろう。使い慣れた雨具は、飯豊の御西小屋に置き忘れてきてしまった。手持ちの雨具では、蒸れがひどく、重い。北海道の山で使うには躊躇われた。雨具は、”最新”のものにした。何か心の支えになるものが欲しかった。気休めでもいいから、
安心できるものを持っていたい、そう思った。

⑧防寒対策
夏山とはいえ、緯度が高い。北海道の山の気象状況と適度な服装装備の見当がつかない。
防寒対策というよりも、どの程度の服装にしたらよいか、着ていく服装そのものに迷った。
ダウンを持っていくつもりで準備するが、かさばり、重量が増えるのにも躊躇った。

⑨晴天時の対策
炎天下、縦走路を歩くことになる。木陰はないものと考えておく。昨年は日焼けで苦しんだ
ので、帽子は忘れずに持っていくにしても、何らかの炎天下を歩く対策が不可欠だ。炎天下の尾根上に水場があるか。

⑩泥沼対策
降雨後は、大変なぬかるみになるらしい。泥んこになった姿を想像して今から憂鬱になる。

⑪航空券の予約
自分を追い込むように航空券の予約をした。これで山行の計画が確定した。山行計画が、
やはり往復の飛行機の予約スケジュールに縛られてしまうことがよくわかる。

⑫宿の予約
飛行機のスケジュールにより、入山前の現地の宿の予約が発生する。
都合の良いスケジュールにするためには、さらに費用が掛かる。

⑬列車、バスの運行予定
交通機関の接続とダイヤの確認。北海道の交通機関が良くわからない。運賃値段はともかく、何線に乗って何処で乗り換えたらよいのか。

⑬地図
「大雪山」の地図を買う。地図に磁北線を入れていく。地図を広げて、予定したコースを辿っ
ていくと、行く手は長く広大に続いていた。ちょっと気が遠くなる。

⑭食糧計画
1週間分の食糧メニューを考える。
相変わらず、インスタント食品だ。下山後、不足分の食糧の調達方法も考えておく。

 

 

イメージ 1 [暑かった羽田から暑い北海道へ]

 

 

計画を立てていく段階で疲れてしまった。
ツアーに参加し、山行計画を委ねてしまう気持ちもよくわかった。
それでも、余裕のある準備期間をとっていたお陰で、事前にいろいろなリスクに気づいて
物品の準備やスケジュールの柔軟な対応ができたのだと思う。
家人に山歩きのスケジュールを打ち明けると、「生きて帰ってきてね。」と言われた。
いつもと違う雰囲気からそれなりにわかるのだろう。
今回の北海道の山行スケジュールをすべて書き込んで手渡した。
あらかじめ登山届を事前に書き留めておいた。なんだか、遺書みたいだなぁと思う。

 

 

-つづく-