「静かに 健やかに 遠くまで」                             

 
言葉の心地よい響きは、体中の感覚器官を刺激し、
遠い記憶を呼び覚ますようだった。
やはり、私も、何の本だったか、今ではその書名も著者の名も思い出せない。
言葉の端々が、心に残り、けして、強制されることもなく、ものの考え方や
生き方などに、自然に共感して影響を受けることがあるものだ。
それが”感化”ということだろう。

 

この言葉が、城山三郎氏のものかと思い、著者の「静かに健やかに遠くまで」
という本を読んでみた。
その本のあとがきに、”一つの箴言の力”というタイトルでエピローグが綴られ
ていた。

 

『本書のタイトルにした「静かに健やかに遠くまで」は、
私の最も好きな次の言葉を縮めたものである。
「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」
いまとなっては、その書名も著者名も思い出せないが、高名の経済学者の業績と
人物を紹した本の中に出てきた言葉で、学生時代の終わりか大学教師になって
間もない私が読み、すっかり、その虜になった本の中に出てきた言葉である。
たしか、イタリヤの経済学者パレートについての叙述の中で、彼がモットー
とした言葉として紹介されていた。

原語では、
「 Chi  va  piano,  va  sano   Chi  va  sano,va  Lontano 』

 

 

イメージ 1 [霧が晴れ、遠くに見えたトムラウシ]

 

私なりに、何日も考え、ようやく、城山三郎氏の謎が解けた。
この言葉は、元々は、イタリアの諺にある言葉だった。
これは、140年も前にフランスの経済学者レオン・ワルラスが人生の難題か、
学問に行き詰ったのかわからないが、辛い悩みごとを抱えていた。
その時に、父のオーギュスト・ワルラスが、わが子を励ますために送ったのが
この言葉だったのだ。

 

城山三郎氏のいうのは、イタリアの経済学者・社会学者、ヴィルフレド・
パレートである。パレートの法則Pareto's lawを表した人だ。
パレート自身は、鉄道技師から政治活動に身を投じたが、レオン・ワルラスの
影響を受け、経済学の研究を志す。
その成果が認められ、ワルラスの後任としてローザンヌ大学で経済学の教鞭を
とっている。彼はそこで、経済学における一般均衡理論と厚生経済学という
新たな研究分野を確立した。

城山三郎氏が「その書名も著者名も思い出せない」としていたものは、
これらのことだったのではないか。レオン・ワルラスの言葉をその弟子パレート
がモットーとしたというのも頷ける。そのモットーこそ、ワルラスの父、
オーギュスト・ワルラスが息子のレオン・ワルラスに送ったこの言葉だった
のだろう。

 

「 Chi  va  piano,  va  sano   Chi  va  sano,va  Lontano 』

 

これは、登山を志す者の本分でもあると思いながら考えている。
「静かに」山に入り、「健やかに」歩き、「遠くまで」行く。
厳かに、畏敬の念を抱き、「静かに」山に入り、ゆっくりと元気に
「健やかに」歩く。
そういう人は、きっと「遠くまで」行くことができる。

しかし、今、この言葉が頷けるような山歩きをすることができる場所は、
ずいぶん少なくなりつつあるのではなかろうか。
少し心配しながら、遠くの山を見詰めている。

 

104

        蝉の声 雲の隙間に 這い昇る 
                                    2011.8.4


イメージ 1 [這い出てきた蝉]

 ようやく夏空が戻ってきた。
    降り注ぐ放射能と汚染された地表から、新たな生命が生まれてきた。
    枇杷の木の高枝に蝉の抜け殻があった。
    今年は例年より梅雨明けが早く、すぐに真夏の暑さになったかと思うと、
    台風の余波で、北東からの寒気が流れ込み涼しい日が続いた。
    天候不順で出番の狂った蝉たちは、今が時ぞと這い出てきた。
    雲間から、夏の陽差しが出てくると、それに合わせるようにして鳴きだす。
    強い陽射しと静かな暑さだけかと思われた夏空の隙間から
    聞こえてくる蝉の声は、いつもの夏の当たり前の風景として体に沁み込んだ。
   
    蝉の音色が高く響き、雲の隙間に昇っていくようだ。
 夏空や 雲の隙間の 蝉の声 → 最初に詠んだ句

       夢の徒然    <ネアンデルタールの君>     

 

毛深い腕がすぅっと、伸びてきた。
私は驚きもせず、その腕をじっと見詰めていた。君の腕だったからだ。
どうして君だとわかったのか、その理由はわからない。もう少し確かめようと
してみたが、無駄だった。瞼は硬くくっついたまま、開くことはできなかった。
瞼の裏側には、自動的に映像が流れていた。
君がいつのまにか退化してしまったのか、さもなくば、そういう生物が今此処に
いてもおかしくはないと思うことだった。
 
全ての生物種が共通の祖先から長い年月をかけて、自然選択を通して特徴ある
形質が代々伝えられてきた。猿に似たあの猿人の方が知能が低く、現代人の私
たちは進化の頂点にいる。言語を持つ、より高等なホモ・サピエンスなのだと、
下等なものから高等なものへと段階的に進歩していくようなものと信じ込んで
いたのではないか。きっと、こんな類人猿のような生物が夢の中に出てくるのは、
ジョン・ダーントンの「ネアンデルタール」を読んだせいだろう。

「”より高等な動物”というものはいないのだ。このかき回された沼地の中では
誰もが対等なのだ、ある千年期にはある種が優勢となり、別の千年期には別の
種が優勢となる。そのいづれもが、もがき努力し変化していく。
どれが本質的に他のものよりも優れているということはない。全体的な設計図
といったようなものは、存在しないのだ。」 

 

今の千年期は、ホモ・サピエンスが優勢なのだとしても、次の千年期には何が
優勢になっているのだろうか。生命の存在を許された限られた環境の中で、
ある種の生物が生きながらえ、もがき、努力し、変化して出てくるものはいっ
たい何者か。
”より高等な動物”にたどり着くような生命の設計図はどこにも見当たらないの
だから。
今の私たちが、4万3000年前のホモ・ネアンデルターレンシスより”進化”を遂げた
”より高等な動物”だというのはとんだ思い上がりというものだ。
ただ、君がどう思っていようと、真実は、今の千年期に君と僕が一緒に生きている
ということだ。

 

イメージ 1 [ホモ・ネアンデルターレンシス]

 

ネアンデルタール人は、現生人類がアフリカの大地を離れるよりも、はるか以前
に、共通の祖先から分かれた後、それぞれ別々に暮らし進化を遂げた。
その後、ネアンデルタール人は、2万数千年前に姿を消し絶滅してしまった。
もう、どこにもいない。がっしりとした体格のかつての人類は、小集団で活動し、
男も女もウマやシカを追う狩猟生活に明け暮れた。
時には猛獣に襲われ、腕は折れ、頭蓋骨は割れ足や体を噛まれた。
現生人類は、大きな集団の中で、狩猟と木の実を採り子育てする、男女の役割が
分かれ、雑食性になったことで、極端な気候変動を乗り越えられたのだろうか。
現代のホモ・サピエンスは、男女同権、女のような男性、男のような女性が出現
して、なんだか、男も女もウマやシカを追う、4万3000年前のホモ・ネアンデル
ターレンシスに戻っていくようでもある。

 

人の暮らしの痕跡もない広大なユーラシア大陸の大地を、何年も歩いていくこと
もあっただろう。どこにも人影もないような場所で、別々の人類として生きてきた
ホモ・ネアンデルターレンシスの君を見つけたら、僕は君をどう想うだろう。
少しでもこちらを振り向いてくれて、同じ時間を歩んでいたら、どうなっていた
だろう。

静かに頭(こうべ)を上げ視線を合わせたその先には、ネアンデルタールの君が
微笑んでいた。盛り上がった額の所までこげ茶色の毛で覆われていて、耳はかろう
じて見えていたが、頬のところまでもこげ茶色の毛がびっしり生えていた。
何かを伝えようとして、何かを言おうとするのだが、僕にはわからない。
よく光る鋭い視線だけが静かにこちらに向けられていた。

 

君が意識しようがしまいが、「時間がない」と言って遮った言葉を思い出していたが、まさか、それは、つまり、僕が自然選択の篩(ふるい)にかけられていたこと
を意味していた。
ミトコンドリアのDNAの指令だったのか、僕は、君が何かに命令されているよう
な気がしてならなかった。ただ自分の脳の中で必死に今の今を生きているだけなの
ではないのかと。

そうして、君の「時間がない」という時間は、すべて僕以外の大切なことに使われ、たっぷりとあった僕の時間は止まり、アフリカの大地が裂けた大地溝帯へ滑り落ち
て行き、振り向いた瞬間、すぅっと伸びてきた毛深い腕が僕の腕を掴み、そのまま
過去へ引きづり込まれ、後戻りする時間のカウントが始まった。

 

果たして、僕の思惑どおりに事が運んでいたら、万事はうまくいっていたのだろうか。自分に相応しい、有能な生き物を選び取るための自然選択の篩は、急に”重く
なった”僕を選り分け、目の粗い笊(ざる)のような穴からやすやすとすり抜け、
地面に放り投げられた。
重力よりも重くなった僕は、地の果てまで行って、ホモ・サピエンスが誕生した
25万年前の過去の時間の中に佇んでいた。蟻地獄のような暗い過去の時間の中で
確かめておきたいことがあった。

 

過去の時間の中に入っていくことは、蝶の誘惑に駆られ、何もかも忘れて森の中に
入っていく気持ちに似ていた。そのヒントが「誰も書かなかった読書感想文」の
中にあった。
『少年時代の昆虫採集の想い出を秘めた、森の力。・・・それだけではないだろう。
煌びやかな燐粉に惹きつけられる、甘酸っぱいような誘惑・・・蝶の引力。
想像もできないような、見たこともない・・・魔物の力。』
そこには、悠然と「蝶の時間」が流れ、4万3000年前のホモ・ネアンデルターレン
シスに繋がっているような時の流れがあるような気がしている。
僕はいつも、こんな甘酸っぱいような誘惑めいた”蝶の引力”と、想像もできない
ような”魔物の力”にいまだに左右されているような心持ちもしている。

 

硬く瞑った目の前に、4万3000年前の小学校の理科の授業が浮かび上がった。
教壇にいるヒトは、毛むくじゃらの背中に長い髪の毛が垂れ、鋭く尖った石の破片
で何やら文字を書いていた。
鉄をくっつける磁石、、磁石のN極とS極のことを話していた。
僕の隣りには、君が座っている。磁石のN極とN極同士を近づけると跳ね除け合って、お互いに反発する力が働いているのがわかる。N極にS極を近づけると、お互
いが引き合ってくっつく。・・・ ”蝶の引力”だと君は言った。

磁石のまわりの磁界は、磁力線がN極から出てS極へ向かってお互いに交わらない
曲線を描いている。君はいつも近道を急いでいた。
僕は、遠回りをして家路についた。お互いに交わらない曲線を描いていた。
磁石を砕いてみると、その破片は、必ずN極とS極の磁石になっていた。
砕かれても、壊れてしまわない不思議な磁石の性質を感じとっていた。
互いに反発する青いNと青いN、赤いSと赤いSをくっつけて、パッと指を離す。
磁石は勢いよく反発して飛び跳ねていった。・・・”魔物の力”だと僕が言った。
教壇にいるヒトは、薄ら笑いを浮かべ、同情の余地もなく話はそこで終わっていた。

 

ダーウィンの言うように、自然選択の利益はどのように働いたのか。
同じ時間を歩んでくれた”共感能力”も、「時間」という鋭い切れ味の言葉を操る
”道徳心”も、人類の長きにわたる自然選択の積み重ねによって形作られたもの
だった。だから、ホモ・ネアンデルターレンシスには、ホモ・サピエンスの
”共感能力”も、”道徳心”も通用しない。
目が醒めて、いつものように駅の雑踏の中に入って行き、同情の本能の欠片も
ない街中で、着飾ったホモ・ネアンデルターレンシスの君が現れても、僕は一向
に気づかない。一枚の絵のような、普通の風景の中を歩いていく一人のヒトと
しか識別してはいないだろう。

 

ネアンデルタール人は、スペイン北部のビスケー湾にあるエル・シドロン洞窟で
息絶え、今はもう何処にもいないけれど、現生人類とネアンデルタール人は、
とてもよく似ている。
たぶん、DNAの塩基配列は、ホモ・サピエンスとわずかな違いしかないのだろう
から。

ふたりは、4万年程前に何処かで出会い、そのDNAが血の一部となって、僕の
体の中に流れているのではないかと思っている。
そして、僕たちは手を取り合って、不安定な磁力線の上を何処かへ向かって、
お互いに交わらない曲線を描きながら、どこまでも歩き続けている。

 

103

        梅雨明け 声なき蝉の 小暑哉


イメージ 1 [蝉は いるか]

気象庁は9日、九州北部、関東甲信、北陸各地方での梅雨明けを発表した。
平年と比べ、関東甲信は12日梅雨が明けるのが早かった。
小暑 (しょうしょ) とあわせるように、すぐに本格的な夏が来た。
いつもなら、夏の到来を告げる蝉の合唱が聞こえてくるはずだが、
30度を越す強い陽射しと静かな暑さだけが始まったようだ。
蝉は いるか。

      串田孫一 『北海道の旅』を読んで         


「北海道へ、雨の中の出発だった。」串田孫一 『北海道の旅』の書き出しである。
1962年5月15日、音のない細かな雨の降る中を歩き出す。
50年ほど前、夜行列車で上野から青森へ行き、青函連絡船で北海道に渡っている。
函館、洞爺、支笏湖、襟裳岬、日高、富良野、十勝岳、旭川、ノシャップ岬、礼文岳、利尻島、
大雪山、倶知安、駒ケ岳・・・

不思議な道連れと共に暮らした15日間の北海道の旅が日記と手紙で綴られている。
寝床で腹這いになって地図を広げ、行き先を決める。目にとまった風景に惹かれて途中下車
をしてゆく。
所々に孫一さんのスケッチが描かれ、すがすがしい旅情を感じながら、孫一さんと一緒に
『北海道の旅』をしている気持ちになる。

イメージ 1 串田孫一『北海道の旅』

夕方近くになって登った有珠岳の山頂で、これから旅の友となる一人旅の二十歳の青年に
出会う。なんとも不思議な道連れの朝倉君だ。以降、この青年と北海道の旅を共にすることに
なる。孫一さんは、旭川駅でうまいコーヒーが飲みたくなり、紹介された近所の喫茶店に立ち
寄っている。
昨年の私の『北海道の旅』は、旭川駅の待ち合い所が山旅の始まりだった。
天候が思わしくなく、大雪山の行方不明者のニュースが頭から離れず、重いリュックを背負い
さらに重い足取りになっていた。そんな心細い気持ちと不安定な気持ちのままに、ベンチに
座っていた。その時、旭川のおばちゃんと暫し会話ができたことは、暗雲漂う不安な前途を
抱えた私にとってどんなに気が紛れたことか。

まさに駅は人の交差点である。到着した列車から降りてくる人、出発する列車に乗り込む人。
それぞれにそれぞれの運命を背負いながら。
その情感を感じ取れるほどではなかったにせよ、北の大地を走る鉄道のターミナル駅にいる
ことが、わくわくとした気持ちに感じられ、そして、これからどうなるかわからない旅の始まり
を実感していた。これが旅の醍醐味というものなのだろう。

『北海道の旅』を読み終えて、あらためてページを開いてみると、二箇所に付箋紙が貼り付い
ていた。
一つは、藻琴山の見える網走に着いて、明日は、斜里岳に向かうという日、駅前の喫茶店に
立ち寄り、Scallop Rice ホタテ・ライスを注文している箇所だった。
孫一さんは、吹雪の美幌峠を越えてやってきた、この駅前の喫茶店で食べたホタテ・ライスを
思い出したのだった。私もいつか、此処に来ることがあったら、ぜひこのホタテ・ライスを
注文してみようと思ったのだろう。

二つ目は、旅行中、毎日毎日旅行記を書き綴っている、この旅行記の書き方についてであった。
このやり方を怠ることは、旅行記のかたちが崩れてしまうと考えていること。
旅を終え、一、二ヶ月たってから余分なものをふるい落として書くよりも、日々目にとまった、
その日その日のことを丹念に書き記していくほうが、旅の生の味の魅力を出せると考えている
という部分であった。
私は、孫一さんとは反対で、道中の細々としたことは省きながら書いてみようと思っている
ので、やはり旅の臨場感には欠けている。

旅の最後に、不思議な道連れの朝倉君との別れの件(くだり)は、とても印象的だった。
『私たちは、大袈裟な別れ方はしなかった。帰ったら会う機会をつくろうとも言わなかった。
「それじゃあ、気をつけて。」とお互い言っただけで、孫一さんは大雪丸に乗り込み、同行者
の朝倉君は、江差線の切符売り場の方へ消えていった。』

旅の終止符を打って、別れを告げる。
すばらしい旅人だなぁ、と心地よい感動とともに、オーケストラの演奏を聴き終えた最後の
シンバルのように響き渡った。
旅の想い出や余韻は、それぞれの心の中で響いていればよい。
いつかどこかで出会ったとしても、まったくわからない二人だったとしても。
そして、つくづく想うことは、山上の小さい池の畔で一夜を過ごすような一日があったり、
目にとまった風景に途中下車しながら、ゆっくりと旅をしてみたいものだと。

「山登りはその行為自体が単純であり、愚鈍であるから、よほど熱中して、われを忘れ、家を
忘れ、親兄弟友人の心配を無視し、つとめを忘れ、仕事を忘れ、学生はまず学問を忘れないと
山登りを続けて行くことはできない」(山のパンセ)