10歳と8歳だった
まだまだ腕のなかに抱きしめられるくらいの小さな体
私には守るべき宝物たちがいた
あの日…
大切な宝物たちを抱きしめられて、本当によかったと思った
一緒にいられるのなら、一緒なら、これからどうなってもいいや…
何が起きたのか、まったくわからない混乱の中
本当にそう思った
あれから7年…
あのとき8歳だった一番小さな、一番震えていた宝物は、まもなく義務教育を終える
今では誰よりも大きくて、父親の身長さえも追い抜いたかもしれない
もう私が彼を抱きしめることも、彼が抱っこ…って甘えてくることもない
一番背が小さいのは私になったから
転ぶからと支えられることはあっても…
私の小さな宝物は、すっかり大人になりつつある
幸せなことだと、本当に思う
あんなに震えていたのに、あの日のことはわかるんだけど、全部を鮮明には覚えていないと、先日言われた
8歳だったもんね
でも、覚えておいてほしい
10歳だった宝物が、あの夏に金魚すくいですくってきた小さな金魚も…
とっても、とっても、大きくなった
彼女の相棒…金魚のでぐちゃん
あの日…金魚は連れて逃げられなかった
彼女の学習机の上の一角に小さな水槽を置いていた
大きな揺れで電気は止まり、循環も酸素もできなくなった
机の上のものが、水槽の上にも崩れ落ちて、水槽は壊れなかったけれど、水槽のまわりはめちゃくちゃになった
それも、あとから見てわかったことだけれど…
しばらくして、生活が落ち着いてから、机の上の水槽を見に行った
散乱した部屋の、散乱した机の上の水槽は、濁って、こけがはえて、何かが水の中にも落ちていて…
そんな中で、でぐちゃんは生きていた
生きてた‼
なんという生命力…
餌もあげてなかった
水もどろどろだった
しばらく、誰も見に行かなかった
そこで、ちゃんと生きて待っていてくれた
あの日から、でぐちゃんは大切な、大切な娘の相棒になった
飼い主に似るって、本当なんだなと思うくらい、御飯を心待ちにしている
餌!餌!えさーっ‼
娘の気配を感じると、水槽の端に来て、でぐでぐダンスを踊って催促する
だから、でぐちゃん…
水槽を何回かバージョンアップして、今では机の上すべてを水槽でうめつくしている
これ以上、大きくなったら…
水槽を置くところがありません
娘は学習机はでぐちゃんに占領されて…
勉強は他のところでやるはめになっている
それでも、こんな日常が7年続いて今があることを、感謝せずにはいられない
あの日、揺れて、寒くて、暗くて…
本当に怖くて、家にはいられなくて、車にありったけのものを積んで、宝物たちと広いところへ逃げた
何も倒れてこないところ
それだけを考えて、スーパーの広い駐車場へ車で逃げた
父親は災害時にはいない
あの日も一旦、ほんの一瞬帰ってきてすぐに、復旧作業に向かっていった
どこに行くかも、いつ帰れるかもわからない
けど、大変なことになっているのは確かだから
とにかく気をつけてと、宝物たちを託されて…
わかっていたつもりだった
災害時には、我が家は母子家庭になることを…
ちゃんと理解して、一緒にいたつもりだった
でも、本当に災害が起きるまでは、わかっていなかったと今は思う
1ヶ月くらい、ずっと、ずーっと、連絡すらもままならない中で、復旧の現場から帰ってくることはなかった
海の近いところの、悲惨な状況…
復旧作業以前の問題
私のまわりの現実が、大変だと思っている自分が恥ずかしいくらい、比較にならないくらいの出来事が起きていることを、だんだんと知っていった
それでも、家族みんなが揃っているところはいいなと
なにがあろうと、それだけでいいよなと、思わずにはいられなかった
今なら宝物たちも大きいから、きっと違った
でも、あの時の宝物たちは、本当に小さくて、守るべきものだった
頑張らなくちゃ‼と思わなければ、過ごせないくらい、気をはっていたのは事実
それでも、やっぱり思う…
ひとりでなくてよかったと
守るべき宝物たちがいてくれたからこそ、怖かった時間も、強い母でいられた
いなくちゃいけないと思った
一緒にいられるのなら、それだけでいい
何かがあるときは、みんな一緒がいい
あの日のおかげで出会えた友人が、宝物たちにはいる
息子のクラスメートは、今回の卒業を後に故郷に帰るのだと聞いた
震災がなければ、出会えなかった友人
7年を一緒に過ごしてきた
でも、受験は故郷の学校を受けたんだと
あと数日したら、みんなとお別れなのは一緒だけれど、その友人は故郷に帰る
娘のクラスメートは、震災枠で高校に入学してきた子
その子はこっちに家族で引っ越してきて、こっちでの生活を続けることを選んでいる
あの日、私たち以上に怖い、辛い思いをしてきた人たち
いろんな形で、今も近くにいる
それぞれが、悩んで、決めて、今を生きている
お別れは淋しいけれど、帰れるんだね、良かったね…そうも思う
こっちでの生活を続けることを選んでくれた人たちには、ありがとう、ずっとよろしくねって伝えたい
目に見えない、7年前に降った放射性物質…
ずっと、触れない、処理できないレベルだったものが、7年たってやっと、なんとか処理できる施設もあるらしいレベルになってきたと、最近のニュースで知った
だから、やっと、なんとかするために行政が検討しています…といった感じだった
あの時、放射性物質は何年もかかって少しずつ減っていくと言っていた
でも、実際は目には見えないから…どこにそんな危険なレベルのものが降り積もっていたのかと、今更ながらに思う…
食べ物は、検査の結果が書いてあるものを、その情報を信じて買うしかないし
宝物たちが小さいうちは、なるべく放射線量が高そうなところには連れていきたくないなとか…
ずっと気にして生活をしてきた
でも、それ以外にも、見えないところに今もたくさん、あの日の悲惨な現実が残っているのだと、改めて思い知った
大切な宝物たちの未来は、大丈夫なのだろうか?
大人になっていく宝物たちの、未来が安心して、笑顔で、幸せを感じられるものであってほしい
たくさんの傷ついた人たちを、あの日感じた怖さを…忘れないで生きていってほしい
あと数年して、社会に巣立つときが来たら…
宝物たちが出会って、7年一緒に過ごしてきた友人のような人たちを思いやり、寄り添って、今を一緒に生きられなかった、たくさんの命があることを忘れずに、自分の人生を一生懸命生きる人であってほしい
8歳と10歳だったね
でも、君たちはあの日を知っている
そして、私も…
だから、毎日を精一杯、これからも生きていこう‼
あの日を忘れずに…
今日の平凡な幸せがあることに感謝
黙祷
2018.3.11 14:46
ーMICKEYー
