児玉源太郎という男に対する嶋根純一の理解 | 近代史から本当に学ぶべきこと 嶋根純一

近代史から本当に学ぶべきこと 嶋根純一

定年退職後、アマチュア歴史家として国内外を調査旅行している嶋根純一です

さて、みなさんは児玉源太郎という、明治日本が生んだ偉人をご存知でしょうか。
児玉源太郎は江戸時代の末期、末輩の武家の家に生を受けた下級武士でした。
その後明治維新では新政府側として戊辰戦争にも参加、この時はわずか10名程度の部下を預かる半隊長という立場でした。
しかし、戊辰戦争で頭角を現した児玉源太郎は見る見るうちに出世し、日清戦争の頃には帰還した兵士の検疫を行うという、かつて日本が経験したこともないような大事業を成し遂げました。

その後、日露戦争の頃までには内務大臣や台湾総督を歴任、陸軍大将として日本の頭脳とも言える存在になっていた児玉源太郎は、ついに勃発した日露戦争で、大山巌総大将の参謀総長を務め、満州の平野でロシア軍を迎え撃ちました。

世界の大方の予想を覆して、日露戦争の満州平野における戦争の推移は日本が連戦連勝を収め、世界を驚かせます。
ただ、ロシアは伝統的に戦略的撤退を繰り返し、敵を内地に引き込んだ上で包囲・殲滅する戦争スタイルが確立していましたので、日本はその物資の不足も手伝って、深追いをするわけにはいきませんでした。

しかし、そのような注意を払いながらも203高地を陥落させ、旅順要塞を降伏せしめ、ついに旅順艦隊を殲滅させる事に成功した、源太郎率いる満州軍は、返す刀で北上、いよいよ3月15日、中国奉天でロシア軍と最後の正面激突を行います。

そして激しい戦闘の末、日本陸軍はロシア軍を撃破、ついにロシア軍は奉天からも撤退をしました。
その後行われた5月27日の日本海海戦では、さらに世界驚かせる出来事が起こります。

東郷平八郎率いる日本海軍の連合艦隊は、ロジェストヴェンスキー率いるロシアのバルチック艦隊を完全に撃破、ほぼ全ての戦艦、巡洋艦以下の艦船を撃沈しました。
一方で、日本側の損害は水雷艇数隻という、ありえないほどの軽微なものでした。

この海戦では、一斉打ち方など、世界の海戦の常識を打ち破る多くのパラダイムシフトが起こり、これ以降世界の海軍は、「海戦の勝敗は戦艦が決める」という常識に席巻され、大艦巨砲主義の時代に突入する事になります。

一方の児玉は、その後総理大臣への就任が確実視されている中で、日露戦争終結の数年後に病死。
一説には毒殺説もあるほど、既に多くの権力を握っていた源太郎でしたが、地に足が付いたリアリストでもあった源太郎の死は、その後の日本陸軍の暴走に一助を与えてしまったかもしれません。

決まり文句ですが、彼がもう少し長生きしていれば、という気がしてならない嶋根純一です。