ただ今、絶賛治療中にて。絶対安静3日目、みっくです。
今週は激務な1週間、の予定のスケジュールでした。先週末のノスケのお買い物から、納車のためのアレやコレを…なんせノスケは初めての経験なので…質問されて答えたり、をしながら月曜の勤務をし。気づけば19時。
いやいや!今日は帰るでえ!
次の日は朝から出張だし
しかし…どうにも体調の悪い帰り道。ようやくわが家に辿り着き、夕飯の支度をして、早々に横になることにした。
が、次の朝。割れそうな頭痛に最悪の予感は的中。起きたときには38度あったのだ。
ダンナさん:…その体調で、行くの?( ´ ー ` )
みっく:…行くしかない。
行きたくない。行きたくないさ。めっちゃ体調が悪いものー!
でも、会社員だもの。仕事の打ち合わせを当日キャンセルなんて出来やしない。責任があるのだものー!!o(`ω´ )o
ってなわけで。朝から栄養ドリンクを一気飲み。解熱剤を飲んで、ポケットに追加の解熱剤も持って、スーツで新幹線に乗ったさ。
午前中の打ち合わせを終え、相手方担当者に誘われて行ったのは中華料理。よりによってこの体調にこのチョイス。野菜タンメンのスープを流し込み、午後は打ち合わせした皆さんと一緒に他社との合同ミーティングへ。
フラフラになりながら会場に到着。解熱剤を追加して、気合いで出席。これが夕方5時過ぎまでかかったのである。
あかん…。目がかすむ…。
気合い入れて、解熱剤を追加。東京駅でおみやげを買う気力も無く、新幹線の中では、もう意識が飛びそうなくらい身体が辛かった。
名古屋駅に迎えに来てくれたダンナさんのクルマに乗って、そのままダウン。家についたときには、もう39度だった。
水曜の朝、もはや身体は異常なほどダルかった。熱は37度台なのだが、ダルさが異常なのである。立てない、まっすぐ歩けない。そして、とにかく息が苦しかった。
ダンナさんに病院に連れて行ってもらい、検査。
インフルエンザ、溶連菌。高熱にありがちな検査をしても、ウィルスは一つも出ない。
それでも、〝この高熱が気になる〟という医者の言葉に素直に応じて、血液検査とレントゲンを撮ってみた結果。
肺炎ですね!
…え?ハイエン?
『はい。それも、かなり悪い。あなたの身体の状態、即入院レベルです。』
なんですとーー( ゚д゚)
医者:ネコヤマさん、何か症状ないですか?
みっく:はあ、めっちゃ呼吸が苦しいんです。
医者:そうでしょうね。あとは?
みっく:はあ、とにかくだるくてだるくて。
医者:そうでしょうね。だって悪すぎますから。
どうやら。
この数ヶ月、残業続きを繰り返した挙句、ダウンした身体で日帰り出張を強行した結果。私の身体はブッ壊れたらしい。
医者:入院したほうがいいんですけど。
みっく:しない。
医者:…まあ、いいでしょう。そのかわり。
毎日毎日病院に来ること。超強力な抗生物質の点滴を打ち続け、お腹が膨れるくらいの薬を飲み続けること。そして、『金曜の診察まで、絶っ対に動いてはいけません』とかたく約束させられたのである。
はあ、わかりました。
約束して帰宅後。
…なんじゃ、コレは。
ゲロゲロ吐いた、血とかたまりにボー然。
私、ホントに死ぬかも
と、初めて思った瞬間であった。
自覚後、あらためて親に申し訳ないと心から反省した。せっかく五体満足に産み育ててもらったのに、自己管理不足からこんな事態になり。バァバには死ぬほど心配させ。
年配の看護師さんには懇々と説教された。どうやら、治っても。これから先、私は簡単に肺炎にかかりやすくなるらしい。
そして思い出したのだが、わが父は肺炎が悪化して片肺が壊死し、その後13年しか生きられなかった。結局もう片方の肺も肺炎を繰り返し、51の若さで旅立ったのだ。いつも身体はつらそうだったし、さぞ不自由な人生だったろう。私は、その一歩を踏み出しかけてしまったのだ。
父の頃とは時代が変わり、今は肺炎も特効薬がある。私はたまたま回復したが、父の頃には薬が無かったのだ。
これからは、風邪はひいてはいけません。ネコヤマさんは、肺の細胞にダメージを与えてしまったから。
看護師さんに言われ、今度こそ無理はもう絶対にやめようと誓ったのであった。
今日は金曜。血液検査の結果は、以前よりも回復の兆しが。まだ正常値には足りないが、薬が助けてくれたらしい。明日はもう一度点滴し、来週の月曜に最後の診察だ。
現代の医学だから救われた。ありがたく今に感謝し、これからはもう少し自分を大切にしよう、と思った1週間だったm(_ _)m
