** 画家 イ・ジュンソプ ** | Michonのしんぐるぽんぐる ♬
2014年 記録ドキュメンタリー映画
【ふたつの祖国・ひとつの愛 】より~~


1916年 日本統治時代に生まれた
イ ・ ジュンソプ 氏



高校 、大学を 日本で学び
美術を専攻していた大学で
山本 方子( まさこ )さんと 知り合い
1945年 北朝鮮の元山で 結婚 。

時代的に 厳しい中での結婚生活 、
避難生活 そして 絵描きだけでは貧しく
釜山では 馬小屋での生活 済州島では
2~3畳ほどの部屋を無償で借りての生活。
8年間の結婚生活で 、3人の子供に恵まれるけれど 1人病気で亡くし その後も
生活苦による栄養失調と結核の為
妻子を 一時的に日本へ帰国させるのですが 、第二次世界大戦後で日韓国交がないうえ
1952年 李 承晩ラインにより
家族は逢うことができず、方子さんの
両親の知り合いの大臣の計らいで
1週間だけ 彼が日本に渡れたけれど
その後は 手紙だけのやり取りが続くが
1人でいることの不安・寂しさから
精神を病み 、栄養失調と肝炎を患い
最後は誰にも看取られず
39歳の若さで亡くなってしまいます。

皮肉にも生前は 、名声を得ることのなかった絵が ( 子供たちの裸の絵が春画とみなされたり、西洋画は人気なかった )
1970年代になって 突然 熱狂的支持を
受けることになったそうです。

1950年頃~ 画材が買えずタバコの銀紙に
描いた 『 蟹と家族 』が
アジアの芸術家として初めて
1955年にニューヨーク近代美術館に
所蔵されたそうです。



34歳で 未亡人となった方子さんは
日本で働きながら子供たちを育て
再婚せず 一生の愛を貫き
今は キムチの好きなハルモニ( おばあちゃん )として 画家の息子さん家族と
一緒に暮らしています。

戦争がなければ 彼と一緒に
フランス パリで 過ごしていたかも…
と、 語っています。

ここにも 日韓の悲しい歴史の
犠牲となり 、家族の再会の夢も叶わず
1人寂しく亡くなった イ・ジュンソプ氏の
ご冥福を お祈りいたします。

済州島イ・ジュンソプ美術館


一家4人が借りていた家屋





イ ・ ジュンソプ氏の作品


『 黄 牛 』


『 白 牛 』


『 二人の子供と桃 』


『 果樹園の家族と子供たち 』


『 家族 』


妻子に宛てた手紙
とても 達筆です。


※全ての画像 お借りしました。