※妊娠に関する内容です。
こんばんは。
少し時間が空いてしまいました。
このところ、仕事もマイホーム関連のことも慌ただしくて、久しぶりに残業が続いています。
今日も残業で帰ってきて、ごはん後ウトウト…こんな時間に目が覚めてしまった…明日も定例の打ち合わせがあるのに。
体調も落ち着いているとはいえ、何日か続くとやはり疲れが出てくるのか身体が重ーくなってきます
お腹もここにきて急激に大きくなった気がして(元々前回よりも大きくなるのは早かったのですが)
もう、どこから見ても妊婦です。
職場でも妊娠したことを公にはしていないけど、もう隠すこともできないくらいバレバレ。
でも誰も何も言いません。
前回のことがあるからあまり触れられないのかな…深読みしすぎかもしれないけど、思ってしまう。
話さなくて気楽に思う時も、その空気が逆にしんどい時もあるけど、あまり考えすぎず鈍感でいるのが一番!と開き直ることにしました。
まだ友人知人にはごく限られた(必要に迫られた)人にしか妊娠したことを話していません。
正直な気持ち、知ってる人が誰もいないところでひっそりと過ごしてひっそりと産みたい。とさえ思っています。
でも仕事をしている以上それは不可能なことだし、通勤やマイホームのことも含めてさまざまな人と関わるので、妊娠していることを隠したりはできません。
先週末、妊娠後初めて美容院に行ってきたのですが、ばっさりボブにしてきました。妊娠についても触れられました。
『何人目ですか?』とか聞かれたらどうしようかなと思いましたが、歳の若い男性なのでそこまで興味はないのか根掘り葉掘り聞かれることはなくてほっとしました。
美容院の他にも、例えば車の試乗に行ったディーラーでも、「産まれたら…」という未来のことを聞かれたりすることが多くなってきましたが、何度か話をしているうちに自然に話せるようになってきました。
自然に話してはいても、心のどこかでは
『当たり前に生まれてくると思ってるんだろうな。無事に生まれてくるかわからないのにね…』
という気持ちがないわけではありません。
『生まれるの楽しみだね』
という何気ない言葉も重く感じてしまうこともあります。
でもそこは今はいったん置いといて、
無事に生まれたらこうしたい、という未来を話したっていい。
と思えるようになってきたのです。
むしろ、言葉にすることで実現するといいなという願いも込めているのかもしれません。
自分の未来がどうなるかなんてわからない。
ほかの人が何を思い考えているかもわからない。
人の気持ちをどうにかしようとか、わかろうとするのは所詮無理なこと。
わからないことにずっと悩んで人の気持ちを変に勘繰ったり卑屈になったりしていましたが、どうせわからないんだから考えてもしょうがないと思うようになってきました。
ところで先日、若い頃から大好きなMr.childrenのツアーが名古屋から始まりました。
体調面で不安もあってチケットは取っていなかったのですが、最近は落ち着いてるし座ってれば大丈夫かもしれないなと思い立ち、ダメ元で当日引換券に申し込みました。
結果は、残念ながらハズレ
最後に行ったのはたいせいを妊娠する年の夏、『未完』のツアー。
しばらくは行けないだろうからすごく残念。。。
それでも行きたい!と思えるくらい動けていること自体、ありがたいことだと思います。
たいせい妊娠中は、調子がいい時がほとんどなかったので…
今妊娠していることや出産後の未来を自然に話せるようになった、ということをある方に伝えたら、
『未来を話せるってことは心が落ち着いている証拠。
いまを受け入れている証拠』
と言われました。
それを聞いて、この歌のあるフレーズの意味がふと心にすとんと落ちました。
過去は消えず
未来は読めず
不安がつきまとう
だけど明日を変えていくんなら今
今だけがここにある
今を受け入れ、今を大切に生きることが明日を創るんだということが、なんとなくわかったような気がします。
昨日の夜小林麻央さんが亡くなったとお昼に知り、仕事中だったので涙を堪えるのに必死でした。
芸能人の訃報で、こんなにも胸が苦しく涙が止まらないことは今までにありませんでした。
私よりも歳が若いこと、時々麻央さんのブログを読んでいたせいかもしれません。
私もたいせいを失ったことで、以前よりも人の生死をより身近に感じているのもあるのかもしれません。
幼い子どもを残していく麻央さんの気持ちを思うとやりきれない思いです。
でもブログでの一面しか知りませんが、そこから垣間見える麻央さんは、最期の最期まで今を受け入れて、自分自身を受け入れて、一日を大切に生きていたように感じます。
がん患者である前に、1人の女性として母としてどのように生きたいか、自分自身の心に正直に生きていこうとしている姿に共感しました。
想像を絶する辛さと痛みを抱えながら、いつも感謝と笑顔を絶やさず、その前向きな言葉に、逆に私が励まされることも多かったです。
ご自身でも『可哀想だとは思われたくない』と仰っていましたが、死と向き合う状況の中でも決して見失うことなく、前を向いて生きている姿勢には、可哀想と思うのは失礼なほど本当に強い女性だなと尊敬の念を抱かずにはいられません。
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
もし麻央さんに伝えられるなら、亡くなったことは悲しいけど、色濃く幸せな人生だったねと伝えたいです。
本当に、人はいつ最期を迎えるのかわからない。
だから、いまを受け入れて、いまを大切に生きる。
私も最期には麻央さんのように思えたらいいな。
心よりご冥福をお祈りいたします。