「新・ノアの方舟」始末記 -5ページ目

有力な当確候補だ、と某テレビ局


北原の公認が内定した5月中旬、妻の優子がパラグアイから駆け付けた。

北原の選挙事務所のボランティアスタッフ小坂議員の秘書に甥や姪、
東参謀の息子、それにNGO世界緑化協会の人たちが勢ぞろいして事務所は、
活況を呈した。

ある日、赤木参議院幹事長が事務所に顔を出した。

赤木幹事長は東参謀に「最低でも2、3万票はとって下さいよ」と懇願した。

北原の公認を決めた自民党幹部たちは、はなっから当選等期待はしておらず
異色の海外日本人候補としての話題作りと割り切っていた。

もともと大きな争点もなく地味な参院選の中、初の海外日本人候補として
海外の日本人社会の存在をあぶり出した北原の主張に新鮮味を見いだした
マスコミは好意的に北原を取り上げた。


自民党東京選挙区代表黒川信男は、東大、財務省出身とエリートを
絵に描いたような人物だった。

東参謀は「公約で環境問題を持ち出すのもピントがずれてるし、
演説が全く面白くないですね~」と首を傾げた。

確かに舞台横で北原が彼の演説を聞いてもちょっと真面目過ぎて
迫力不足だった。マスコミの下馬評では民主党の女性人気キャスターが
ダントツで2番手にも民主党のタレント候補が上がっており、
黒川は3番手か4番手になっていた。

連日、黒川候補の刺身のつまとして北原は演壇に立った。

公示日が迫ってくると自民党の総決起大会は都内のあちこちで開かれ
時に妻の優子やサンパウロから助っ人として馳せ参じた
事務局長の斉藤浩一も北原の代理としてたすきをかけて演壇に立った。

「日本では主人の食事や身の回りのことをすればいいと思っていたのに
何千人の前で話をさせられるなんて思いもしなかったわ。
最初は足が震えて止まらなかったわよ」と優子は北原にぼやいた。

公示日が真近かに迫ったある日、某テレビ局から電話がかかった。

電話でテレビ局と話終えた東参謀が「このテレビ局の独自調査によると
北原候補は有力な当確候補なので数日中にカメラの設置位置などを
確認したいので来所するそうです」と嬉しそうに皆に報告した。

ワッとスタッフたちの歓声が上がった。


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比例候補は、刺身のつま


事務所に机、椅子、ロッカー等備品が揃ってアルバイトスタッフが揃うと
やがて大泉総理以下自民党幹部の「必勝!」などと
書かれた為書きが次々送られてくる。

段々選挙事務所らしくなってくると、
都内で開かれる東京選挙区代表の自民党候補の各地区での
総決起大会に連日狩出される。

参院選にしろ衆院選にしろ主役はあくまで選挙区代表候補である。
比例代表候補は選挙区代表候補の刺身のつまにしかすぎない。

自民党も民主党も首都東京を主戦場として組織力を総動員して
激烈な選挙戦を展開していた。

自民党は前回の参院選で候補者を2人出して共倒れとなったため
今回は一人に絞って全力投球した。

民主党は女性人気テレビキャスターやタレント候補など3名を
候補者として送り出していた。

北原たち比例代表候補たちは主役の自民党東京選挙区代表の各所での
総決起大会での挨拶は3分間に限定されている。

北原は、「ジロウ北原」という名前で中央選管に届け出た。
海外日本人候補者という特色を出そうという戦略から出たものだった。

3分間演説のキャッチコピーも決まった。
「南米生活28年のジロウ北原、日本の歴史始まって以来初めての
海外在住の候補者でございます。
日本と海外の架け橋となるようがんばります。
日本の食糧自給率は先進国で最低、赤信号が点滅しています。
世界の食糧基地南米、その南米に住むジロウ北原が皆様がた日本の
食糧安保を築きます」。

日比谷公会堂、八王子、横浜と連日、東京選挙区代表候補の
刺身のつまとして連日、3分間演説を続けた。

総決起大会に駆け付ける刺身のつまたちの殆どが代理人が
たすきをかけてお義理に3分間演説をしていた。

他の自民党比例代表候補者たちはそれぞれ後援会組織の指示に
基づいて全国各地を飛び回っていた。

北原のライバルは同じ自民党の比例候補者であった。

何しろ比例代表選挙は全国区、否、北原にとっては世界区であった。

北原を応援してくれた小坂議員が東京選挙区選出の参議院議員だったので
東京を重点選挙区にして少しでも名前をアピールしようとの思いがあった。

北原と東選挙参謀は東京の他、南米からの出稼ぎ就労者が多い愛知県、
さらに北原の出身県熊本の3つを重点選挙区と考えていた。


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選挙参謀はゴッドハンドの東清隆


参院選公示が6月24日。投票日が7月11日。
いかに自民党の公認をとったといっても、
僅か40日の選挙準備では有名なタレント候補でもなければ
当選など夢のまた夢だ。

公示日までわずか24日しかない。

小坂議員が推薦してくれた選挙参謀の東清隆が一気に事務所、
机、椅子、キャビネット、電話、ファックス、冷蔵庫等備品から
選挙スタッフまですべてをあっと言う間に揃えた。

この東選挙参謀は、自民党関係議員の選挙を数百回となく
取り仕切ってきた選挙の神様とも言われる程、
選挙関係の全てを熟知している。

一般的には選挙といえば、選挙プロと呼ばれる選挙屋が幅を
利かせているのだが、彼等は選挙の特定部分を知っているだけだ。

所が東は選挙の登録手続きから選挙戦、最後の事務手続きまで
全てを熟知している。

彼は大学時代、選挙事務所のアルバイトとして関わって以来、
その面白さにとり付かれ、以降、30年余を大小の選挙戦の中に
身を置いてきた。

彼が関わった選挙は殆ど勝利しており、ゴッドハンドと呼ばれている。

北原の公認内定が1週間程前に出たことから、
ある程度、事務所選定からスタッフ等、声を掛けていた。

「90%いけると思う」と小坂議員が断言した2週間前、
北原選挙事務所の事務局長として、東は自分の後輩をブラジルから
呼び寄せていた。

東が呼び寄せた斉藤浩一は、以前、サンパウロの日系新聞社で
働いていたので北原も顔見知りだった。

東は斉藤のことを「浩ちゃん!」と呼び、
斉藤は東のことを「先輩!」と呼び、まさに息はピッタリ合っていた。

東は、北原が初めての海外日本人候補なので海外の最大の日系社会
ブラジルの票田が大事だと考えて斉藤を招聘したのだった。

北原の選挙事務所は新宿南口駅から歩いて7、8分程度で
甲州街道から2、3丁入った所だった。

つまり文化服装学院のでっかいビルの裏手になる。

北原も1カ月前、大森のホテルを引き払ってサザンクロスタワーの
裏手にあるマンスリーマンションを借りた。

事務所と北原のマンションは歩いてわずか5分もかからなかった。


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行動開始から2年10カ月、遂に公認候補者となる!

それ以降も何度か、「明日にも?」という期待が膨らんだが結局、
それから1カ月間、山野理事と共に連日、議員会館回りが続いた。


自民党の公認証が大泉総裁から正式に授与されたのは、
2004年5月31日だった。

実に北原が日本に到着して3カ月目の快挙だった。

最初、ささやかなさざ波のような天啓から始まった「想い」は、
やがて不動の確信となって立候補を決意してパラグアイを出たのが、
2001年7月、それから2年10カ月の月日が経過しての結実だった。

「為せば為る」という言葉があるが、
北原はこの言葉に込められた歯を食いしばって死にものぐるいで頑張るー
というニュアンスが北原の感性にフィットせず、あまり好きではなかった。

北原の2年10カ月を振り返ってみると確かに苦しいことが多かったが、
どちらかというと飄々と風の吹くままに自然体で過ごしてきた、
という思いの方がピッタリだった。

公認が取れなければ、それはそれで善し、
として妻の優子と共に車に幟を立てて全国行脚すればいい、という覚悟だった。

しかし、公認候補者になるということは、
堂々と舞台に上がって思いっきり主義主張を訴えられるわけで
北原は武者震いを覚えた。


5/31日(月)、16、50分、自民党総裁室で大泉源一郎総裁から
第20回参議院議員通常選挙比例代表選出議員・候補者・北原次郎に対する
公認証書の授与式が行われた。

同授与式には、北原の公認問題に真摯に取り組み超人的な粘り腰で党幹部と
交渉に当たってきた小坂参議院議員が満面に笑みをたたえて
北原を総裁室に導いた。

総裁室には安藤晋三幹事長、赤木参議院幹事長、村田総務局長ら
錚々たるメンバーが居並び自民党公認の持つ重みを印象づけた。

これで北原は自民党参議院比例(全国)区第49支部支部長となって
選挙活動を行うことになった。
同党参議院比例区公認候補は北原を入れて32名となった。

北原は、公約として

①在外選挙制度の改革

②日系二世三世の日本就労ビザの取得義務を廃止

③出稼ぎ就労子弟の教育問題改善

④在外高齢者の老齢福祉年金の支給

⑤二重国籍を認める

⑥海外に対する総合的な日本文化戦略の確立

⑦苦境にあえぐ中小企業の海外進出を促進する

⑧日本国内の不登校児(14万人)を南米で教育する

⑨海外日本人の安全対策の強化ーなどを掲げた。


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号砲を前に逸る競走馬のようにいらだつ北原

4/27日(火)

 午前10時半、小坂議員と参議院で落ち合う。
まだ公認問題は、未だ検討中とのことで党本部に
中津義男自由民主党組織本部長を訪ねる。
ブラジルもパラグアイにも行ったことがある由で、積極的に応援を約してくれた。

その後、熊本英太広報本部長にも一緒に挨拶する。

「結果がどう出るにせよ、時間がなくなったので公認が取れたら即、
行動に移れるように選挙準備にかかろう。自分としては、いけると思う」
との小坂議員の計らいで、午後1時より、参議院議員食堂で小坂議員、
原秘書、東(小坂議員の20年来の選挙参謀)、山野理事、
山内らと具体的な選挙準備について打ち合わせを行う。

「僕はいけると思う」との小坂議員の言葉が頼もしい。

今日明日にも結論が出ると北原は思っていたのだが、
又しても連休明けに結果は持ち越された。

これまでの度々のどんでん返しで北原は、
公認はやはり無理なのではないかというあきらめの気持ちに陥り、
無所属でもいいから1日でも早く東京駅頭や新宿駅前で
辻説法を行いたいという気持ちに襲われた。

北原はまさにダービーの号砲を前にパドックで逸る競走馬のような
いらだちを感じていた。

この気持ちを小坂議員に何度か伝えた。
しかし、小坂議員は「もうすぐだから待て」と北原の逸る気持ちを制した。

政界のことを多少なりとも分かっている人たちは、
「(地盤、看板、鞄の何もない)北原の公認は絶対あり得ない」と公言していた。

その劣勢を粘り強く覆して90%まで「大丈夫」と確信出来る迄持ち込んだ
小坂議員の力量と人間性を北原は今では尊敬し絶対的に信頼していた。

 ここまで延び延びになるとかえって覚悟が決まり、
「天命を待つ」の心境がさらに深まる。

参院選公示予定日6月24日迄、後わずか50数日…。

 参議院を出て雨の中、日本流通新聞社の加藤正弥社長(世界緑化協会メンバー)を
築地市場に山野理事と訪ねる。
台風のように風が強い。加藤社長も小坂議員より北原の事は聞いており、
「面白い」とやる気満々であった。
加藤社長に、北原は以前、2、3度会っている。

 午後5時より、世界緑化協会の山内と東京プリンスホテルで開かれた
広池会のパーティー(2万円)に出席する。

ブラジルの後援者たちから2、3日おきに「公認はとれたか?」と
電話が入る。
この夜も2人から確認の電話が入った。
「また、連休明けまで延びました」と伝えると、さすがに呆れた様子だった。

4/28日(水)10時、東、山野理事と市ヶ谷で落ち合い、
印刷会社「青葉舎」に行き、後援会のパンフレットを発注。

5/1日、同印刷会社指定の写真屋で選挙に使うパンフレット用の
写真を撮ることになった。
 パラグアイから着たきりの一張羅の背広がよれよれになったので、
山野理事と一緒に馬喰町に行き、紺の背広上下を買う。
山野理事はこの街に自宅がある。
何でもここは、衣類の卸問屋街で有名なのだそうだ。
ネクタイも2、3本買わねばならない。


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やるべきことはやった。選挙準備に入ろう!

 北原は佐藤博子事務所の秘書から、23日11時、
参議院佐藤博子事務所にブラジル日本文化協会の副会長と
日本ブラジル中央協会の常務理事兼事務局長が来るので「お出でになりませんか」
という案内を受けていたので山野理事とルイスと同事務所を訪問、二人に会った。

途中でブラジル新聞東京支局の山崎も加わる。

「北原」の出馬の件も含めて話が弾む。

そこへひょっこり小坂議員が他の用件で現れたので一緒に写真を撮る。
グッドタイミングだった。


 正午、同事務所を出て北原は14時25分の熊本行きのJAL便で熊本に向う。

 熊本空港では友人が出迎えにきており、
一緒に同夜の熊本鶴城高校6回生同窓会会場のホテルに向う。

同夜は111人の同期生と3人の先生が出席しており
同会始まって以来の大盛況だった。(みんな老けたなぁ~)無理もない、
皆、還暦を過ぎた連中だ。誰が先生で生徒か見分けもつかない程だった。

彼等に会うと北原は嫌でも自分の年齢を痛切に感じざるを得なかった。

 北原は参加者全員に名刺を配り参議院選挙出馬の旨を伝え、
また、壇上で挨拶もした。

この同窓会の件は、空港に迎えに来た友人から「顔を出した方がいいぞ」と
連絡が入っていたものだ。

 翌24日、午前中、佐藤博子議員の熊本事務所を訪ね
佐藤克幸所長(主人)から熊本の選挙状況について話を聞いた。

4/25日(日)午前、熊本のビジネスホテルに小坂議員より電話が入る。
「やるべきことは全部やった。ここ2、3日で結論が出る。
結果がいずれになろうと選挙準備を進めよう」ということで、
27日(火)、小坂議員、選挙参謀の東清隆、原秘書、山野理事と
具体的な打ち合わせを行うことになった。

同日午後の便で東京に戻る。


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某派閥事務所のビルに行く


4/22(木)午前9時半、小坂議員から
「政党広告が掲載された南米ジャーナル紙と(北原の)経歴書の載った
小冊子数部を至急持って来てほしい」との電話が北原にあった。

北原は大急ぎで永田町の参議院議員会館に向かった。

会館玄関前に小坂議員の秘書が待っており、
一緒に前の参議院幹事長室に向う。

小坂議員が幹事長室に待っており一緒に自民党党本部に同議員の車で向う。
北原は車中で待機。
小坂議員と秘書が安部幹事長に会うため本部に入る。

北原は車中で運転手さんとしばし雑談。
やがて二人が戻って某派閥の事務所がある会館に向う。

事務室でしばし待った後、小坂議員が廊下ですれ違った
島田議員を紹介してくれる。

「やあ、君か。大分(安部幹事長ら)理解も深まったようだよ」
と島田議員。

「彼はラグビーをやっていたんですよ」と小坂議員が北原を紹介する。

「オー、そうか。僕は昔11秒6で100m走ったよ」
と嬉しそうに島田議員が話す。

某派閥事務所のあるビルを出た後、
北原は世界緑化協会の山野理事と参院議員会館1階受付で落合い、
関係議員の部屋をダメ押しを兼ねて数軒挨拶回りを行う。

山野理事との参院関係議員事務所まわりは連日続いており、
北原も関係議員の事務所秘書と顔なじみになった。

夕暮れ時、山野理事と議員会館前で別れ、
大井町のアワーズイン阪急ホテルに帰った。

このホテルは、北原が来日以来宿舎にしているのだが、
安い(5500円)のと大井町駅前という地の利の良さが魅力だった。

名前も一応、「阪急」となっているので
「どちらにお泊まりですか?」と聞かれた時も
「阪急」というブランド名がついているので
気恥ずかしい思いをしなくて済むので助かった。

ただ、安いだけに部屋の中で携帯電話を使えないのが玉にキズだった。

とにかく、隣室との壁がメチャ薄いのか、
テレビの音も最小にセットされており電話がかかってきた時は、
部屋を飛び出してエレベーター前のホールで受け答えするという具合だった。

しかし、ここの最上階の大浴場は広々としてゆったりとした気持ちで
その日の疲れを癒せるのも大きな魅力だった。
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森派パーティーに出る


北原が2月下旬、日本到着、3月1日、赤木参院監事長と
村田総務局長に初めて面会して早くも2カ月弱が過ぎた。

4月21日、小坂議員が安部幹事長に会う予定になっていたので、
北原は11時、サンパウロから応援に駆け付けた原田ルイスと
参議院議員会館の小坂事務所で世界緑化協会の山野理事と合流して
いつ呼び出しがあってもいいように待機した。

結局、この日、小坂議員は安部幹事長には会えなかった。

この夜、北原は赤坂プリンスホテルで開催される森派の
清和政策研究会フオーラム「誇りある国、日本を創る」
(パーティ券2万円)に山野理事、ルイスと出席した。

世界緑化議員連盟のパーティー券を割り当てられていた
山野理事からルイスと2枚分購入したのだった。

さすが総裁派閥だけあって100m×40mの同ホテル五色の間の
広いサロンには、身動きも出来ない人、人、人(翌日の新聞発表4300人)。
この日、同時刻、橋本派のパーティも開かれたようで自民党幹部や
公明党の幹部も掛け持ちで大忙しだった。

 パーティ席上で村田総務局長、杉井正見議員、小嶋議員らに挨拶した。

小嶋議員は、「貴方が例の人ですか」とビックリした様子で
北原の顔をマジマジと見つめた。

自民党内で結構話題になっていることが伺われた。

杉井議員は「昨日の選対会議は、貴方を公認するかどうかで
大激論が交わされたんだよ。僕は、公認すべしと押したんだがね」と
昨日の会議の一端を北原に話した。

 杉井議員が安部幹事長に紹介してくれることになっていたが、
安部幹事長がそのパーティに顔を見せたのが8時前の閉会前だったこともあり
杉井議員は、その前に用件があって帰った。

安部幹事長はさすが人気者で回りをおばちゃまたちが大勢取り囲み近付く
ことも不可能という有り様であった。

 北原たちは閉会後何か残っているかとテーブル上のお皿を見たが
何にも食べ物は残っておらずガックリした。

やっと、最終公認候補予備リストに入る


 日本中を騒がせているイラクの日本人人質事件は長期化の傾向を示してきた。

 一方、北原の自民党公認問題も、一喜一憂、二転三転、四転五転と
ずるずる長期に引っぱられた。

 北原の目指すものに共感して、全力で公認獲得運動を進めていた
小坂三蔵議員(筆頭副幹事長)は、
再三「せめて半年前でも日本に来て自分に知らせてくれていたら
もっと楽な戦いができたのだが」と散々苦言を呈した。

また、自民党熊本県連会長の佐藤征士衆議院議員も同様のことを北原に言った。

ほとんどの関係議員が「(公認は申請が)遅すぎる。不可能だ」と断言する中、
小坂議員の超人的な働きかけでやっと最終段階にきた。。

 4月8日(木)、「北原次郎君の自民党公認を推薦する国会議員の会」として
発起人 沢崎寿男、佐藤藤征士、大曽根弘、島誠衆議院議員、小坂三蔵議員ら
5人が結成された。

 他19人の国会議員の連名で自由民主党小泉純一郎総裁宛に
「自民党公認のお願い」書を作成して沢崎寿男、小坂三蔵(参議院筆頭副幹事長)、
遠藤博子議員ら5人が衆議院幹事長控え室で村田総務局長に面会して、
北原の公認を要請した。

5人の議員は本会議中を抜け出しての話し合いだった。

その話し合いの最中、北原は廊下で直立不動で待機した。

5人の議員と村田総務局長との面会時間は最初、10分の予定だったのだが
延々話し合いは40分にも及んだ。

 壁は中々厚かったようだが、何とか最終公認候補予備リスト
10人(衆議院からの鞍替え組みや官僚OBら有力者)の中に正式に加えられた。

 現在、30人が公認されており、後1人の隠れ公認
(テレビコマーシャル契約が4/26まである関係で発表を控えている)が、
スキーオリンピック金メダルの原健二だ。

本当は、先週末(10日)までに10人の予備リストから
後1人か2人選ぶ最終期限だったが、9日のイラク人質事件ぼっ発で
最終決定が今週にずれこんでしまった。

小坂議員の話では、自民党選対本部が公認した場合の北原候補の集票予想
(始めてのケースなので正確な数字は誰も読めない)の数字は非常に低く
厳しいとのことだった。

 小坂議員は、「たとえ北原候補が低得票で当選出来なくても
海外日本人の存在を日本側にアピールする広告料の意味合いを含めて
公認してほしい」とまで選挙対策本部に強く交渉したようだ。

現況、自民党幹部の誰ひとり北原の公認を決定しきれないという。

後は、小泉自民党総裁の政治的決断しかないようだ。

 今は、天命を待つのみ。
 たとえ結果がどうであろうと、「(結果)すべてよし」が北原の信条である。
        




異色の海外日本人代表候補を公認して欲しい



 赤木幹事長と村田総務局長が了解してくれたら
全てOKかと思ったら事はそんなに単純ではないようだ。

やはり、前回のアントニオ武藤の兄の出馬の件が大きな
ブレーキになっている。

 自民党の関係議員の間で「北原」の公認問題は話題になっている。
しかし、自民党が公認した候補が1000票も取れなかったら、
自民党の看板に傷がつくというのが選挙関係議員の逡巡の要因だ。

 普通、公認する場合、医師会とか土建業会とか全国的な組織が
支援団体に名前をつらねるのが必須条件なのだが、
それと同時に国会議員のグループの支援体制も必須条件となっている。

つまり、各議員が自分の支援団体の票を割り振りするらしい。
所が「北原」には、それがない。

そこで遅ればせながら赤木幹事長の意向を受けて参議院の
筆頭副幹事長で世界緑化協会議員連盟のメンバーである
小坂三蔵参議院議員が幹事役となって関係議員に働きかけを始めた。

北原は小坂議員と一緒に大曽根弘参議院議員(大曽根元総理の子息、前文部大臣)
を訪ねた。

「民主党は朴さんを公認している。
自民党としても政策的な(異色の)目玉候補として
公認したいので大曽根先生からも是非推薦するように働きかけをお願いします」
と小坂議員が頼んだ。

また、小坂議員は、日本のNGOの最大手、
世界緑化協会議員連盟にも働きかけ、
同議員連盟を推薦グループにしよう精力的に動いた。


同議員連盟の会長が沢崎寿男衆議院議員(前金融担当大臣)である。
同議員連盟を北原の推薦グループにするかどうかの役員会が近々、
開かれる予定になった。

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