号砲を前に逸る競走馬のようにいらだつ北原 | 「新・ノアの方舟」始末記

号砲を前に逸る競走馬のようにいらだつ北原

4/27日(火)

 午前10時半、小坂議員と参議院で落ち合う。
まだ公認問題は、未だ検討中とのことで党本部に
中津義男自由民主党組織本部長を訪ねる。
ブラジルもパラグアイにも行ったことがある由で、積極的に応援を約してくれた。

その後、熊本英太広報本部長にも一緒に挨拶する。

「結果がどう出るにせよ、時間がなくなったので公認が取れたら即、
行動に移れるように選挙準備にかかろう。自分としては、いけると思う」
との小坂議員の計らいで、午後1時より、参議院議員食堂で小坂議員、
原秘書、東(小坂議員の20年来の選挙参謀)、山野理事、
山内らと具体的な選挙準備について打ち合わせを行う。

「僕はいけると思う」との小坂議員の言葉が頼もしい。

今日明日にも結論が出ると北原は思っていたのだが、
又しても連休明けに結果は持ち越された。

これまでの度々のどんでん返しで北原は、
公認はやはり無理なのではないかというあきらめの気持ちに陥り、
無所属でもいいから1日でも早く東京駅頭や新宿駅前で
辻説法を行いたいという気持ちに襲われた。

北原はまさにダービーの号砲を前にパドックで逸る競走馬のような
いらだちを感じていた。

この気持ちを小坂議員に何度か伝えた。
しかし、小坂議員は「もうすぐだから待て」と北原の逸る気持ちを制した。

政界のことを多少なりとも分かっている人たちは、
「(地盤、看板、鞄の何もない)北原の公認は絶対あり得ない」と公言していた。

その劣勢を粘り強く覆して90%まで「大丈夫」と確信出来る迄持ち込んだ
小坂議員の力量と人間性を北原は今では尊敬し絶対的に信頼していた。

 ここまで延び延びになるとかえって覚悟が決まり、
「天命を待つ」の心境がさらに深まる。

参院選公示予定日6月24日迄、後わずか50数日…。

 参議院を出て雨の中、日本流通新聞社の加藤正弥社長(世界緑化協会メンバー)を
築地市場に山野理事と訪ねる。
台風のように風が強い。加藤社長も小坂議員より北原の事は聞いており、
「面白い」とやる気満々であった。
加藤社長に、北原は以前、2、3度会っている。

 午後5時より、世界緑化協会の山内と東京プリンスホテルで開かれた
広池会のパーティー(2万円)に出席する。

ブラジルの後援者たちから2、3日おきに「公認はとれたか?」と
電話が入る。
この夜も2人から確認の電話が入った。
「また、連休明けまで延びました」と伝えると、さすがに呆れた様子だった。

4/28日(水)10時、東、山野理事と市ヶ谷で落ち合い、
印刷会社「青葉舎」に行き、後援会のパンフレットを発注。

5/1日、同印刷会社指定の写真屋で選挙に使うパンフレット用の
写真を撮ることになった。
 パラグアイから着たきりの一張羅の背広がよれよれになったので、
山野理事と一緒に馬喰町に行き、紺の背広上下を買う。
山野理事はこの街に自宅がある。
何でもここは、衣類の卸問屋街で有名なのだそうだ。
ネクタイも2、3本買わねばならない。


ランキングに登録しました。
良かったらクリックして下さい。
blog-net