中国古代で銑鉄からどうやって脱炭していたのか疑問だと書きましたが、それは自分でやってみると実感できます。
一炒到底となって、極軟鋼しかできなかったら鋼は喉からてが出るほど欲しいのに手に入りません。
脱炭をどこで止めるかが問題です。
奈良時代の正倉院の刀には2種類の脱炭がされていたと佐々木稔氏の本にあり、へーそうだったのかと感嘆して洗脳されてしまいました。
彼の説は酸化鉄である磁鉄鉱石か砂鉄を溶けた銑鉄に適切な量だけ投入して脱炭していたとしています。
砂鉄投入ではノロ分とチタンがおおく、磁鉄鉱石投入ではチタンがほとんどないと結論しています。
これは賢い脱炭方法ですね。
奈良時代はすごい!
磁鉄鉱石は琵琶湖の南東部のマキノというところに鉱脈があって奈良時代は一大製鉄コンビナートがあったらしい。
そこから磁鉄鉱石を掘って製鉄の原料にして銑鉄を生産していたらしい。
脱炭は酸化鉄の砂鉄か、またはマキノの磁鉄鉱石粉を使っていたとはなんと先進的な技術だったのでしょう!
ただし、国内の鉄生産は唐との関係が良くなると廃れます。
国内では製鉄をやめてしまい、唐からの船舶で運ばれる銑鉄や軟鉄が使われるようになったらしい。
ではこの2つを使ってどうやって鋼を作ったかが平安時代と鎌倉時代の問題になります。
この問題は次回。
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