昨日、国道を車で走っていると・・・ファミリーレストラン「ガスト」の店内入り口に数人のお坊さんが!単なるお坊さんではなく、全員オレンジ色の袈裟に身を包んでおり、添乗員らしき女性がカメラを向けていたのでミャンマーかどこかのお坊さんが修行旅行?にでもいらしているのかなあと興味深く見ながら通り過ぎた。オレンジ色の袈裟を着たお坊さんは、画像でしか見たことがなかったので、もっと近くで見たかったなあなんて思っている。ちなみにオレンジ色の袈裟≒映画「ビルマの竪琴」のイメージが強い自分自身。ン十年前に映画館で見て以来、ストーリーのみならずオレンジ色の袈裟に対して勝手に「いいイメージ」を持っている。☜映画の影響大!!さて、たまたま映画のおかげで「オレンジ色の袈裟」に対してはプラスのイメージが強いけれど、日本には「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という慣用句がある。意味は「あるものを憎むあまり、それに関係するほかのものまで憎く感じる」となる。使い方としては(例)「おまえなんか大っきらいだ!」「なんで?」「おまえのお父さん、学校の先生だろ。おれこのまえ学校でおこられて嫌いになった。だからお前もきらいになるんだ」といった具合。憎まれる側にとってはいい迷惑でしかない。下手すると逆恨み?と言いたくなるような場面も出てくるだろう。この諺から分かるように、人間の感情っていい加減・流動的・主観的なものなのだ。例えば「自分は漢字の読み書きが苦手!似たような字が多く、読み方も複数あるから・・・」という気持ちがあったとする。むろん、人は感情の生き物なので「漢字が苦手」という気持ちを抱くタイプがいるのは当然で、何ら恥ずかしいことではない。けれど「漢字が嫌い☞だから国語も嫌い」となるのはもったいない。「本を読むのが嫌い、苦手だから国語が嫌い、苦手」と思い込むのも同様。なぜなら「国語」とは「漢字、読解(読解にも複数の種類あり、表現(作文など)」と多岐にわたるため、一つの分野が苦手・嫌いだからといっても他の分野では頭角を現すかもしれない。なーんて偉そうに言いながらも「人を見分ける時」には逆に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が当てはまることがある、だからこそ!この諺が成り立つ・・・とも思う。これ以上書くと誤解を招きそうなので詳細は省くけれど、自分が苦手なAさんとよく似た雰囲気のBさんに対しても苦手意識を抱く…事は自分自身にはよくあること。実は、これは本能的に自分に合う、合わないを判断しているだけ!と言い訳中。