この会の活動というのは、その性格上、地域の伝統・伝承文化としての踊り、音頭の保護・保存そして育成という位置づけがされていたので、方々の地区とか施設とかの行事への出演が主たる任務といってよかった。そして、この頃、市の文化財登録への動きが盛り上がっていた時期であり、たしか翌15年に認定されたはずである。私や長谷川氏への招へいも、それがための要素、つまり勢力増強のためであったことはすぐに理解できた。ともかく、これが契機となって会員数が一気に増えたことは確かである。しかしながら「無形文化財」とは、・・・
それは、それほどまでにこの文化が衰退してきていたことに他ならないのであり、決して、手放しで喜ぶべきことではないのではあるが。
しかしながら、これは一応めでたいこととされ、祝賀会的な「しょんがい音頭と踊りフェスティバル」なるものがもようされた。会場は松阪コミュニティー文化センター(現・農業屋コミュニティー文化センター)。内容は、各地区および種々サークル、クラブなどがチームを作り、ステージ上で踊り・音頭を披露するというもの。これに合わせて私どもも西黒部校区でチームを結成することとなり、名称を「しょんがい・かわさきを楽しむ会」とした。この会はこれ以降、月一のペースで練習会を持ち、活動してきたのであるが、高齢者が多く、次第にその数を減らし、集まることもなくなって、本、2016年をもって正式に解散となった。
次の写真は、その時の西黒部チームのもの
音頭は私。日本シリーズ前であったので演題は「阪神優勝」がそのまま使えた。そう、まさにこの年であったのだ。応援グッズは虎キチの友人からの頂き物。