かようなる踊りは、当然のことながら、「聞かせる音頭」を要求しない。きっちりと型にはまった、いわゆる、「融通の利かない音頭」が望ましいのである。つまり、田中芳松、笠原乙松的な音頭がよいのだ。
音頭師にとっての、この会でのもう一つの特徴は持ち時間の少なさ。私が歩んできたような時間枠での踊りは皆無であり、10分、15分、30分という踊りがほとんどで、一人か二人にしか出番はなく、たとえ一時間以上の踊りであっても多数の音頭取り、時に10人以上がシェアーせねばならず、一人五、六分、長い人でも10分ほどのものであった。
踊りというのは、同じ時間を何十人でも何百人でもが共有できるのに対して、音頭にはそれは叶わない、ひとつの時間帯は、ただ一人により占有され、共有されない。つまり唄えるのは、いつも一人だけであるということ。これはカラオケも同じこと。
つまり、私にとって、それまでとは、いささか勝手の違う世界ではあった。
それでも一度火が付いた創作熱が冷めることはなかった。暫時紹介していくつもり。