この年、たぶんこの年、ほぼ20年ぶりに「保存会」(松阪しょんがい音頭と踊り保存会)に復帰したはずである。師、田中芳松の弟子であったとき、師の要請もあり、籍を置いてはいたのであるが、すでに述べたように、笠原氏とのコンビ以降、南勢地区とのかかわりが深くなり、「保存会」とは疎遠になっていた(「保存会」はもともと北西部地域の人たちによって運営されていた)。ところがこの頃になると、最盛期には二十近くあった私の出番も1/3ほどにまで減少していたこともあって、「保存会」からの誘いを受けることにしたのである。で、出かけて行った。この時、同時に、やはり退会していた長谷川征義氏も招かれていた。これ以降の15年間は「保存会」会員としての活動が中心となっていく。
そこには新しい出会いがあり、楽しいこと、面白いこと、そればかりでもないこと、いろいろあって面白いのであるが・・・、あまりに軽々しく、生々しい、赤裸々な記事、表現は、またぞろ苦情をいただくことになってもいけないので・・・、自分のことに限定した、差しさわりのないところで進めていきたいと思う。
そうしよう・・っと