では、私はどうやって、この縛りを解くことができたのか。それは意外にあっけないものであった。
高校生になって一年か二年の時、小・中学と同級生であった友人と出会った時のこと、野球の話になり、ふと、「あんまり王には打ってほしくはない」と、心につかえていたものを漏吐してしまった。この友人もまた、巨人教団の信徒である。当然、同意の言葉が返ってくると思っていた。ところが以外にも、彼の返事は「俺はそうでもないけれど」、であったのである。衝撃であった。そう、私にとってこの言葉は、本当に衝撃だったのである。何故か、こういうことだ。つまり、
「同じ教団の信徒は、ただ一人の教祖を共有している」
はずであり、そうでなくてはならないからである。そう信じていた。にもかかわらず・・・
これで目が覚めた。同じ教団に属しながら、自分とは違う景色、自分には見えていない景色が見えている人がいることに初めて気が付いたのである。一気に世界が変わってしまった。つまり、
「それまで主観的にしか見ることが出来なかった事柄を、客観的な見方ができるようになった」のであり、言い換えれば
「自分の好き嫌いだけが働いていた人間が、モノの良しあしに目が届くようになった」
のである。