中南勢音頭通信  道風茂/酒井子雲 1  明智光秀 田村邸切腹の場 曲垣平九郎. | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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ある日のこと、他地区の音頭師と笠原氏との会話、

「あの人は上手いなあ」、「誰?あっ、あれは上手いわさ。本物の浪曲師や」。笠原氏のこの言葉を聞き逃さなかった。話は聞いていた。道風茂。国造氏の弟で酒井雲に師事した人である(のちに子雲襲名)。私が小学生のころ、学校の講堂で浪曲一座の公演があった。おそらくその時の座長であったと思われる。

「音頭もやるのか」、この時知った。たまには帰省して、踊りの屋台に上ることもあったそうである。ほっとく手はない。茂氏の生家には同級生がいる。さっそく当たってみた。住所と電話番号を手に入れる。京都太秦、映画村の近くである。電話でコンタクトを取り音頭の指南を頼み、米(玄米30㎏)一袋を送ってみた。手紙とともにテープが送られてきた。  

「明智光秀」、「田村邸・切腹の場」「寛永三馬術・曲垣平九郎」、以後、三年にわたって、計、七席ほどのテープを送っていただいたが、現在私がレパートリーとしているのは「明智光秀」、「南部坂雪の別れ」。「恩讐の彼方」の三席である。

紹介する。まずは、「明智光秀」。さっそくその年にやってみた。昨年11月に紹介した文句とは少し違う。これは後年、酒井雲のテープが手に入り自分なりに手を加えさせていただいた。この時、茂氏、六十歳であったことになる。今の私より八歳も若かったのか。ン~ん。

すでに浪曲界を退いて久しく、最近はもっぱら民謡を楽しんでおられるとのことであった。記憶を訪ねて吹き込まれたのであろう。ちょっとあいまいな部分もあって、ノートに記された文章もかなり修正されてもいた。

「田村邸」。やれるようにはなってはいるが、本番にかけたことはない。

そして「曲垣平九郎」、以上三席を。