わが師、田中芳松(旧 三雲村)が西黒部へ遊びに行ったのが、師、三十五歳の時であった。そこで浪曲しょんがいに出会うわけであるが、では、それまではどうであったのか。それについての貴重な音源がある。音頭をやりかけた私に「うちらのほうにも踊りがあるから見に来たら」と声をかけてくれた香良洲町の友人がいる。そこで採録したものをこのシリーズの最後に紹介することにする。
香良洲だけでなく、これが旧一志郡全域における踊りの一般的な形であったことは師から聞いてはいた。「かわさき」から始まり「しょんがい」、「祭文」、「こんこん踊り」などの踊りがあったことが音頭の文言から読み取れるが、ここでの音頭は三種類である。「しょんがい」「こんこん踊り」の音頭は同じである。
屋台の上に、三人ほどの「音頭取り」を見かけた記憶がある。明らかに座長と思われる人がいた。前田五三郎(1901~1984 旧香良洲町)。生まれ年からして70歳は、はるかに超えた年齢であったに違いはない。やはり、声次第なのだ。
踊りの途中で、踊り手が自分たちの唄で踊るところがあるが、その時のやり取りが面白い。このことも師から聞いてはいた。
同じ旧一志郡内で、今では松阪市となった嬉野地区の「嬉野しょんがい」とあわせて紹介したかったのであるが、残念ながら手元にない。基本的に同じであるが、やはり、地域による違いはある。それがまた面白い。
以上で「ジグソーパズルの巻」を終えることとするが、最後に、私見を一つ。
私を含めて、とかく「音頭取り」というやつは、「聴かせる音頭」にあこがれてしまうものなのですよ。
ではまた