中南勢音頭通信  ジグソーパズル7 しょんがい音頭 田中芳松 | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

中南勢地域における音頭・踊りの紹介をベースに
自由以上に思い切った発言を発信していくつもりのブログ

前回の「ジグソーパズル6」でこのシリーズを終わろうと思っていたが、やはり足りないものがあった。田中芳松師匠の「しょんがい音頭」を紹介しないわけにはいかない。このシリーズで、私は「踊る音頭」と「聴く音頭」について多くを述べた。繰り返すが、それにより「踊る側」の人と、「聴く側」の人からとの評価が全く違うものとなることがあるのだ。師の「しょんがい音頭」を最高とする人は,「踊る側」の中にいる、一方で、あくまで「かわさき音頭」のスペシャリストとしての評価しかしない人が「聴く側」の中にはいる。その判断は受け取る人、一人一人にゆだねられるべきものである。

もっと早く紹介したかったのであるが、私自身、師匠の「しょんがい音頭」のコレクションが極めて貧弱なものであり、実現できていなかった。十分とは言えないかもしれない。「宝の入船」があればとは思うが、ないものねだりか。どこかにはあるのだけれど。

 

最初は、‘7475年頃、師60歳少し前の頃、帝水小学校でのもの、これは珍しい。アコーデオンの伴奏つきである。奏者は私も中学時代お世話になった音楽教師、小楽崎勉(松阪市井口町)氏である。私が音楽好きになれたのはこの人のおかげだと思っている。

二つ目は、「松阪築城音頭」。‘74年に行われた「山川正治引退おどり」のときのもの。

この二席は師、五十歳代最後の頃である。

後に私が「五十過ぎてから、めっきり声が出なくなりました」と言ったら「ごじゅう、盛りやないか」と申されたことがある。もっともなことである。

「松浦武四郎一代記」は八十歳の時の吹込みである。声の衰え、これは仕方がない。囃しは北川ひろ子(松阪市三雲町)氏。