前回のテープの最終で、甚句に代わって、その続きである。
かわさきの小付けに似ている。いや、違う。話は逆なのである。
以前、述べたように、道風国造氏が、阿坂より「かわさき」を導入したのであるが、この音頭を演れる人、引き継いだ人はごく限られた人だけであった。しかし、この新しい踊りは、地元西黒部を中心に大いにもてはやされ、周辺に広まった。それまでの「しょんがい」、「甚句」に新しく「かわさき」が加わることとなった。
困ったのは音頭取りである。このブログをご覧いただいている方々にはご理解いただけると思う。「かわさき音頭」というやつは見様見真似でやれるものではない。仕方なく、甚句の味付けを少し変えて「かわさき」を踊らせる人が出てきた。これが小付けと呼ばれることとなる。ところが、この使い分けが、また、誰でも出来るわけではなかった。味付けが変わるだけで、材料(文句)は同じであったから、紛らわしく、私自身、初めはどうにもうまくやれなかった。もちろん、昔の人も同じこと、「かわさきやるなら、甚句はごめん!」となり、この地域から甚句は消えたのである。
南勢地区からは消えなかった。なぜか。甚句を流用しなかったからである。あくまで「甚句」は「甚句」、「かわさき」は「かわさき」を守ったのである。そこではいろいろな試みがなされた。流行歌が唄われることもあった。「数え歌」はいちばん代表的なものであった。音頭とりたちは工夫を凝らし、それぞれの「数え歌」を持った。これが南勢地区の「かわさき」のスタイルになっていった。そして「甚句」は守られた。