中南勢音頭通信  猫だまし | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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前回、野球選手の話をした。今日は相撲の話をしたい。

少し前、白鵬が「猫だまし」なる奇手を使ったと話題になった。「横綱のやるべきことではない」との声が圧倒的であった。

だが、私はそうは思わない。あの相撲を、もう一度よく見てほしい。それで相手は確かにたじろいだ。それに乗じて白鵬は相撲を取ったか。違う。改めて真正面からの相撲を作っている。奇手を弄して勝ちに行った相撲ではなかったのだ。ではあの奇手は何だったのか。私は思う。あれはお客さんを楽しませる白鵬のサービスだったと。

ただひたすらに勝つだけ、強いだけの横綱も確かにいた。しかし私に言わせれば、それらはチャンピオンと呼ばれるべきであり、本当の意味の横綱ではない。成績だけが問題ならば、リーグ戦にしてその場所の優勝者を決めればよいのである。横綱、大関の身分、特権なんぞ必要はない。

たとえ話をさせていただけるなら「鹿を追う猟師、山を見ず」を挙げたい。

追う鹿に、自分の能力の全てをを収束させることが出来れば、最大限の成果、結果を得ることができるであろう。事実、海においても、それができる人が多くの獲物を手にする。余計なことを考えてはいけない。結果がすべてであれば。

しかし、そうは考えない人もいる。山に想いの及ぶ人は確かにいるのである。この場合、山とは、日本の文化としての大相撲、それを支え、楽しむお客さんである。

真剣勝負の中にも遊び心、場を見渡す目を忘れない。それができる人こそが真の横綱なのだ。それを期待するからこその身分、特権なのだ。もちろん、すべての横綱にかなう芸当ではない。ぬきんでた実力に裏付けされた上でのセンスの芸である。

独断ではあるが、私の選んだそんな横綱を三人挙げておく。

白鵬、輪島、北の富士




ちなみに、いまの三横綱、大好きですよ。それぞれ持ち味があって。

琴奨菊さんにもがんばってほしいです。

稀勢の里さんは、・・・・・・・・なんでしょうか。