少々、しずらい話ではあるが、彼の人気を語るのに避けるべきではない、と思えるので紹介することにする。
彼がまだ、棟梁でなかった時のこと、(棟梁の人選でその日の顔ぶれが決まる) ある町内の踊りで、彼にだけ、ほかの人よりはるかに多い祝儀、つまり、出演料が渡されたのである。他の町もこれに倣った。こんなことが聞こえていかないわけがない。
ある踊りで ― この頃は、踊りが終わると、上へあがってもてなしを受け、帰り際に祝儀をいただくのがふつうであった ― すべての音頭師に祝儀袋が渡るのを見計らって、その日の棟梁が口を切った。「みんな、中身を確認しろ」。明らかな違いがあった。主催者の青年団の団長がひどい目にあったことは言うまでもない。
もちろん、音頭師全てに出口氏と同じ額が支払われたのである。こんなことがあって、この地域の祝儀相場は跳ね上がることとなる。
後年、出口氏から私が頼まれていくようになった時、「わしは、五万以下ではやらない」と、豪語されていた。
この後、ほどなく、主催者は出口氏を棟梁として頼むようになったのである。(棟梁と他の音頭師とは差があっても構わない)。
出口氏の天下取り成る。 と、いう話。