出口氏が活躍された南勢地区と、櫛田川流域以北の中勢地区とでは大きな違いがあった。踊りが違うのである。踊ってみればよく分かるのであるが、結論だけを言うと、しょんがいの場合、早く踊れるか、踊れないか、の違いといえる。それゆえに、音頭のテンポが、総じて、緩やかなものになるのが南勢地区の特徴である。
かわさきについては、全く別なる踊りであり、まわる方向も逆である。
そして「甚句」。音頭と踊り。これは現在、中勢地区にはない。
それらも、随時、紹介せねばならないが、ここではもう一つの違いについて述べておきたい。それは音響設備の差であった。
「音頭師、生かすも殺すも音響しだい」。
本当にそうだと思う。中勢連中にはこの意識の強い人が多かった。おおむね良かった。悪ければ、即座の修正を迫った。注文も多かった。
一方、南勢は、といえば、あまりにもお粗末、なところがいかにも多かったのである。
各町内の都合上仕方のないところがあったであろうが、音頭師達の意識にも違いがあったような気がする。
この先、いろいろ紹介していくのであるが、申し訳ないほど音が悪いものがある。しかし、雰囲気だけは伝えられると思うので、あしからず。
ここでは1984年の粟野町(伊勢市)でのもの。十八番二席、「貞女の鏡(山之内一豊の妻)」と「玉菊灯篭」
そこにはびっくりするような光景があったのであるが、それは次の機会に。