今年もあと少し。3月にスタートしたこのブログも一番困難な峠はどうやら超えられたようである。これから先は自分の歩みとこの文化とは完全に重なっていける。資料も記録も十分にある。今までの道程は駒の足りないジグソーパズルのようなものであった、公開はしていても、決して読者を増やそうとの努力はしなかった、余計な雑音は入れたくなかったから。だから誰にも言わなかった。しかしもう大丈夫、その旨表す年賀状を作成した。最近は出さなくなっていた人にまで出した。これからは、できるだけ多くの人に読んでほしいと思っている。
先日、「夕刊三重」紙の取材を受けた。以前、同紙の「シニア玉手箱」なるフリーペーパーで「くたばりかけの音頭取り」(これは冗談)として紹介されたことがあった。その時の取材で、大まかな全体像ができた時点で、もう一度取り上げてほしいと頼んでおいたのであった。どういう記事にしてもらえるか。少しでも多くの人に知ってもらい、この文化がもう一度、満開の花を咲かせてくれるなら、これ以上の恩返しはないのだけれど。
それにつけても一つだけ驚いたことがあった。確かに、誰にも言わなかった。この記者以外には。そして、私の分析では、このブログを常にチェックしてくれている読者は10人ほどではないかと思っている。コメントが届くこともある。中にはハワイやヨーロッパからのものもあった。やり方が分からないので、返信はしていない。で、驚いたことというのは、その中の一人に山川正治氏のお孫さんがいたのである。章氏の娘さんである。それも、山川氏の記事を載せたすぐである。「おじいちゃんが唄ってる!」とかなんとかのコメントが、U―TUBEに張り付いていた。天国のおじいちゃん、かわいい孫に教えたのかな。そう思いたい。