それ以上に、彼のすさまじさは、この姿勢を、三十年以上にわたって持ち続けたことである。私の場合、四十年の間には、スタイルも変われば、持ちネタもずいぶん増えている。まくら、かわさきの小付けを含めれば、自作モノだけでも二十はくだらない。それを、この人ときたら・・・である。
それはまさしく、音頭界の「一節太郎」と呼ばれるにふさわしいものである。その、計量不能ともいえる、信じがたいほどに重い腰を、やっとこさ、持ち上げたのは七十歳に手が届く頃になってからであった。「福井文衛門」をかじりかけた。
何をいまさら。・・・遅すぎるわ・・・である。・・・・・一人になるのを待って、鼻で笑っておいた。フン! とネ!
この、音頭史上最も怠惰にして、横着きわまる、底抜けに、図々しくも、厚かましい御仁は、しかし、やはり、この「岸壁の母」一つで「音頭の殿堂」入りを果たすことには間違いはない。
トラは死して、皮を残す。 という。さすれば、
長谷川死すとも、「岸壁」を残す。 となるであろう。そして、
道風死するも、ブログを残す。 と為すべく、日々苦しんでいる。